新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

小山さん(小山卓治さん)と小山城に行く!

2023-08-09 06:48:53 | 小山卓治

小山卓治さん「小山城」に行く…

まるで、出オチのよーなブログになりそうだけど

まずは、この石碑の前で、無理無理、城主になった気分になってもらって…

ポーズをば…

 

 

これ、「小山城」とかいて「コヤマジョウ」と読むのであって

「小山卓治さん」は「コヤマ」ではなく「オヤマ卓治」だけど…

なんせ漢字が一緒だから、小山さんと一緒に「小山城」に行きたかったのよ!!無理してでも、連れて行きたかったのよ!!

もし小山さんが「大山卓治」だったら…「小山城」が「大山城」だったら立ち寄らなかったと思われる「小山城」…笑

 

「小山城」というだけあって、小さな山の上に「小山城」が建立されていました…

あ、これ、厳密には、再建された城ではなくて、城モドキ「郷土資料館」

まあ、城のバッタものですけど…

お城がみえれば…そこに登っていきたいぞ!!

「小山城」

 

この色褪せた…昭和に作られたっぽい…案内看板によると…

この能満寺山公園の上の方にあるらしい…

 

イラストが消えかかってる感じもする小山城

 

ここが公園の入り口…小山城の矢印看板も…

あの…けして、矢印が上を向いているからって、見上げても雲だけで、小山城はありません!!

 

ちょいと歩くと

能満寺

臨済宗妙心寺派のお寺で

ご本尊は釈迦牟尼如来さま…。能満寺は、

707年に行基が3体の虚空蔵菩薩を作り、その一つを安置したのが始まり…元寇の役が起ると、勅願所として戦勝祈願が行われていたとか…

1319~1320年には伏見天皇の勅願により寺領として片岡荘51町歩が寄進され、境内には七堂伽藍が造営

歴代領主からも庇護を受け、戦国時代には武田家、武田家が滅亡後は徳川家が保護し、龍潭寺(浜松市)、貞永寺(掛川市)と共に遠州臨済三名寺に数えられたとか…

 

この境内には、天然記念物に指定され、日本三大蘇鉄にもなっている

能満寺のソテツ

能満寺のソテツは、995年に安部清明が中国から持ち帰り植えたと伝えられているとか…

 

これが本堂

 

ここに鎮座する辻のお大師様の案内看板の文字は消えかかっています…

 

これが、その「辻のお大師様」のおられる大師堂

 

ちなみにこの能満寺の境内にある「小山城」の案内看板は、文字が消えておらず…はっきりと読めます

 

そんな城主??小山卓治さんが

河津桜の写真を撮る図…

 

 

境内には本堂の他にもお堂がたくさんありました…

 

大日如来さまのお堂

 

 

吉祥不動明王様のお堂

 

 

 

さらに、ひたすら急な坂を登れば…

虚空蔵尊

 

急な坂の廻り道でここまで登ってきたけれど…

女坂と呼ばれる急な坂道をね…

虚空蔵尊と一直線の石段の急すぎる高さはエグイ…

江戸時代から多くの人が石段を踏み外して、階段落ちしていたんだろうな…と遥かなるいにしへへ思いを馳せながら…

 

その横には…仏様オールスターズ

 

 

ひたすら登って…登って…

城主の小山卓治さんもひぃひぃふぅふぅ言いながら…

 

 

登り切りました…小山城…

 

小山さんと小山城

小山城と小山さん…小山城と小山さん…小山城と小山さん

 

 

公園ですので見事に整備されちゃってて、あまり古の感じはしませんが…

ところどころ、昔のままの遺構が残っていて空堀がはっきりとわかります…

一方…こちらは、完全に公園として、綺麗に管理されていますが…復元されたものではありますが…

三日月堀

そう、ここ小山城は小山卓治さんが築城した訳ではなく(当たり前)、1572年、武田信玄が遠江侵攻に際し築いたとされる城なんだな

その後、徳川氏と武田氏の間で奪ったり奪われたりの激しい攻防を繰り返したが、1575年の長篠の合戦で武田氏は織田・徳川の連合軍に大敗…1582年に武田氏は小山城に火を放ち、甲州へ落ち延びたのちに滅亡…小山城は廃城したとのこと…

 

さてさて、三日月堀は復元されたものとのことだけど、三の丸の西側には、当時のままと思われる遺構「三重堀」が残っているんだな…

 

三重堀には山本勘介ゆかりの勘助井戸があるらしく…そこには赤い口した蛭がいるそうで…敗北を悟った武田信玄こと武田軍は城に火をつけ本陣の甲府へ逃げ帰ろうとした…その際、当時の大井川の激流を渡るには女子供は足手まといになるだろうと愛する夫の無事・帰郷を祈りながら女たちは自ら井戸に身を投げたとのことで…その霊たちは口の赤い蛭へ姿をかえたという伝説があるそうな…

 

虎口…土橋があったところ…当時はこんな赤い橋はありませんよ…ただ、この土橋を渡った広場にほんまものの…小山城があったらしく

 

こちらは、犬山城を似せて作った、本来の小山城の形とはなんの関連性もない城風展望台…

 

土橋(虎口)と呼ばれる場所の手前には

馬出

人馬の出入りを秘匿するとともに虎口を防御する機能

丸くなっているので、これは「丸馬出」と呼ばれていて、この先に三重堀があって、しっかり防御の工夫をされた城だったんだな…ってことがよーく伝わってくる…

小山さんが小山城を撮る…図を挟んで

ではでは、早速、犬山城を模した「小山城」…展望台へと…

武田信玄や武田勝頼に一瞬にしてなれる、B級スポット、昭和臭漂う観光地にはありがちな顔ハメパネルを横目でみながら

 

吉田町展望台小山城の文字が、かなり消えかかっています…

中へと…館内は城モドキ「郷土資料館」

武田信玄と勝頼

♪甲斐の山々 日に映えて 我出陣に憂いなし~

「武田節」を口ずさみたくなる私…

この武将、「いつか河を越えて」…そう「いつか大井川を越えて」やってきたんでしょう…そして

♪ここでは誰もが口癖のように
こうつぶやいている
いつか河を越えて~

と…大井川を越えて、西に攻めていったんでしょう

 

(あ、小山卓治さんファンならピンときましたよね…)

おお、武田信玄さん!!

甲冑のデザインが、顔ハメパネルのイラストとおんなじだー!

甲冑は、おそらく復元したものっぽいけど、こちらはホンモノっぽい…

「手鏡」と「武田家使用の馬具」

小山城の「ジオラマ」

確かに三重堀が三日月型だー!

 

ちなみに小山さんにも「ジオラマ」というめちゃカッコイイ曲があります…

「ジオラマ」勝負なら、小山さんの歌の方が圧勝だな???

ちなみに…この犬山城を模した「小山城」…コンクリの階段が強烈でした…

ひぃひぃふぅふぅ…これは私の吐息でもありますし、小山さんの吐息でもあります…

展望台近くには。武田信玄が姫とイチャイチャ??しているイラストが…

 

で、城主気分で、眺める小山さん…(あ、城主気分になっているかどうかはわかりませんが…)

見下ろした光景…

ぐるっと廻って…廻って…

 

 

小山城をでて…もともと、ほんまもんの城があったらしい、本丸に向かって、最後に散策をば

 

もう一度…小山さんと小山城

小山さんと小山城

 

小山さんと小山城

 

小山さんと小山城

 

 

犬山城にそっくりな…小山城にいけば…

やっぱ、犬山城にも行きたくなるよね…笑

♪ここでは誰もが口癖のように
こうつぶやいている
いつか河を越えて~

犬山城に行くぞー…笑…って

 



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