恵那市明智町にある
龍護寺に行く
臨済宗妙心寺派(竜泉派)のお寺で山号は大明山
ご本尊は釈迦如来さま…
龍護寺は旗本の明知遠山氏の菩提寺…「遠山の金さん」で有名ですよね…
元々ここには楞厳院という草庵があったようだけど、1596年に明知城主・遠山利景が城の北に浄地を選んで禅刹一宇を建立…その際に、楞厳院を改め龍護寺とし、そこから龍護寺は遠山家の菩提寺となったとのこと
で、実は、このお寺は、明智光秀公縁のお寺でありまして…このお寺に、光秀公御霊廟(供養塔)があるのよ…
さてさて龍護寺に近づくと…まず目に留まるのが
このソコソコ巨大な
「おかげさま地蔵」さま
私もソコソコテンションがあがる!!まあ、基本的に私、巨大仏フェチなところがあるのでね…
この世で…フツーに50ウン年、生きてこられたことを、この地蔵様に託して感謝して…
「おかげさまで…」と合掌
その地蔵の脇には…この看板が…
もう、早速、龍護寺の山門をくぐる前に、ここ龍護寺に参拝しに来たメインの目的の光秀公御霊廟(供養塔)とご対面です!!
その明智光秀公御霊廟(供養塔)
看板には「御霊廟」(ごれいびょう)の漢字に「おはか」とのふり仮名が…
小学生にもわっかりやすいー!!
鳥居に一礼して、くぐって合掌…
光秀公に関する碑は「悲痛な想い」でことごとく割れるといった通説どおり、こちらにある供養塔も斜めに大きくひび割れが入ってるそうで…
霊廟の前には、
教科書に載っていそうな光秀の肖像画と
桔梗紋が…
その右側には
「明智光秀公出生地」の石碑と卒塔婆が建立…
卒塔婆の側面には、
「敵は本能寺にあり」の文字が…
お墓にもっていきたいほどの「無念」だった…ということでしょうか…
さてさて、本堂に合掌する前に、手合わせしておきたい、みておきたい明智光秀公御霊廟(お墓)を拝見しちゃいましたが…
この大明山龍護寺の説明板の横には「明智遠山氏」の家系図
遠山の金さんで有名な「遠山景元」も記されていますなあ…もちろん、明智光秀も
龍護寺案内図を眺めて…本堂へと…
山門をくぐる手前には
弁天様(厳島神社)のような祠が…
網がはってあって、「鯉」が逃げないようにしているのでしょうか…
ここで、拝めば、あなたの「恋」も逃げない…と…50過ぎてもロマンチストな私…(笑)
山門をくぐって
本堂にて合掌…
本堂の扉は閉められていたので、手前の賽銭箱へ…
そして合掌…
さてさて、本堂むかって左側に建立されていたのが
達磨堂
木に描かれたダルマの図…
北辰妙見達磨…こちらが御本尊様でしょう!!
堂内…ダルマがいっぱい!!
この達磨のように「必勝」
これからは、達磨のように「七転び八起き」といきたいところだけど、実際は、「七転八倒」…達磨のように「手も足も出ない」場面が多々あるんですけど…汗
さてさて、その奥…木々で覆われた場所には
「明知遠山家累代の墓」
向かって左は遠山景行、利景、方景まで、初代から三代のお墓
右側には、四代から十一代のお墓
奥の祠は明智遠山氏累代のお墓…「名奉行、遠山金四郎景元」も合祀されているとのこと…
おお、ここに「遠山の金さん」も眠っているのね…
最後に紹介するのが、その横にある
如意輪観音菩薩像
二座の如意輪観音菩薩像が建立…
左側の像は遠山伊次公の後室凉光院様の墓で丸に二つ引の紋が付けられ
右側は大奥の老女となった遠山景逵公の四女岩岡局の墓で丸に桔梗の紋が付けられており、家紋が使い分けられているそうな…
こちらは遠山伊次公後室、凉光院の像
丸に二つ引両の紋
それに対して、こちらは、遠山景逵公の娘、岩岡局の像
丸に桔梗紋
明知遠山氏は確かに土岐氏或いは明智氏につながるとも考えられる桔梗紋が…
明智光秀公は…ホントはどこで生まれたのでしょう…???
可児市か…この明智町か…
可児市に行けば明智光秀公は可児市で生まれたに違いない…
そして今回、明智町に行けば明智光秀公は明智町で生まれたに違いない…
単純にそう思ってしまう私なのです…
このブログも…どうぞ、ご一緒に…(笑)