ようこそ西千葉へ アミーゴ.

ゴールは88歳。誰も教えてくれない12年。主役は自分だ。昨日はもう来ない今日を明日をどう生きる。わはははーアミーゴ

西千葉の歴史は

2010年04月03日 | 地域通貨ピーナッツクラブ
1942年に東京大学第2工学部が、現在の千葉大学と東京大学生産技術研究所の敷地に設立される。第2次世界大戦、日本が戦うためになのでしょう。
1949年、東京大学生産技術研究所に変わる。
1955年、西千葉キャンパスが
1962年、東京大学敷地の三分の二が千葉大学になる。
戦争から平和に向けての物語でしょう。
「西千葉」という言葉が広く伝わるようになったのは戦後のことです。千葉市の都市計画の中で西千葉地区が文教地区となり、ゆりの木商店街の信号の先に県営住宅「コンクリート4階建て」が、千葉市で1番最初にたった文化住宅です。
昭和31年、佐倉中学校「長嶋茂雄卒業」を卒業し、現在地にあった新聞販売店に住み込みとして就職しました。ゆりの木通りは舗装されていませんでした。街路樹には桜が植えてありましたが、現在の台湾楓にいつ変わったのかは記憶にありません。昭和35年西千葉春日町にある東洋美容学校に入学「もちろん新聞配達をしながら」昭和36年卒業、昭和39年12月21日現在地に美容室をオープンしました。23歳のときです。西千葉には54年間住んでいることになります。
ながーい時が過ぎ69歳、「アイラブ西千葉からあいらぶ西千葉へ」

西千葉は、東京大学から千葉大学へと変わるが「知」と「若者が全国からあつまる」まちとして、これからも変わることなく発展していくのでしょう。   「人の英知が社会をつくる。」

桜が満開の中、美容室の丸い窓から外を眺め、ほんの少しだけ感慨にふける。木々が大きくなったなあと、   あみーご