2024年8月31日
この日は、台風10号の影響で、特に午前中は関西地方は大雨予報
名古屋~東京間の新幹線は、終日運休と
台風10号と重なった大阪旅行
さすがに、この日は、大雨、下手したら暴風雨でホテルに缶詰めかなと思っていたら、風も全くなく、優しい雨が降っているだけの大阪の繁華街
それどころか、雨もあがってきた…
ので、出掛けをば
JR大阪城北詰駅で、降りて
向かったのが
久しぶりの大阪城
30年前に、エリック・クラプトンの公演で、大阪城ホールへ出掛けた際、寄ったことのある大阪城
それ以来の大阪城
なんか、さすがに、30年前とは、イロイロモロモロ変わっていたような
そもそも、今回アクセスで利用したJR大阪城北詰駅もなかったんじゃないかな
おお、外堀に架かった橋、新鴫野橋から
大阪城がみえる!
模擬城だと分かっていても、テンションのあがる瞬間
この天守閣の廻り
大阪城公園の散策のレポをば
大阪城公園案内図
城跡マニアの私にとっては、眺めていて実に楽しい図
新鴫野橋の説明板
この橋は、豊臣秀吉時代の絵図や大坂の陣を描いた古絵には描かれていないことから、徳川政権時、大坂城の修築以降にこの新鴫野橋の元となる鴫野橋が架橋されたらしい…
新鴫野橋の奥に天守閣
外堀、その奥にみえる高層ビルとが、時空を超えて、一枚の写真におさまってる感じがして、なんかいいよね!
秀吉が、この光景をみたら…
「大坂夏の陣」同様に驚いてることでしょう
外堀と石垣
青屋門
大阪城には四つの出入口があり、その一つが青屋口…そこの桝形にある門が青屋門
立派な青屋門があるけど、残念ながら復元されたもの
「青屋」の名前は、戦国時代この地にあった大坂(石山)本願寺の寺内町「青屋町」に由来するようで
青屋門をくぐって、みえる堀は内堀
この石垣、高さが日本一なんだそうな
高さ32メートル
桝形の石垣かな
二の丸と山里丸を繋ぐ
極楽橋
豊臣秀吉が1583年に築造を開始した大坂城のときに、すでに、この付近にかけられた橋を極楽橋と呼んでいたそうな
大阪夏の陣で、落城後、豊臣大坂城は埋められてしまったけど
徳川幕府が再建した時に、この極楽橋も、架けなおされたよう
江戸時代には幅8mの木造だったが、明治維新の大火で焼け落ちてしまう
その後1965年に再架橋
長さが54m、幅5.4mで橋脚と主桁は鉄筋コンクリートで造られているけど
擬宝珠高欄が歴史的な江戸時代の雰囲気を醸し出していまして
大坂城をバックにインスタ映えする写真がとれちゃう!絶好のフォトスポット
極楽橋より、内堀を望む…
極楽橋を渡ると
山里丸
そこは、今は刻印石広場になっていて、刻印入りの巨石がゴロゴロ放置されてる
こうやって、刻印探しをすると楽しいかも…この日は、小雨も降って足元悪く、蒸し暑いので、すぐやめたけど
大阪城天守閣を、みあげるくらいに近づいてきました!
内堀の遠くには高層ビル群
山里口出枡形
徳川家による再建で設けられたよう
天守閣を見上げる!
エレベータのくっついたこの光景
昔の鉄筋コンクリートでできてた名古屋城が思い出される
天守閣のある場所は本丸
そこにある
豊臣秀吉手植えの樟
大坂夏の陣、あるいは、明治の大火で、残っていないのでは…といった
名探偵コナン?…もとい…迷探偵コンナン(困難)こと、私の推理は的中でした!
どうやら、陸軍第四師団の師団長の小川又次さんが、1898年に改めて樟を植えたらしい…
金明水井戸屋形
大阪城天守閣に入場する直前に、目に留まる…
小天守台の中にある「金明水 井戸」
井戸を覆う屋形は徳川期から残った建造物
秀吉が水を清めるためにこの井戸に黄金を多数沈めたという伝承もあって
ずっと豊臣秀吉が関係している井戸だと信じられていたんですが、調べてみるとそうではなくて、徳川大坂城時代のもので
江戸時代のときのネーミングは「黄金水井戸」
天守閣に一番近い井戸なので「黄金水」、少し離れたところにある井戸が「金明水」、続いて「銀明水」との順で名前が付けられていたようで
…と随分、ブログが長くなっているので
今回は、この辺で終わった方が…い井戸…もとい…いいど…
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