今、全国に先駆けて北海道内で映画「カムイのうた」が上映されています。年明けの1月から全国上映となるようですが、美瑛町のお隣東川町が全面的に制作協力したこの映画を是非見たいと思って、一昨日旭川に出かけた際にイオンシネマで見て来ました。
タイトルが示す通りアイヌ民族を扱った映画です。この映画のことを知るまで全く知識がありませんでしたが、登別で生まれ旭川で育ったアイヌの知里幸恵(ちりゆきえ)さんの実話に基づくストーリーです。
彼女は、言語学者・金田一京助氏に触発されてアイヌの叙事詩「ユーカラ」をローマ字で起こし日本語に翻訳した「アイヌ神謡集」を著した人でした。19歳の誕生日に出版の前文を書き上げ、その日の夜に心臓病で亡くなったという劇的な生涯を生きた方でした。
アイヌはアイヌ語を持ちながら文字は持たない民族だったので、先祖代々の教え、言い伝えは全て口頭による伝承の形をとって来たそうです。人と神の共存という独特の世界観、宇宙観の素晴らしさに魅了された金田一氏は、同居していた彼女の伯母からアイヌの文化を口頭で教授されている内に15歳だった彼女に対してアイヌの人々の間で語り継がれている叙事詩「ユーカラ」を文字に著すことを強く勧め、後に東京の彼の家に住まわせて出版までの世話をしたのでした。それを出来るだけの才能が彼女にはありました。
映画を見て初めて知りましたが、明治維新後開拓に乗り出して来た和人によって北海道のアイヌ達はどんどん居場所や生活の糧を奪われていたため、大正期の彼女の時代にはアイヌは土人として差別の対象に貶められ、学校などでも露骨ないじめに会っていました。学業優秀だったためアイヌとして初めて入った旭川女子職業学校でも他の生徒達から「臭い」、「一緒のクラスになりたくない」と言われ続け、ただじっとそれに耐える生活をしていました。
その彼女が金田一氏からアイヌの文化は世界に誇れるものであり、アイヌ民族は堂々と生きるべきだと諭され、東京での差別の現実はやはり厳しかったものの、病と闘いながら出版にまで漕ぎつけたのでした。
私達は、北海道に来てから少しづつアイヌの世界に触れるようになったわけですが、この映画でも頻繁に使われるカムイミンタラ「神々の遊ぶ庭」と呼ばれる旭岳を初めとした大雪山の山々とそこに生息する動物達と共存し、必要なものだけを自然から授かって生きるというアイヌの生き方は、今流行のSDGsの先駆だったようにも思えています。カナダにいた時も先住民族と呼ばれる人達の動向を見聞きする機会はありましたがじっくり向き合うことはなかったので、これからはもっと知って行きたいと思っています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます