ようこそ西千葉へ アミーゴ.

ゴールは88歳。誰も教えてくれない12年。主役は自分だ。昨日はもう来ない今日を明日をどう生きる。わはははーアミーゴ

あたらしい火葬場

2010年05月31日 | 地域通貨ピーナッツクラブ
千葉市に出来た新しい火葬場、何を紹介することが良いのかは分かりませんが、さすが千葉市の火葬場、多分最先端の設備とサービス、場所は今までとは遠くなりましたが車社会なので問題は無いのでしょう。人が生を受けて亡くなる。必然のこと、私にとり大切な親しい方です。自分で亡くなったときのことをキッチリと決め準備をされていたとの事、こうありたいなと考えました。合掌、
       あみーご

見かけで判断をしてはいけない。

2010年05月27日 | 地域通貨ピーナッツクラブ
時間をみつけて、ふくろう広場の掃除に行く、クスノキの花芽か実かは分からないが、それは見事に地面を覆うほど散っている。最近は私達以外にも近所のUさんが掃除をしてくれています。早速備え付けのほうきで掃き始めるとベンチで寝ているおじさんがムックリト起き上がりほうきを取りに行き掃き始めました。私の心が一瞬ですが動揺しました。長い年月掃除をしていますが、ご苦労様、大変ですね。などなど声を掛けていただきますが掃除を手伝ってくれた方はほとんどいません。なんと住む家の無い方が黙って掃除を始めたのです。    ありがとうございます、と声をかけると、うんとうなずいてくれました。雨で濡れているので乾かしてから袋にいれるから、そこにまとめてくださいと、やはり、うん、と返事をしてくれます。綺麗になってきたので、あみーごは終わりにしようと思い。終わりにしますので、
・ありがとうございますと声かけをして美容室に戻りましたが、まだ掃除を続けてくれていました。  なんともいえない嬉しさでした。
人の行為とは、 外見では図れないし、 まちには多様な人たちが住んでいることを改めて感じました。 とても、嬉しい出来事でした。   あみーご   

総武線・西千葉駅と西千葉人生

2010年05月25日 | 地域通貨ピーナッツクラブ
昭和31年佐倉中学校を卒業した翌日、総武本線佐倉駅にて母親の見送りをうけ石炭の噴煙をもうもうと上げながら奔る汽車に乗り千葉駅へ、 15歳の春、家を出て独立した海保でした。千葉駅で乗り換えて西千葉駅へ、54年前の西千葉駅、少年の心が何を感じたのかは思い出せません。現在の美容室MADOKAの場所にあった新聞販売店の住み込み店員としての就職でした。住む部屋は3畳一間、独立した部屋でした。中学を卒業するまでは6畳の部屋に家族5人で住んでいたことを思うと感激でした。それから55年が過ぎ69歳、明日は「ピーナッツクラブ西千葉10周年謝恩パーティー」が開かれます。西千葉で過ごす人生も最終章、
思いのまま生きてみたい。 せめて最後の10年ぐらいは、    楽しく、ゆっくりと、多少わがままに、   あみーご

ガンを克服した友人、

2010年05月22日 | 地域通貨ピーナッツクラブ
50代の男、元気な声で携帯に電話あり、 大腸ガンで人工肛門をつけ抗がん剤を服用中、物凄く辛いのだと、気持ち悪く食事も美味しくないが俺はガンバルと、   手術をしてからどれほどか、・・・・・人間の持つからだの力と精神力を高めるために、食事をきちっとする。毎日朝散歩を40分、ゴルフを楽しむために練習を多くする「短い時間だけれど」、美容師なので午前中だけは仕事をする。商売をがんばる。・・・・・電話での報告は来月ゴルフに行きましょう。海保さんを車で自宅に迎えに行きますと、明るい声で話す。担当の先生がガンが小さくなったので抗がん剤はもういらないと、本当に前向きに考え行動したことが奇跡を起したのだろうと、6人の入院していた人達はもう4名が亡くなりましたと、
生きる。生きることとは、人生とは、何を目指しているのだろう。元気な報告に海保も元気に、よーし、ゴルフ頑張るぞ、あみーご

シンビジュームの株分け、

2010年05月21日 | 地域通貨ピーナッツクラブ
あつーーい。 陽の射す美容室のウラで植木鉢からシンビジュームを取り出そうとするが、頑張っても取り出せません。トンカチで植木鉢を叩き割ってやっと、  ふう、あつーい。 根っこを壊すがコレが又、大変、 3つに鋸で切り分ける。シンビジュームを育てる土を入れてつき固める。 肥料をやり水遣りをして一段落。 さあ、これからの手入れが大切です。 やれるかなあ、シンビジュームのためにも努力しよう。
冬から最近まで咲いてくれたガーデンシクラメン。夏越しができれば冬に咲くと書いてありましが、今までは咲きおわればそれでおしまいでした。咲かせられるかどうか手入れをしてみます。
初夏、夏、秋は「コリウス」で店頭のイメージをつくろう。時間と根気が必要です。   あみーご