町屋敷の三又の分岐点を、左の坂へと行くのが旧中山道↑。
この坂を上りきった正面に見えるのが、七年に一度、男たちが盛大にケガをする「御柱祭(おんばしらさい)」の会場、“木落し坂”。
この裏手に旧道として比定されている細道を下り、砥川沿いを行くこと約30分、右手に見えてくるのが「諏訪大社下社春宮」の木立、旧道はその脇を通り、左へカーブしながら坂を下って下諏訪宿へと入って行きますが、坂の途中で右へ折れて、諏訪大社春宮へ参拝、そして“万治の石仏”を見物することにします。
今は昔、この石仏を諏訪大社春宮の鳥居の材料にしようと石工が鑿を入れたところ、そこから血が流れ出したので慌てて中止した、と云う伝説があるこの石仏、見れば見るほどミステリー度が増してくるような…。
この坂を上りきった正面に見えるのが、七年に一度、男たちが盛大にケガをする「御柱祭(おんばしらさい)」の会場、“木落し坂”。
この裏手に旧道として比定されている細道を下り、砥川沿いを行くこと約30分、右手に見えてくるのが「諏訪大社下社春宮」の木立、旧道はその脇を通り、左へカーブしながら坂を下って下諏訪宿へと入って行きますが、坂の途中で右へ折れて、諏訪大社春宮へ参拝、そして“万治の石仏”を見物することにします。
今は昔、この石仏を諏訪大社春宮の鳥居の材料にしようと石工が鑿を入れたところ、そこから血が流れ出したので慌てて中止した、と云う伝説があるこの石仏、見れば見るほどミステリー度が増してくるような…。