▽戦前、右手のマンションのあたりに「若竹座」があったという。(国道1号方面を臨む)
(戦後、映画館(国際劇場)ができ、その後静岡で最初のボウリング場となり、閉鎖後長らく空き地となっていた。)
◆旧「寺町三丁目」は、七間町通りと丁字路(ていじろ)となっていたため、
寺が立ち並んでいた反対側(北側)は、かなり繁華な町だったようです。
寺町三丁目と四丁目は原則からはずれた約1丁半の町となっています。
これは三丁目と四丁目の南側に多くの寺院が集積していて、
実質的に北側だけの片側町となっていたためかもしれません。
また、現駒形通一丁目1番のマンションが建っているあたりには、
戦前は若竹座という芝居小屋があり賑わったということです。
芝居小屋の発生は、
江戸期に寺の境内を使って見世物などを行っていたものが
恒常的になっていったものなのでしょうか。
これらが寺町から七間町通りにかけて見世物小屋や芝居小屋ができ、
さらにそれらが昭和の時代になり
七間町通りに映画館が集積することにもつながっているのでしょう。
往年の、寺町三丁目とそこから丁字型に延びる七間町通り界わいは、
東京の浅草のような静岡一繁華な町だったことが想像できます。
▽寺町附近には菓子屋がたくさんあったという。
創業が1830年代という馬場製菓(現:駿河町7番地の1)は、現在は「茶飴」の店としてが有名だが、
かつてはいろいろな菓子を製造し市中の菓子問屋などに卸していたのだいう。
▽安立寺のあった附近を貫通する現駒形通一丁目の通り(安倍川方面を臨む)
駒形通りが七間町通りとつながったのは大火後かと思っていたが、1935(S10)年ごろのようだ。
右手、奥の現しずてつストアのあるところには、戦後、マルというダンスホールがあってにぎわったとか
▽明治期と思われる寺町附近の地図
地図は重要な情報だが手作業であるがゆえに間違い等も散見される。
寺町四丁目の四が抜けているのは単なる脱落か、はたまた寺近くゆえの意図的なものなのだろうか?
(四が死に通じるなどという迷信は明治期以降だと思われるが、すでにそういう考え方が
この地図にも反映されているというのは考えすぎかもしれないが・・・)
平屋町・江尻町の表記はあきらかに1ブロックずれている。
平屋町は1丁先のブロックで、平屋町とあるは江尻町、
江尻町とあるは下魚町(下魚町は1丁より長い町だった。)の誤りである。
寺の境内の広さは地図どおりというより、位置を示す程度にとらえた方がいいのだろう。
ピンクの部分が三丁目、青緑の線は現在の駒形通り
◆旧「寺町三丁目」は、現在の駒形通一丁目1番~4番、常磐町三丁目1番、駿河町の各一部
で東西の通り沿い約1丁半の町でした。(町名変更は1945年)
◆方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって寺町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。
◆その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。
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