ようこそ西千葉へ アミーゴ.

ゴールは88歳。誰も教えてくれない12年。主役は自分だ。昨日はもう来ない今日を明日をどう生きる。わはははーアミーゴ

パンフレットができたぞお

2011年04月29日 | 地域通貨ピーナッツクラブ
このごろわけもなくザワザワと…と胸がざわめきます。思わず大声で叫びたいような衝動。からだの底からふつふつとたぎってくるその正体はなんだろう。
これに似た胸のうずきを若いころにも感じたことがあります。え、恋わずらいだって。はっははは…冗談はよしてよ。海保まこと、70歳。ちょっとまあ、ボクの話を聞いてください。

このあいだ“ふくろう公園”で植え木の手入れをしていたときのことです。胸のざわめきを振り払うように作業に気をいれていると、ふいに「でんでんむしのかなしみ」という童話を思い出したのです。なんの脈絡もなしにです。
作業に集中すればするほど、かえって頭のなかはデジタル思考になって、色んなことを考えるもンなんですね。つぎにボクはあと何年がんばれるかなと思い、つぎに、はじけるように聞こえていた子どもの声はどこへ行ってしまったのだろう…と思いました。
人通りが少なくなった町。店のシャッターは閉じたままでひっそりしています。町や、店や、人々が元気がなくなったと感じるのはボクだけだろうか。新美南吉の書いた「でんでんむしのかなしみ」はこうです。

ある日、一匹のでんでん虫は、
自分の背中に悲しみをいっぱい背負っていることに気づいて友人のでんでん虫にそのことを話しました。
「背負いきれない悲しみのために明日にでも死んでしまうのではないか」と。すると 友人は「何をいってるんだい。私だってこんなに大きな悲しみを背負っているではないか」
合点のゆかないでんでん虫は 次の友人、ほかの友人に同じ悩みをうちあけました。返ってくる答えは みな同じでした。
でんでん虫は はたと気づきました。「そうか、僕だけではないんだ。みんな苦しみや悲しみを背負って生きているんだ」
でんでん虫は悲しむのをやめました。――ぼくは、このでんでん虫だな。

そのときです。ぼくは、このでんでん虫だなと思った瞬間、胸につかえていたザワザワ感がすーっと消えてゆくように感じたのは。
自分にはまだやれることがあるのではないか。人のために、地域のために役立てることがあるのではないか。

ぼくはあるときでんでん虫になって、貝に閉じ込めている誰かの悩みを聞いてあげよう。
そうだ、ぼくはでんでん虫になろう。急ぐことはない。ゆっくりと進めばいい。貝が歩くと書いて貝歩。海保まこと~転じて~貝歩まこと。はっははは、こりゃあいい。

でんでん虫は、近ごろとても寂しいのです。
商店街から“音”がなくなってしまったからです。店のシャッターを開ける音、おはよう! 歩道を掃くホウキの音、子どもの泣き声、そして笑い声、いまはもう高齢者のうがいする音もいまではなつかしい。高齢者こそニッポンの宝ものなのに、声をおさえてなんで家に閉じこもっているのだろう。

でんでん虫はブルッとひとつ身ぶるいして「だ・ぢ・づ・で・ど…」と口の中でつぶやきました。でんでん虫のまじない。
「だ・ぢ・づ・で・ど…! だ・ぢ・づ・で・ど…!」
すると、胸の中から昇華の炎がぢんぢんとたぎってくるのでした。

もしかしたら、ボクはでんでん虫になるために70年の人生を歩いてきたのではないか。
寂しかったら「さみしい」と、悲しいことがあったら「かなしい」と言ってほしい。迷惑をかけてもいいじゃないの、それが地域のつながり。
地域でつながって、お喋りし、学び、遊んで、趣味の技を磨いてどんどん暮らしをふくらませよう。それが「でんでんむしの貝」。急ぐことはないさ、ゆっくりと「でんでんむしの貝」といっしょにづんづん歩んでもらいたい。
だんだん ぢんぢん づんづん でんでん どんどん…

美容師のボクにできることを考えた。そうだ。足の不自由な人のところへは、出かけて行って髪をスッキリさせることができる。
カミさん歯科医だから、モノを食べるのに困っている人の相談相手になってやれるだろう。からだが不自由な人のところへは、介護スタッフがお役にたてるはず。
昨日より今日、1ミリでも前向きにだんだん自分らしく生活できたらいいなぁ。     

海保まこと  昭和39年 千葉松波に「まこと美容院」を開店。その後、「MADOKA美容院」に改名 現在に至る。

登米・南三陸町から帰って

2011年04月28日 | 地域通貨ピーナッツクラブ
地震、津波、人が建物が流され壊れた町には人はだれもいない。目にする人は自衛隊員の方達のみ。僕の心は何を感じたのか、・・・出会った人は被災している人ばかりだが、

薬局の男性経営者とお母さん
美容室の女性経営者とご主人
大人の生き様を魅せ伝えてくれた男性
久々出会えた優しい笑顔の男性

「町役場の若手職員と佐藤町長」男の生き様を感じました。

地域通貨 ザ、ハイカラのメンバーの方たち・・・何処に行っても、どこにも地域を大切に人のつながりを広げている人がいる。 お金の大切さを大事にしながらも、人のつながり、思いやり、優しさをもつ人たちが、

天皇、皇后陛下がお見舞いに行った南三陸町 その2日前の景色は同じ、 優しさに満ちた両陛下から、生きる希望をもらえたのでしょう。

明日からのぼくは やすらいだ気持ちを持ち続けたいな 少し休憩します。  ちょっと疲れたのです。  皆様もゆったりと、     海保まこと

   ・遠くで思うこと「登米・南三陸町を」

2011年04月23日 | 地域通貨ピーナッツクラブ
西千葉から、登米、南三陸町のことを思うとき、少し胸が苦しくなる。もし 自分が同じ状況にあったとき、なにを想い日々を過ごし生きるのか、 誰の助けも借りず、今日を生きるために頑張るのか、  少しだけ冷静になり困難に立ち向かい頑張るのか・・・どうだろうか、 動揺して後になって考えると 何をしてたのかと反省するような行動になるのか、 わからない。  千葉市がアメリカ軍の爆撃機で焼夷弾攻撃を受け焼きつくされたとき、私は「4歳4ヶ月」記憶はほとんどないが、あそこに、ここにと頼れる人を頼りに、こじきのような生活をしたのではと、6歳で小学校に入学したときに住んだところが、焼け出された家族と満州から引き上げた家のない人たちだけが住む「軍隊の宿舎」でした。そのときの貧しさを語ることはできない。 状況は違うが 東日本大震災被災者の皆様と似ていることがあるのではと、 4歳4ヶ月の子供はどのように生きるのだろうか、

それから66年が過ぎる。 家がなくても貧しくても生きてこれた。私に何があったのだろうか、 「人間の持つ生きる力を信じたい。」  海保まこと

大地震と千葉市庁舎は

2011年04月21日 | 地域通貨ピーナッツクラブ
数日前の昼間 久しぶりに経済企画課を訪問 正面玄関を入ると、なに この暗さは、節電中とはいえ気持ちが悪い。 正面に受付の職員が2名、右の壁面には天井までシートが覆っている。 左側も同じシートが天井から、人影もまばらで・・・2階の部屋でお話中、ゴーゴーガラガラと異様な音がする。一瞬、地震 でも違うなあと ナンですかこの音はと聞くと、 台車の音、古いからではと、      埋め立て跡地に立つ千葉市庁舎、財政再建中だから、立替を積極的に進めることは難しいが、 市民に現状を知ってもらう必要があるのではと、 ふと 思う。 いやな話ですが房総沖地震が取りざたされる中、 何が必要なことなのかを、 以前 千葉市長から建替えの必要性を聞きましたが、    市庁舎を訪れてばかな海保でも心配しました。 夜 登米市の友達と電話での会話中 大きな地震を感じる。 登米でも来た来たと、 今日を生きる。 明日の為に・・・海保まこと

年寄りの寝言・ ぶつぶつ・・・

2011年04月20日 | 地域通貨ピーナッツクラブ
自分勝手なこと・腰がいたいのです・・・なに・竹の子ほりに行って1本しか取れずに残念・
・時間が取れずにブログを書けない・  いいわけですが
・美容室が遠くてカットにいけず、 おじいさん風です。 あたりまえかな・・・
・地震後夕食を食べ過ぎて、お腹が気になるのです。 ぜいたくだよ。食べるのをへらせばと・・・
・物忘れが激しく、認知機能の衰えに・・・ぐすん
・ビールを飲むのを減らしたのに・・・なに・毎日飲むようになってしまったのです。 あああ
・今月 ゴルフにいけないのです。 何を言ってんだか、みんな大変なのに
・余裕がない。   何をいってんだか、  ゆっくりが大事と言ってるのに・・・ごめんなさい
・多くの皆様に迷惑をおかけします。ごめんなさい。   ありがとう。

快晴、市原の竹山で遊ぶ、 腰が痛いほど体をいじめる。 蘇我にある「銭湯 石の湯で湯浴み」  ビールを飲んでテレビの前で、 ごろ寝、豚さんになる
     海保まこと