西餅屋跡で国道を横断すると、旧道はその崖下を流れる餅屋川の渓流に沿って続きますが、少し前の資料ではこの区間は現存せず、としていることから、どうやら最近の調査で発見、整備された道筋のようです。
足を踏み入れて間もなく、盛り土の痕跡がそれであることを示している「一里塚(五十三里塚)」跡(上段写真)を通り、そしてその先の光景を目にして、
「神様、これは何かの試練なのでしょうかっ…!?」
一体私がナニをしたと云うのでしょう…!、と思わず天を仰い…だりすると本当に崖下へ転落しそうだったので、さすがにそこまではしませんでしたが、しかし本当に思わずそう呟いて、足元をしっかりと見ながら足早にここを通り過ぎて-なるほど、今まで廃道扱いだったわけです…-、やがてハイキングコースのようなまともな道になったところで国道142号線に合流↓、
ここまで来れば、和田峠越え終了まであと少し。
しかし、「水戸浪人塚」の入口手前まで、またしても歩道スペースの無い所を歩かなければならない恐怖を味わうことに…。
旧道はこの水戸浪人塚の先、樋橋あたりから西を流れる砥川に沿って続いていたようですが、現在は石材関連の作業場などが続く地域となっているなど、痕跡を見つけること自体が困難なため、樋橋地区からは歩道が復活していることでもあり、旧道がはっきりと現存している下諏訪への入口にあたる町屋敷地区までは、さほど道筋が変わらないと思われる国道142号線を歩くことにします。
足を踏み入れて間もなく、盛り土の痕跡がそれであることを示している「一里塚(五十三里塚)」跡(上段写真)を通り、そしてその先の光景を目にして、
「神様、これは何かの試練なのでしょうかっ…!?」
一体私がナニをしたと云うのでしょう…!、と思わず天を仰い…だりすると本当に崖下へ転落しそうだったので、さすがにそこまではしませんでしたが、しかし本当に思わずそう呟いて、足元をしっかりと見ながら足早にここを通り過ぎて-なるほど、今まで廃道扱いだったわけです…-、やがてハイキングコースのようなまともな道になったところで国道142号線に合流↓、
ここまで来れば、和田峠越え終了まであと少し。
しかし、「水戸浪人塚」の入口手前まで、またしても歩道スペースの無い所を歩かなければならない恐怖を味わうことに…。
旧道はこの水戸浪人塚の先、樋橋あたりから西を流れる砥川に沿って続いていたようですが、現在は石材関連の作業場などが続く地域となっているなど、痕跡を見つけること自体が困難なため、樋橋地区からは歩道が復活していることでもあり、旧道がはっきりと現存している下諏訪への入口にあたる町屋敷地区までは、さほど道筋が変わらないと思われる国道142号線を歩くことにします。