ようこそ西千葉へ アミーゴ.

ゴールは88歳。誰も教えてくれない12年。主役は自分だ。昨日はもう来ない今日を明日をどう生きる。わはははーアミーゴ

やってみなはれ。やるのだー

2014年11月30日 | 地域通貨ピーナッツクラブ

西千葉イレブンプロジェクト。思えば、ぜーんぶと言っていいほど、やってみなはれ精神だよなあ、国の補助金制度への応募「資格もないのに、」チャレンジこの苦しさと引き換えに得た経験はすごい

・15年間貸さないという大家さんに、ぜーんぶピーナッツクラブ西千葉が責任をもってやるので貸してくださいとお願いする。なんと「じゃんけんぽん」と「ふくろう館」を借りオープンさせる事が出来ました。今ではユリノキのイメージがすっかり変わり明るくなる。

・資金を提供した人達、企画を立ててくれた人達、運営をされる人達、解体から改修工事を担当された人たちとボランティアで参加してくれた方たち、

・福八むすび、福八ご飯を製造しまちづくりをサポートしてくれている人達

・千葉経済大学。短大、高校との共同がすすすみました。

・NPO法人コラソン千葉、サッカー教室開催、西千葉賑わいづくり「スポーツをとうして」

・スポット、まちの映像掲示板「社会実験」東京で働くサラリーマンのアイデアを実現させる

・介護相談会・なんとユリノキの空き店舗を使い介護事業をやるので協力をと

・おしゃれメイク教室・ウェデングドレスパーティをやりましょうと即決「高齢者の方でウェディングドレスを着たことのない方に、「じゃんけんぽん」でメイクをしてドレスを着る、ふくろう館でお披露目パーティを開く、写真、動画撮影をして、ユーチューブ、スポットで流す。2月の第3土曜日の予定です。

まちのにぎわいづくり、参加する人達がものすごく増えてきた。それも新しい人と若者そして女性が、やってみなはれ精神ですね。こんなことひとつやれるのか、大丈夫か、失敗したらどうするのだ、若い人と女性に任せて・・などなど、やってみれば心配することなどなーいのです。

自分たちの町、みんなでやればこわくない。あみーご


住んでいたところは、

2014年11月29日 | 地域通貨ピーナッツクラブ

佐倉市鹿島町「佐倉市城台」戦争に負け軍隊が解体された元陸軍57連隊兵舎に住みました。小学1年から中学を卒業するまでの9年間です。4棟がある中の1号館、木造2階建て、建物真ん中に廊下がありその両側に6畳ぐらいの部屋が、1棟に40から50世帯が同居する。炊事場は共同で1世帯に1個のコンロがある。便所も共同で昔の学校の便所のようでした。お風呂は1か所で2日か3日に1回入れました。ノミ、ダニはうようよだったなあ、6畳一間に家族5人で住んでいました。部屋が狭いとか貧しさが悲しいとか思ったことはまったくないのです。同じ環境に同じ境遇の人たちが住む特別なまちでした。あみーご


ひもじさ、記憶に残ること

2014年11月27日 | 地域通貨ピーナッツクラブ

ひもじい記憶は、小学生の3年か4年ごろお昼休みになると家に帰る。食べるお弁当がないのです。何でだろう。今でもわからない。夕方坂の上で母ちゃんを待つ「妹と弟と」失業対策事業の作業員としてはたらいている母ちゃんを腹がすいているのでひたすら待つ、姿が見えると駆け出した。お菓子屋さんで飴を盗もうとして親父さんに捕まる。怖かったー。学校から帰ると食べるものを探しに木の実を、植物を、何でも食べた。口に入れで食べられるかを判断したのです。この文章を書きながらあまりにも貧しかった時の事を思い出し・・・胸が熱くなる。昭和21年ごろから27、28年ごろまでかな、学校に行くことは嫌ではなかった。満州からの引揚者とアメリカ軍の爆弾で家が焼かれた人達が住んでいた、佐倉鹿島台元陸軍57連隊兵舎に住んでいた多くの子供たちの境遇でした。貧しかったのです。あみーご


「3」東京府麻布区新堀町で

2014年11月25日 | 地域通貨ピーナッツクラブ

昭和16年3月31日に長男として生まれる。第2次世界大戦がはじまる前でした。20年7月7日、千葉市院内町に住んでいました。アメリカ軍戦略爆撃機の爆撃により旧市街は燃え尽くされる。死傷者1300名とも、8月日本の敗戦、日本人の死者は300万人とも言われているのです。この数字を理解することができないぼくです。佐倉第1小学校に入学するまでの記憶はない。すべてを失った親は佐倉57連隊兵舎にすむまで、どのように暮らしたかは聞いていない。1年生の入学式、親と離れたとき泣いてしまったひ弱な子供だった。あみーご