明智光秀公縁???のお城を訪ねる旅…
私の多彩な…実に多彩な…笑…
関心事のひとつに…
城址巡り…がある…
そう…私…城址マニア…
それも…ただの城址マニアではなくて…
城址で…いにしえのあれこれを…
勝手に想像して楽しんじゃうという…
妄想城址マニア…笑
で…ありまして
一言いうなら
模擬で建てられた城なんて
いらない…
土塁…石垣…
などの遺構を手掛かりに??
あれこれ
妄想の中で
築城してしまう…
城址マニアなんだな…
そんな私が今回、攻城したのが…
恵那市明智町にある明智光秀公縁のお城かも知れない???
明知城址に行く!
ところで、
「明「智」町」にあるのに…「明「知」城」
ちなみに鉄道も「明「知」鉄道」…でも、駅名は「明「智」駅」
「知」なのか「智」なのか…
使い分けが大変な「明「智」町」にある「明「知」城」
別名は間違えないよ!!白鷹城
そんな明知城(白鷹城)は
「遠山の金さん」の祖・明知遠山氏の築城であり
さらには、先ほどから綴っているように、明智光秀の生誕の地と伝わっているけど、実は岐阜県可児市にある明智長山城も生誕の地と伝わっていて…正直わからないらしい…
明知城(白鷹城)は明知遠山氏、それに対して可児市にある明智長山城は土岐明智氏
明智光秀は「土岐氏系統」と言われていますので可児市が生誕の地なのが有力でしょうが…
この明知城(白鷹城)址を登れば…ああ、ここで明智光秀は生まれ育ったのね…と…そんな気になってきます…
明知城は、1247年遠山景重によって築かれたと伝えられていて
戦国時代には、美濃攻略を狙う武田と織田の争奪戦が繰り広げられる…
始めは武田信玄に従っていた遠山家だが、明知城主遠山景行は織田信長の婚姻政策によって織田勢についていた
1570年武田信玄軍の武将、秋山信友は岩村城を攻略した後、上村合戦で遠山景行が明知城主だった明知城を攻略…この上村合戦で遠山景行は戦死する…
明知遠山氏は秋山勢に敗れ、織田信長に救援を求める…織田信長は明智光廉を急派し、秋山勢を美濃領から駆逐するように命じる…両軍は美濃と三河の国境にある小田子村で対陣、三日間に渡る激戦の末、秋山勢は敗れて撤退した…
1572年武田信玄の武将、信濃国高遠城主秋山信友に三千の兵を率いさせ美濃に侵攻、女城主となっていた一人身のおつやの方を籠絡し結婚を条件に和議の申し入れを受け開城させ岩村城を手に入れる…
- 1574年 武田信玄の遺志にて武田勝頼は美濃攻略の拠点となる明知城を、一万五千の大軍をもって襲撃する…明知城主遠山一行・叔父利景らは兵五百でこれを防ぎ、織田信長に急を報じた。信長は奈良多聞山城から呼び寄せた子、信忠と明智光秀とともに、三万の兵にて明知城西八丁の鶴岡山に布陣し、包囲された明知勢と連絡して武田勢を挟撃しようとする…
しかし城内では謀反が起こり、援軍として在城する坂井越中守を滅ぼし、また搦手水の口曲輪が破られ城郭・城下は火の海となり、明知城は武田方の手に渡った…
1575年、織田信長は長篠の戦いで武田勝頼を破ったのに続いて、信忠を総大将とする武田征伐軍が武田方に占拠された諸城を次々に奪回し、明知城も再び織田方の城となり、遠山利景と一行は、明知城に帰還
1583年、美濃の領主であった信長の三男信孝を追い出し自害させた秀吉のもと、池田恒興が岐阜城主となり、その娘婿で東美濃を任された森長可が支配する…
1584年、小牧・長久手の戦いにおいて、岩村城主森長可が没したその隙に、家康の命により明知城を奪還する…しかし、家康が和睦し、天下人豊臣秀吉に城を長可の弟、森忠政に返すよう命じられ、森左近が明知城城代となる
1600年関ヶ原の戦いで、家康は秀忠軍が通ると想定されたことから、利景に東美濃奪還を命じた…利景の子の方景とともに、明知城を奪取し東美濃を平定、岩村城も開城させた…
その後、1615年、一国一城令により廃城
といった、戦国時代にとったりとられたりといった戦国の激動の渦に巻き込まれた城でして…
石垣とかは見当たらなんだけど、土塁、堀切竪堀、横堀、切岸など、古の戦国ロマンが感じられるくらい…そこに残っているんだな…
平山城ですが…そんなに高く上ることもなく…ウォーキングにもってこい!!
でも、ニョロニョロとか出そうで、夏場の攻城はお勧めできませんが…私は、季節のいい2021年の11月に行ってきました…
「大正ロマン館」の裏に伸びる山道…天神神社登り口から、明知城の城攻めをば…
そして、あっさりと記された案内板
獣道のようですが…こういった案内板がちゃんとあるので、さすがに方向音痴の私でも迷いません…が…
山城なので、当然登ります…ひぃひぃふぅふぅ…
天神神社に到着…参拝がてら一休み…
この天神神社は京都の北野天満宮の分祀だそうで
ここは、光秀公学問所と呼ばれていて、光秀が若かりし頃、学問に精通していたと伝わる場所…らしい…
そうだったら、この地が光秀公生誕の地で間違いないでしょう??
中央に「座り牛像」が祀ってありました…
万ヶ洞天神神社というらしく…その由来が記された解説板…
ここで、明井光秀公が幼少期、学問をしに、この城の中腹のこの神社に通っていたという悠久のロマンに想いを馳せながら、お賽銭10円を投じようとしたら
「あ、ケチ」(明知??…(笑))…と、どことなく声が聞こえてきたような気がしたので…えーい!ここは100円投入だ!!
さてさて、天神神社を後にして、当然またまた登る!登る!!ひぃひぃふぅふぅ…
大堅堀の案内板
堅堀とは斜面に対して縦方向(等高線に直角)に設けられた堀のこと…敵の自由な移動を妨げるために設けられた堀…
敵は堅堀(かたぼり)から襲ってきたのだろうけど、私には肩こり(かたこり)が日々、襲ってきている…
上手いこと言えた!座布団三枚かな!!
明知城址(本丸)まで、0.1キロの表示…これには俄然、元気が湧いてくる瞬間
その本丸の手前には、貯水池
枯れちゃってるけど、これがそのようで…
手前と奥と2つの溜池になっていたのが、わかりますよね…
水源となる井戸がなかったため、雨水を飲み水にするために、石や砂利を通して天然のろ過をする造りになっていたようで…
本丸へ行く前に出丸に寄ってみる
その途中には、土橋の址
出丸
見張りの役目や、敵の奇襲を防ぐため、さらには敵を攻撃するための独立した曲輪の址
そこには、礎石が…
その礎石を覗き込むと穴ぼこが…
ここに柱がハマっていたんじゃないかと、妄想を繰り広げる妄想城マニアの私…なんでも、陣旗を立てる基礎(旗竿石)か、茶室に付属する手水鉢か、諸説があるそうだけど…柱がハマっていた…ということはなさそう…
そのそばには「切岸」
造成した人工の断崖…要は石垣はないけど…城壁
この腰曲輪…といった土塁で囲まれた一段高いところが本丸です…
さてさて、いよいよ「虎口」から本丸へと…
本丸
城主が実際に住んでいた曲輪
武田軍によって、ここが「火の海」となり…「アチチ…アチ」と…「アチチ城」になっていたと思われる歴史の残る「アチチ城」…もとい…「アケチ城」
本丸の表示看板…ここに本陣屋があったことを示す看板…
もっと詳しい解説案内板も…
さらには、明知城縄張り図
見事に堀で囲まれていますね…さぞかし、攻め落とすのは大変だったんじゃないかと思われる…
そんな本丸から、明知城城主になったつもりで、眺望を楽しむ…
といっても、一段下の腰曲輪のあたりを見下ろしただけだけど…苦笑…妄想の中で敵の軍勢を描きながら…そこからも、簡単には昇ってこれんやろ!!
でも、遠くには日本大正村がみえる!みえる!はい、明知遠山家の城主になったつもりで…心の中でこの歌を
♪遠き山に日は落ちて~…はい、明知遠山家だけにね…汗…もっと、ひねらんと!!
もう本丸との境目は崖!崖!崖!!
さてさて、明知遠山家の城主気分を妄想の中で満喫した後は、登ってきた方向とは別の方向へと下山をば…
まずは、二の丸から続く腰曲輪へと降りて…
そこには、帯曲輪の桝形虎口を知らせる案内看板が
帯曲輪の桝形虎口とは、戦国時代の末期になって、初めて造られた形の虎口のことで、虎口の前面に方形の空いた場所を設けることで、直角に曲がらないと門へ入れないため、より横側からの効き目のある攻撃が出来るようになってたんだな…
木で茂って、ちょいとわかりにくいけれども…敵が側面から攻撃されている場面を妄想で描いて…
ここからは下る!下る!!…この径は、明知陣屋跡に繋がっていくんだけど、こちらから登った方が傾斜が急のように感じたかな…一気に下っていく感じで…
その途中には
武者走りの案内看板が…
この獣道を武者は走ってたんですね!!
さらに、下ると「堀切と曲輪」の案内看板が…
堀切とは、尾根伝いの侵入を防ぐため、尾根を断ち切って設けた堀のこと…このイラストがわかりやすい!!
その説明板
草に覆われちゃってますけど、この辺りに「堀切」が残っていることを示す看板
畝状空堀群
曲輪
まるで、空き地(あきち)のようになってますが…
この城は空き地(あきち)城じゃなくて、明知(あけち)城
桝形
そして、どんどん降りていくと、ここに「大手門東砦」があったようです…
土塁を眺めながら、降りる!降りる!!
すると明知城を降り切ったところには、稲荷社がありまして…
さらに降りると、明知陣屋跡に…もうフツーの民家になってましたね…明知陣屋跡は…
明知陣屋跡のある明知城登城口には、冠木門が設けられていることから、私の登った逆方向で、明知城の本丸を目指す方の方が多いのかも知れません!!
武田軍の攻撃で火をつけられ、アチチとなっても「アチチ城」じょうじゃなくて、「あけち城」
焼け焦げちゃって、本丸が空き地のようになってても、「アキチ城」じゃなくて、「あけち城」
そう、ここに城があったのよ…
と尋ねたここは、跡地…
だからといって、「あとち城」じゃなくて…「あけち城」
帰り道、転びはしなかったけど、木の根に足をひっかけて「あ、けちまづいた!」(け躓いた)といったオヤジギャグを最後にかかせてもらって…
はい、これにて、おしまい!
えっ?オチがつまらないなんていって…このブログに「あ、ケチをつけないで」ね!!