最近聞いた馬そりの話を2題。1つは、先日出かけた「富良野やすらぎの刻~倉本聰プライベートライブラリー」で鑑賞した「北の国から」の作品が、猛吹雪にあって車に閉じ込められてしまった雪子さんと純を救ったのは馬そりだったという話です。鑑賞後のトークショーで倉本さんが、馬は人を探したり自分の家を覚えていてこういう時に頼りになるということを富良野へ移住した当時の農家さんから聞いたと話していました。
初めて聞いたその話を一昨日我が家で開いた新年会で美瑛っ子の穐田さんに話したら、彼の子供の頃はまだ馬そりを使っていて笑い話があると聞かせてくれました。冬に飲み屋に出かけた親父たちが酒の勢いで自分たちが乗って来た馬を交換したが、帰りに馬そりに乗って寝てしまったら馬は元の家に戻ってしまい、事情を知らない家人に後ろから「また酔っぱらって」と頭を叩かれて初めて自分は違う家に帰ったことを知ったというのです。
真偽のほどはともかく、美瑛町というか北海道では馬は開拓の時代から人々の生活になくてはならない存在だったようで、農業用ばかりではなく夏の間は荷車をつけ、雪の間はそりを曳いて人や荷物の運搬に重宝したそうです。自動車が普及する昭和40年代(1960年代)まではどの農家にも馬が何頭かいたと聞かされました。そういう文化の延長が今も帯広に残る「ばんえい競馬」なのでしょうか。
馬車は西洋でも当然利用されていたので、私達が住んだプリンスエドワード島でもアンが初めて島に来た時に迎えに来たのはマシューの乗った馬車でしたが、それにしては冬の間の馬そりの話は聞いたことがなかったなぁと調べて見たら、以前はなかった冬の観光ツアーに「馬そりツアー」が設けられていました。
「静かな森の中を静かに馬そりで走ると、赤毛のアンの時代にタイムスリップしたかのよう。」とありますので、日本のようにシャンシャンシャンと鈴を鳴らして走ることはしないようです。今は日本でも北海道開拓村で観光用に馬そりが走っているそうです。
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