グラニーのブログ

旅の思い出

ペルーの遺跡を訪ねて マリア・ライへ博物館

2011-02-27 07:51:31 | Weblog
地上絵の解明や保存に貢献したマリア・ライへの研究所を利用した博物館だ。入口を入って一番手前の部屋にナスカの文化遺産に関するものが展示されており、土器や墓地で発見されたミイラの頭蓋骨などを見ることができた。その奥は地上絵に関する部屋で、マリア・ライへの研究や保存運動の様子を写真や文章で知ることができた。一番奥にはマリア・ライへの研究室が再現された部屋がある。庭にはマリア・ライへと妹のレナーテさんのお墓があった。


博物館入口(左上)入って右側にある財団事務所(右上)
マリア・レイへの写真(左下)手前の部屋の掲示物の一部(右下)



発掘された土器の破片(左上)
掲示されていた地上絵(右上、左下、右下)



展示されていた土器の一部、右下はミイラの頭蓋骨



マリアレイへが地上絵の測量に使ったメジャー(左上)
再現されたマリアレイへの研究室(右上)
マリアレイへが地上絵を破壊する車の人たちを追跡するのに使った車(左下)
博物館の庭、甕のようなものは葡萄酒を作る器(下中と下右)



博物館の庭にあるマリアレイへ女史のお墓(左)
妹さんのレナーテさんのお墓(右)



セラミック工場
博物館見学の後、風が強くて飛行機が飛ばないので、地上絵見学の遊覧飛行は明日に伸ばしてセラミック工場に。工場と言っても手工業の小さな工房だ。
発掘された土器を参考にして作っているのだそうです。愉快なおじさんで、父は土器を磨くのに髪の油を使っていたが、私は鼻の油を使っているとか言っていた(本当かどうかは分かりません)。サンダルと靴を片方ずつ履いていたので、聞いてみると糖尿病で、足の傷が治らなくてリマの病院で手術してもらったのだということだった。土器を焼く窯もとても簡単でびっくりしました。


工場の入り口(左上)
この土器を磨くのに鼻の油を使うと言って笑わせているところ(右上)
絵付けの筆は赤ちゃんの髪の毛を使うのだそうです(左下) 土器を焼く窯(右下)







ペルーの遺跡を訪ねて ナスカへ

2011-02-20 08:19:56 | Weblog
年齢的にも少しきついかなと思ったが、前々から訪ねて見たいと思っていたナスカの地上絵とマチュピチュの遺跡の案内を見て、思い切って行くことにした。今回は、集合が午後だったので、初めてバスを使って成田空港に行った。東名では雪を被った美しい富士山が何度も姿を見せてくれ、その姿の美しさに感動し、横浜で成田行きのリムジンバスに乗り換え、横浜港の風景を楽しみながら空港に到着。空港のおいしい手打ちうどんのお店で昼食を済ませ、集合場所へ行く。ここまでは順調だったが、これからが年齢のいっている私たちには大変だった。成田からヒューストンまで13時間、ヒューストンからリマまで6時間の飛行だ。バスでホテルに着いたのが、午前2時半ごろ、観光のための支度をして床に就いたのが3時半過ぎ、4時にはモーニングコールがかかることになっている。眠っている時間はないので、ベットの上で軽い体操、3時50分には起きだして、身支度をする。4時半朝食、5時目的地に向かって出発だ。


富士山 ・  横浜港


ヒュ―ストンの飛行場


リマのホテル

リマからナスカへ
リマのホテルから陸路バスで7時間、やっとナスカに到着。道中現地ガイドさんが色々の話をしてくださったが、彼はフジモリファンらしく、フジモリ氏の功績についても話してくれました。その一つが砂漠を耕地に変えた功績だった。砂漠を走っていると、ひょろひょろとした木が植えられている。その木は水がなくても育つ木だとかで、この木をフジモリ氏は北の方に沢山植えて林を作り、作物ができるようにしたということだった。また砂漠に、白い建物が幾つも見えたが、これはすべて養鶏場で、砂漠は広いので、好きなだけ建てることができ、風通しも好いので養鶏場に適しているとのことでした。


リマからナスカに向かう途中の風景 
(左上)砂漠の中の山 バスの左側はずーと砂漠 (右上)日本人が上陸した岬
(左中)最大のブドウ園 ワイン用
(右中)白い建物は養鶏場 このような建物があちらこちらにある。
(左下)世界一長い高速道路 (右下)高速道路で亡くなった人のお墓



トイレ休憩で立ち寄ったホテルの中庭 
木の所にかけてあるSALIDは英語のEXITに相当する
 


中庭に咲いていた花
アカシア と ブーゲンビリア



ナスカの町風景








スイスアルプスの旅 チューリヒへ

2011-02-13 07:44:15 | Weblog
ツエルマットのケーブルの駅近くで昼食を取り、川沿いに歩いてツエルマットの鉄道の駅に向かっていた時、民族衣装をまとったおばあさんに出会った。どうもお祭りに参加するための衣裳のようだ。6月から8月にかけてスイスでは各地でお祭りがあるとのこと。更に駅近くになると音楽も聞こえてきた。駅前には民族衣装を着た人たちが大勢いたので、早速写真を撮らせてもらった。


昼食を取ったレストラン
雲が切れたマッターホルン(レストラン近くで撮影)



民族衣装をつけた人たち 
最初にお会いした老婦人(左上)
進んでカメラの前ん立って下さった老夫婦(右上)


ツエルマットの駅前でホテルから届けられた荷物を受け取り、バスで名前は忘れてしまったが鉄道の駅に行き、アルプスをトンネルで通過してチューリッヒに行く陸のフェリー(人間も車もバスも一緒に乗せて行く列車)に乗り、チューリッヒへと向かった。


陸のフェリーの駅 と 列車
列車がトンネルに入るところ(列車内から撮影)


チューリッヒ
スイス第一の都市。スイス北部に位置し、チューリッヒ州の州都。ジュネーブと共にスイスへの空の玄関口で、銀行や証券会社の集まる国際金融都市だ。しかし町自体はチューリッヒ湖畔の小さな緑園都市で、中世の歴史を今に伝えている歴史都市でもある。また、商業や文化の中心地でチューリッヒ大学、チューリッヒ連邦工科大学などの教育機関も多く文化都市ともいえる。



チューリッヒの 街風景





スイスアルプスの旅 ツエルマット2(マッターホルン)

2011-02-06 07:53:11 | Weblog
翌朝早くに前日のヴューポイントに行き、朝日に照らされたマッターホルンを堪能した。通常はマッターホルンの頂上から順次山が赤くなって行くのだが、その日は雲のためかはじ巻きになってしまった。


早朝のマッターホルン ハジ巻きがだんだん太くなっていきます


マッターホルン
標高4478m。今では登山路が整備され、良いガイドさえがいれば誰でも登頂できるようになったマッターホルンだが、19世紀半ばまでは全く登攀不可能だと思われていた。イギリスの版画家ウィンパーが1865年、7回の試登の後、北東陵から登頂に成功し、その後はマッターホルンは開拓され、ちょっと山の心得のある人ならだれでも登れるようになったという。私たちは、ツエルマットから地下ケーブルカーでスネガに行き、そこからロープウェイに乗って、更にブラウヘルト、ロートホルンの展望台へと行った。高く行くにつれ、氷河や山々が見えてきたが、残念なことに雲がマッターホルンの山頂に掛かっていて、やや迫力を欠いてしまった。


ツエルマットのケーブルの駅



スネガ展望台とそこからの景色



ゴンドラに乗り換えロートホルンへ ・ ゴンドラからの眺望



ロートホルン展望台 ・ 展望台からの眺望
 


ロートホルン展望台からのマッターホルン



ライ湖
スネガから小さなケーブルに乗って数分下り、そこから徒歩で更に数分広々とした草地を下っていくと湖のほとりに着いた。これがライ湖だ。幸い風がなかったので、湖に映える逆さマッターホルンを楽しむことができた。また、湖の畔からケーブル乗り場までの道すがら高山植物を楽しむこともできた。


マッターホルンの眺望を堪能後、
スネガから乗ったケ-ブルの路線とケーブルからの湖
湖に映った逆さマッターホルン  頂上に雲が懸ってしまっているので頂上が見えないのが残念



ライ湖のほとりに咲いていた花