このごろわけもなくザワザワと…と胸がざわめきます。思わず大声で叫びたいような衝動。からだの底からふつふつとたぎってくるその正体はなんだろう。
これに似た胸のうずきを若いころにも感じたことがあります。え、恋わずらいだって。はっははは…冗談はよしてよ。海保まこと、70歳。ちょっとまあ、ボクの話を聞いてください。
このあいだ“ふくろう公園”で植え木の手入れをしていたときのことです。胸のざわめきを振り払うように作業に気をいれていると、ふいに「でんでんむしのかなしみ」という童話を思い出したのです。なんの脈絡もなしにです。
作業に集中すればするほど、かえって頭のなかはデジタル思考になって、色んなことを考えるもンなんですね。つぎにボクはあと何年がんばれるかなと思い、つぎに、はじけるように聞こえていた子どもの声はどこへ行ってしまったのだろう…と思いました。
人通りが少なくなった町。店のシャッターは閉じたままでひっそりしています。町や、店や、人々が元気がなくなったと感じるのはボクだけだろうか。新美南吉の書いた「でんでんむしのかなしみ」はこうです。
ある日、一匹のでんでん虫は、
自分の背中に悲しみをいっぱい背負っていることに気づいて友人のでんでん虫にそのことを話しました。
「背負いきれない悲しみのために明日にでも死んでしまうのではないか」と。すると 友人は「何をいってるんだい。私だってこんなに大きな悲しみを背負っているではないか」
合点のゆかないでんでん虫は 次の友人、ほかの友人に同じ悩みをうちあけました。返ってくる答えは みな同じでした。
でんでん虫は はたと気づきました。「そうか、僕だけではないんだ。みんな苦しみや悲しみを背負って生きているんだ」
でんでん虫は悲しむのをやめました。――ぼくは、このでんでん虫だな。
そのときです。ぼくは、このでんでん虫だなと思った瞬間、胸につかえていたザワザワ感がすーっと消えてゆくように感じたのは。
自分にはまだやれることがあるのではないか。人のために、地域のために役立てることがあるのではないか。
ぼくはあるときでんでん虫になって、貝に閉じ込めている誰かの悩みを聞いてあげよう。
そうだ、ぼくはでんでん虫になろう。急ぐことはない。ゆっくりと進めばいい。貝が歩くと書いて貝歩。海保まこと~転じて~貝歩まこと。はっははは、こりゃあいい。
でんでん虫は、近ごろとても寂しいのです。
商店街から“音”がなくなってしまったからです。店のシャッターを開ける音、おはよう! 歩道を掃くホウキの音、子どもの泣き声、そして笑い声、いまはもう高齢者のうがいする音もいまではなつかしい。高齢者こそニッポンの宝ものなのに、声をおさえてなんで家に閉じこもっているのだろう。
でんでん虫はブルッとひとつ身ぶるいして「だ・ぢ・づ・で・ど…」と口の中でつぶやきました。でんでん虫のまじない。
「だ・ぢ・づ・で・ど…! だ・ぢ・づ・で・ど…!」
すると、胸の中から昇華の炎がぢんぢんとたぎってくるのでした。
もしかしたら、ボクはでんでん虫になるために70年の人生を歩いてきたのではないか。
寂しかったら「さみしい」と、悲しいことがあったら「かなしい」と言ってほしい。迷惑をかけてもいいじゃないの、それが地域のつながり。
地域でつながって、お喋りし、学び、遊んで、趣味の技を磨いてどんどん暮らしをふくらませよう。それが「でんでんむしの貝」。急ぐことはないさ、ゆっくりと「でんでんむしの貝」といっしょにづんづん歩んでもらいたい。
だんだん ぢんぢん づんづん でんでん どんどん…
美容師のボクにできることを考えた。そうだ。足の不自由な人のところへは、出かけて行って髪をスッキリさせることができる。
カミさん歯科医だから、モノを食べるのに困っている人の相談相手になってやれるだろう。からだが不自由な人のところへは、介護スタッフがお役にたてるはず。
昨日より今日、1ミリでも前向きにだんだん自分らしく生活できたらいいなぁ。
海保まこと 昭和39年 千葉松波に「まこと美容院」を開店。その後、「MADOKA美容院」に改名 現在に至る。
これに似た胸のうずきを若いころにも感じたことがあります。え、恋わずらいだって。はっははは…冗談はよしてよ。海保まこと、70歳。ちょっとまあ、ボクの話を聞いてください。
このあいだ“ふくろう公園”で植え木の手入れをしていたときのことです。胸のざわめきを振り払うように作業に気をいれていると、ふいに「でんでんむしのかなしみ」という童話を思い出したのです。なんの脈絡もなしにです。
作業に集中すればするほど、かえって頭のなかはデジタル思考になって、色んなことを考えるもンなんですね。つぎにボクはあと何年がんばれるかなと思い、つぎに、はじけるように聞こえていた子どもの声はどこへ行ってしまったのだろう…と思いました。
人通りが少なくなった町。店のシャッターは閉じたままでひっそりしています。町や、店や、人々が元気がなくなったと感じるのはボクだけだろうか。新美南吉の書いた「でんでんむしのかなしみ」はこうです。
ある日、一匹のでんでん虫は、
自分の背中に悲しみをいっぱい背負っていることに気づいて友人のでんでん虫にそのことを話しました。
「背負いきれない悲しみのために明日にでも死んでしまうのではないか」と。すると 友人は「何をいってるんだい。私だってこんなに大きな悲しみを背負っているではないか」
合点のゆかないでんでん虫は 次の友人、ほかの友人に同じ悩みをうちあけました。返ってくる答えは みな同じでした。
でんでん虫は はたと気づきました。「そうか、僕だけではないんだ。みんな苦しみや悲しみを背負って生きているんだ」
でんでん虫は悲しむのをやめました。――ぼくは、このでんでん虫だな。
そのときです。ぼくは、このでんでん虫だなと思った瞬間、胸につかえていたザワザワ感がすーっと消えてゆくように感じたのは。
自分にはまだやれることがあるのではないか。人のために、地域のために役立てることがあるのではないか。
ぼくはあるときでんでん虫になって、貝に閉じ込めている誰かの悩みを聞いてあげよう。
そうだ、ぼくはでんでん虫になろう。急ぐことはない。ゆっくりと進めばいい。貝が歩くと書いて貝歩。海保まこと~転じて~貝歩まこと。はっははは、こりゃあいい。
でんでん虫は、近ごろとても寂しいのです。
商店街から“音”がなくなってしまったからです。店のシャッターを開ける音、おはよう! 歩道を掃くホウキの音、子どもの泣き声、そして笑い声、いまはもう高齢者のうがいする音もいまではなつかしい。高齢者こそニッポンの宝ものなのに、声をおさえてなんで家に閉じこもっているのだろう。
でんでん虫はブルッとひとつ身ぶるいして「だ・ぢ・づ・で・ど…」と口の中でつぶやきました。でんでん虫のまじない。
「だ・ぢ・づ・で・ど…! だ・ぢ・づ・で・ど…!」
すると、胸の中から昇華の炎がぢんぢんとたぎってくるのでした。
もしかしたら、ボクはでんでん虫になるために70年の人生を歩いてきたのではないか。
寂しかったら「さみしい」と、悲しいことがあったら「かなしい」と言ってほしい。迷惑をかけてもいいじゃないの、それが地域のつながり。
地域でつながって、お喋りし、学び、遊んで、趣味の技を磨いてどんどん暮らしをふくらませよう。それが「でんでんむしの貝」。急ぐことはないさ、ゆっくりと「でんでんむしの貝」といっしょにづんづん歩んでもらいたい。
だんだん ぢんぢん づんづん でんでん どんどん…
美容師のボクにできることを考えた。そうだ。足の不自由な人のところへは、出かけて行って髪をスッキリさせることができる。
カミさん歯科医だから、モノを食べるのに困っている人の相談相手になってやれるだろう。からだが不自由な人のところへは、介護スタッフがお役にたてるはず。
昨日より今日、1ミリでも前向きにだんだん自分らしく生活できたらいいなぁ。
海保まこと 昭和39年 千葉松波に「まこと美容院」を開店。その後、「MADOKA美容院」に改名 現在に至る。