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新・眠らない医者の人生探求劇場・・・夢果たすまで

血液専門医・総合内科専門医の17年目医師が、日常生活や医療制度、趣味などに関して記載します。現在、コメント承認制です。

僕は何がしたいのか…を考える

2011-12-20 23:31:01 | Blogを書く理由

さて、続けます。

眠いうえに酒を飲めなかったから、思わずビールを口にしたら眠くなってきました。

 

本当は今日は医局の忘年会で…参加したかったのですけどね。仕方がない・・・と、一人でビールを飲んだら

「眠いw」

そんな状況です。まぁ、いいでしょう。酔っているわけではないので。眠いだけw

 

眠いので簡単に書いてみます。10日間ほど時間がありましたので、いろいろ考えました。自分自身が何をしたいのか…ということに関して。

 

当然、医師としては血液内科医、腫瘍内科医として臨床現場に立ち、多くの患者さんに尽くしたいと思っています。その先には僕が求めている、さまざまな知識・発見があると思っていますし、それが何よりも楽しみです。

研究もしたいのですが、いま複雑な「がんの生物学」がわかってきています。僕はもともと生物学者志望(小学1年から高校2年まで一貫して言い続けたものです)ですので、こういった話が大好きなのですが…物事は複雑さの先に必ず「単純」なものがあると思っています。

多くの知識がなく、こういったものだ…と単純に考えられていたものが、知識が増え「複雑化」しています。アザシチジン・・・メチル化というものを解除する薬ですが、遺伝子に変異がなくても「メチル化」することで遺伝子が機能しなくなるなど昔は考えもしなかったと思います。p53というたんぱく質があります。このたんぱく質だけで200も300も機能があるといわれている「がん抑制遺伝子のかなめ」のような存在ですが、どうしてこれほど複雑な機能が一つの物質にあるのかわかれば・・・。どうやって機能しているのか。

きっと、さまざまなことがわかり、最終的に単純な真理のようなものが出てくるのだろうと思っています。本当に・・・そういった真理が知りたい。がんの生物学における「真理」がわかれば、心の底から満足して死ねるのだろうと思います。少なくとも追求していくことができればw

 

あ~。そのためには英語だけはやらないとな~。今にして思えば、英語だけは真面目にやっておけばよかったなw

 

さて、医師としてはそう思うのですが…ほかにもいろいろ考えていました。時間があったものですから。

 

僕は教育が重要だと思っています。誰もがそう思っているといわれると思いますが、日本が「下降」しているこんな時だからこそ、教育が最も重要なのだと思っています。

 

日本が下降している。だから教育や社会福祉に使う金よりも、日本を立て直すのに必要な経済などに力(資金)を集中させるべきである。そう考えることは一つの考えだと思います。しかし、日本を立て直すためには数年で立て直すとかいうレベルではないはずです。

そんなに短期間で物事が成り立つと思っているなら、それこそ物事の本質を見ないで「対処行動をしているだけ」にすぎないと思います。

 

僕はあくまで…今を変えることができるのは20~40代くらいの世代の人間たちがまず動き、それが将来に引き継がれ発展していく。それが必要だと思っています。

仮にですが「教師」が「自分より教え子・弟子が高い位置に行く」ことを良しとしなければ、当然ながら「レベルが下がっていくだけ」です。

もし、そうでなかったとしても「状況が悪化したから」といって、教育レベルを下げていけば「レベルが下がっていくだけ」ではないかと。

 

むしろ、状況が悪化している時だからこそ、10年、20年先を見越した教育改革・人材教育が必要であると思っています。

 

僕は大学にいる間、僕が接した研修医の多くに「僕が研修医の時よりも高い能力、識見を・・・」というのを目標に指導(+経験させること)をしてきたつもりです。少なくとも僕が来年大学に帰るとしたら、その頃戻ってくる後輩2人は「研修医時代の僕よりは高く」飛翔し、帰ってきたときにも僕よりも高い位置でさらに飛翔すると確信してます。

他の研修医の先生にも「僕はこういう指導を受けたかった」と思うことはしてきたつもりです。厳しかったかもしれませんがw

 

そうでなければ「レベルが高まっていかない」じゃないですか。

 

日本のレベルと医局レベルを比較してはいけませんが、常に構成が高まっていくようなシステムにできなければいけない。そう思っていますし、そうする必要があると思っています。

 

僕は「医療」でいうならば「医局改革」の必要があると思っています。以前、某医学系雑誌に匿名で「横断的な教育組織」へ医局を変えるべきだと書きました。今でも考えは変わりません。

医療における「臨床」「教育」「研究」の3つの分野において「臨床」と「教育」は横断的にすることで、それぞれは高みを目指していけます。新たなシステムに変えることができないのは「古いシステム」の成功にしがみついているだけ。新たな時代が来た時に「古いシステム」のままで対応できるわけがない。「インターネット」という情報化の時代に「紙媒体」で情報をやり取りしていたらどうでしょうか。

今年の頭に「アラブの春」と言われる出来事がありました。アルジャジーラとインターネット、特にインターネットが重要な役割を果たしました。

この情報化の時代に「インターネット」をうまく利用できなければ、情報にのまれ、取り残され・・・そうなることは必定だと思います。

 

教育に関しては「医局」という「医療」だけではなく、一般教育もいろいろ考えてしまいます。

 

僕は昔から「多重知能理論」を僕なりのものですが持っていました。ハワード・ガードナーの多重知能理論とは異なる、僕の考え方ですが・・・

すべての人の才能の総量は同じである。ただ、その才能の配分が違うだけ。才能は傾きであり、時間をかけても(まさに掛ける:×)傾きが0に近ければ能力の伸びは少ない」そう考えています。だから僕は「すべての人の才能」を尊敬します。少なくとも僕よりも高いセンスを持つ分野が必ず人にはある。

本当は子供のころからそういったセンスを伸ばしてやる必要が、これからはある。今までの教育は画一的で「一定レベル」の人間を大量に作る(表現が悪いですね)にはよかったと思いますが、これからは知識や情報をどう応用できる人材を作るか。情報が無限にある中で、必要なもの、自分に関係のあるものを選別し、応用発展させていく力。全員が同じものを身に着けているよりは、複数のとびぬけた分野を持つ人材が「でこぼこ」にいるほうが良い。画一的な教育をしても、これからの時代には意味が乏しいのではないでしょうか。最低限必要な教育を行いながら、得意分野を伸ばしていく。「知識」「情報」の奔流…知恵の時代に入っているのだと思います。

一般教養は必要です。僕は高校時代からは「教育」を「大学入学のための知識遊び」と軽く見積もり失敗しました。まぁ、高校入試も半年前から1時間も勉強しないで受験しましたけどね…(本当にやる気が出なくてw)。大学に合格したものの、今でも「高校時代に遊ばなければよかった」と後悔しています。まぁ、後悔というのは「後で」するものですから、仕方がないのですけどw

さて、そんな僕が「教養」をこれ以上減らすか…というと減らしません。変えるのは2点。

1、評価の仕方

2、自由科目の設定(得意分野を選ぶ、もしくは何が得意か、何が面白いと思うか・・子供のころから追及する)

この2点を僕は導入したい。

 

評価の仕方と書きましたが、5段階評価を止めるとかそういう意味ではなくて「試験」は力試し。勉強のきっかけにすぎない。やはり、何をしたいのか。子供たちにも目標を常に持ってもらうべきです。何を目標にするのか。目標を達成できたのか。「ポートフォリオ」的な考え方ですが、適切な目標を設定し、それに向けて自分自身でどうそれを達成し、実際にできたのかが重要ではないかと思います・。教師はそれを助け、最後に評価する。

 

目標を達成できた子供はすべて認められる。

全ての人は「面白い」と感じたもの、認められた能力の分野で花を咲かせるのではないかと思います。僕は生物学や医療の分野でした。

 

子供に大きな目標・・・まさに人生の目的のようなものをみつけるのは時間がかかるかもしれません。

しかし、そういったものを早期に見つける。そうして細かい目標を次々に達成する。そのための自分探しの時間はあってしかるべきです。もしくは自分の目標を達成するために必要な時間を。

 

僕はその二つが今後の子供の教育に必要ではないかと感じています。

 

もちろん、僕は完全な人間ではなく、むしろさまざまな欠点がある人間です。しかし、そのような欠点のある人間が大勢集まって、より良い案を作り出していくのではないかと思っています。

 

僕は僕の職場の「医療システム」を変えることができないかと思っています。僕の考えを職場の同僚(というか、立場上は部下になる)に話をしたところ、現場としてはそういうシステムに変えてほしいという話でした。

僕が「どうせ変わりはしないよ。この職場w」と考えていても、僕がもしこの職場に居続けるのであれば「変えに行く」でしょう。

 

それが僕という人間だと思います。

 

しかし、僕は一番重要なのは「日本の教育」だと思っていますし、次に「がんの生物学の真理」です。

 

あ、その前に一応、家族ができたら「家族」とさせてください。僕自身は「自己犠牲」でもなんでもOKです。けど、自分よりも友人や仲間を大事にしたいと思っていますし、それが僕だと思っています。けど、優先順位をつけるならやはり家族を上に持ってきたいですね。

 

だから今の職場の改革は公的には3番目。僕が思っているくらいのこと(具体的な、より具体的な考えも含め)は恐らく少し考えている人は考え付くはず(実行するかしないかは別として)で、それを行うエネルギーの大きさが・・そして「すぐに成功する類のものではなく、10年先、20年先を見据えたもの」である性質上、今のシステムではなかなか難しいのかもしれません。

まぁ、僕のイメージでは・・・文句は出ないはずなんだけどな(どこに不利益が出るのかが、僕の中では不明)。

 

そう考えています。

 

僕はこういった目的をもって人生を歩んでいきたいと思いますし、死んだときに何を残しているのか、周りがどういってくれているかは僕の知るところではないですしねw

ということで、10日ぶりの自宅での睡眠…をこれからとりたいと思います

いつも読んでいただいてありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。

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慢性疾患が急性疾患をきっかけにあらわになったらどうしますか?

2011-12-20 20:22:56 | 医局制度改革・医学教育改革

こんばんは

 

10日ぶりに都会の空気を吸いましたw

出張先はとても寒かったので、帰ってきたら多少はいいかなと思いましたが・・・関東も寒いですね。

 

さて、今日はいくつか久しぶりなので記事を書きます。金正日死去の話も気になりますが…それは今後の体制変化を見ていかないとわかりませんしね。僕が自分の意見を書いても、自己満足で終わるので書きません。

 

まずはこちら。

 医師を養成する医学部の新設はここ30年以上認められていません。文部科学省の検討会は1年近く、新設の是非をめぐり、委員が意見をぶつけ合いましたが、結論は得られていません。医学部設置でなぜここまで、論争が起きるのでしょうか。

 ――今なぜ、医師を増やす医学部新設が検討されているのですか。

 「救急患者のたらい回しや自治体病院の休止など、2007年ごろから地方で医師不足による問題が相次いだことがきっかけです。解決策として、09年に政権交代を果たした民主党は、医学部定員を1・5倍に増員することを掲げ、医学部新設も検討課題にあげました。10年12月から、日本医師会、大学病院、自治体など関係者による検討会で論議が始まり、今に至っています」

 ――その結果、どう結論づけられそうなんですか。

 「新設を認めるべきという推進派と、否定的な慎重派の溝は深く、一本化できそうにはない状況です

 ――慎重派の論拠はどこにあるのでしょうか。

 「医師不足は既存の医学部の定員増で十分対処できるというのが慎重派の考えです。09年度から大幅な定員増が始まっており、12年度には07年度に比べ1366人増の8991人(防衛医大除く)に達します。実に、医学部13校分に相当します」

 「日本医師会の試算では、この規模の定員数を当面続ければ、2025年時点で病院などの勤務医は10年に比べ5万8000人増の33万9000人となるそうです。逆に人口は減るため、1000人当たりの医師数は現在の先進国の水準に追いつきます。医学部をいったん作れば、医師が過剰になっても廃止は難しいというのも、新設に慎重な理由となっています

 ――推進派の考えは。

 「必要とされる医師数は、定員増ではまかないきれないほど、当面増え続けると見ているからです。技術の進歩で治療をあきらめていた重症患者も助けられるようになり、その分、多くの医師が治療に携わるようになっています。その傾向はさらに進むと見ています

 「将来的に全体的な人口が減少していくのは確かですが、治療の機会が多い高齢者は増え続けます。また勤務医の過重労働を軽減するため、より多くの医師が必要になるとしています

 ――新設に名乗りを上げている大学・病院は。

 「医師が少ない東日本の大学・病院で準備する動きがあります。大学卒業者を医師に養成する4年制のメディカルスクール(医学大学院)は、費用も抑えられるため、検討している施設は多いのですが、今のところ、実現するかどうかは不透明です」

 「仙台市の東北福祉大・仙台厚生病院や栃木県大田原市の国際医療福祉大は、地域枠や奨学金制度を活用し、医師不足に悩む地域の要望にこたえる医学部新設の計画をまとめています」

 ――今後の見通しは。

 「文科省は1月15日まで、一般からの意見を募集しています。最終的には検討会の意見を参考に、政治家が決定します。新設の方向が出れば、文科省内の審議会であがってきた申請を個別に審議することになります。早くても2~3年先になりそうです」

 「定員増や医学部新設を進めたとしても、現場に医師が出て行くのに10年程度の時間が必要です。地域医療の疲弊に対しては、大都市圏と地方の医師の偏在解消や勤務医の負担軽減などに継続して取り組んでいく必要があるでしょう」(渡辺理雄)

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さて、僕はこの問題に関しては一貫して同じことを書いていますが、今すぐに医学部を新設するのには反対。ただし、状況が改善されればすぐにでも新設する方が良い。そう考えています。
理由は今までに書いてきたように「医学部を新設すれば、それを教育するだけの教員が必要になる。今の日本にその余力はない」と、考えています。ですから、既存の医学部の定数増から入っていくほうが良いと思います。
しかし、この記事にも書かれているように「2025年には医療の発展+高齢者の割合の増加」により、医師・医療従事者の必要数は増加すると僕も考えています。それ故、ある程度の体制が確立されれば医学部新設も含めて医師数増加に舵を切るべきであると考えています。
僕も含めて医師ブロガーと言われていた人たちが、この「医師不足」・・・問題を書き始めたのが2006年ころだと思います。僕が2006年7月にBlogを開設しましたが、それでも早い方でした。
僕自身が「新臨床研修初年度」ですが、これにより「医師不足」になったといわれています。医師不足になったのではなくて、「医師不足が顕在化」しただけですが・・・。
ここで皆様に質問いたします。
たまたま肺炎で入院したのをきっかけに「肺癌」が見つかったらどうされますか?肺癌は症状がないので、放置…という人がいるでしょうか?
僕は多分治療しますね、治るみこみがあるなら。
医師不足もそういった問題です。新臨床研修医制度をきっかけに「慢性の問題」であった医師不足が顕在化しました。
家族関係が壊れたり、自分の健康を害したりする医師がいて成り立つ医療。クリントン現国務長官が1990年代に日本に来た際に「クレイジー」と言わしめた「聖職者」であった日本の医師。
医師数が業務内容に比較して減少しているため(相対的に医師数は減少傾向)、ついに破綻しかけている…という状況です。
今なら治るかもしれない。もう少しで手遅れになるかもしれない。それが現状だと思います。
それを改善するために、一人一人が動く時だと思っています。
今度は引用記事なしに、僕の考えの一つを書いてみたいと思います。

いつも読んでいただいてありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。

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P.S この記事も気になったのですが、いまさらですね。

診療報酬改定で厚労、財務両大臣が折衝-小宮山厚労相「終始、平行線」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111220-00000005-cbn-soci

 小宮山洋子厚生労働相は20日、2012年度の予算編成をめぐり安住淳財務相との折衝に臨んだ。しかし、診療報酬の引き上げを求める小宮山厚労相に対し、安住財務相は10年度に実施した前回の改定で対応済みとの立場を崩さず、終始平行線をたどった。

 小宮山厚労相が折衝終了後、厚労省内で記者団に明らかにした。政府は12年度予算案を24日に閣議決定する方針で、両大臣はこれに向けて21日以降も折衝を続けるが、調整は難航しそうだ。

 小宮山厚労相は20日の折衝で、小児科、産科、外科、救急医療などを充実させるため、薬価を含む診療報酬全体で前回並みの引き上げ(0.19%)を主張。財務省側が求める長期収載品薬価の大幅引き下げについても、「あり得ない」と反論した。

 介護関連では、介護職員の処遇改善が必要との認識では一致した。しかし、安住財務相は社会福祉法人が内部留保を蓄えていることを理由に、介護報酬の引き上げに難色を示したという。

コメント (2)
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