グラニーのブログ

旅の思い出

クライスチャーチと大聖堂

2008-05-25 09:01:52 | Weblog

 
真っ先にクライストチャーチの紹介をすべきだったが、遅ればせながら簡単に、ここで紹介します。
クライスチャーチは日本からの直航便が運行されている南島の玄関口で、南島中部のカンタベリー地方にあり、ニュージーランド三番目の大都会だ。町の中心である大聖堂に象徴されているように、ここはイギリス以外で最もイギリス的なところと言われ、イギリスの良き面影を色濃く残している。また、さすが”ガーデン・シティー“とよばれているだけあって、沢山の公園があり、公園の中に町があると言った感じだった。この都市の名前の誕生は、1850年ジョン・ロバート・ゴドリーに率いられてイギリスから移民してきた植民者たちが、オックスフォード大学クライストチャーチ・カレッジの出身だったからだと言う。町の名前ばかりか、この町にはあらゆるところにイギリスの香りが残されていた。イギリス国教会の総本山カンタベリー大聖堂を真似て作られた大聖堂を始め、町の中心部を流れるエイヴォン川などの他に、町の中心部のいたるところに19世紀のイギリスを思わせる建物があった。

      
クライストチャーチ大聖堂前の広場

      
クライストチャーチ大聖堂

      
大聖堂のステンドグラス 真ん中の人がマオリの顔をしたキリスト

      
亜麻や皮、リム材から作られたマオリの芸術『トックトックのパネル』

      
カンタベリー創設150週記念に立てられたチェリス(聖杯) 写真の真中の逆三角錐のもの

ニュージーランド南島

2008-05-18 10:20:10 | Weblog

日程の都合でニュージーランド南島駆け足の旅(勝手につけた名前)にこの春参加した。午後5時半頃関西空港を出て飛行機の中で一泊すれば、翌朝はニュージーランド南島のクライストチャーチだ。入国手続きを済ませて、早速観光になるが、その前に換金しなくてはと、大聖堂近くのお土産屋さんに行き、トイレ、換金、マヌカ蜂蜜など購入した後、ハグレーパークを横目に見ながら、バスでモナ・ヴェイルに行く。
モナ・ヴェイル
1905年にエイボン河畔に建てられた大富豪アニー・タウエンド夫人の豪邸で、バラ・アイリス・石楠花などが咲く庭園が見事だ。私たちが訪れたときは、バラが盛りを過ぎていたが色とりどりと咲いていた。ヴィクトリア様式の夫人の豪邸は現在はレストランになっていた。 

モナ・ヴェイルの入り口にある門番の家 あまり立派なので夫人の邸宅と間違えてカメラのシャッターを押している人たちもいて門番の家と聞いてびっくりしていた。


門から豪邸へ通じている小道(drive way)道の左側をエイボン川が流れている。


今はレストランになっているかつてのアニー・タウエンド夫人の豪邸


バス・ハウス(Bath House) サウナ風呂だったのかしら?


屋敷内を流れるエイボン川の河畔にある別荘のひとつ


エイボン川の名物であるパンティングの乗り場


色とりどりに咲いているバラ園    


 グアダルーペ寺院

2008-05-11 07:45:50 | Weblog
 
グアダルーペ寺院にはラテン・アメリカのカトリック信者の守護聖人であるグアダルーぺの聖母がまつられている。アラブのメッカ、ポルトガルのファチマに匹敵する寺院だと言われる。12月12日の大祭には、外国からも多くの参拝者が訪れる。 
ヴァチカンによって公認されている奇跡の一つがこの寺院にある“マントに浮き出た聖母像”だ。アステカ帝国が滅亡して10年後、1531年12月9日のこと。信仰の厚いインディオ、ファン・ディエゴが、テベヤックの丘を歩いていると、妙なる音楽が聞こえ、突然、目の前が光り輝いて聖母が現れ、彼の名を呼び、司教に伝えよと言った。「この丘の上に我がための教会を建てよ。ここにて人々の苦しみを聞き、それを救わん」彼はこのことを司教に伝えたが、信用されず、証拠を持ってくるように言われた。落胆したディエゴの話を聞き、聖母は証拠品としてその時期に咲いていないバラの花をいっぱい与えた。彼は薔薇を粗末なマントに包み、司教たちのところに行き、そのマントを開くと、バラは床に落ち、マントに聖母像の絵が浮かび上がった。12月12日のできごとであった。この奇跡絵は、今でもグアダルーペ大寺院に祭られている。褐色の肌、黒髪の聖母は、インディオにはトナンツィン(アステカの母神)の名で親しまれている。今回でメキシコの旅は終わります【写真グアダルーペ大寺院と奇跡絵】
  
       
多くの参拝者が訪れている新グアダルーペ大寺院前

       
旧グアダルーペ寺院とその前にある奇跡を表現している像

       
奇跡のストリー像 マントにマリアの像が見えますか。






テオティワカン

2008-05-04 18:42:41 | Weblog

テオティワカンはアステカの言葉で”神々の座”という意味だそうだ。
メソアメリカ史上最大規模の都市国家だったテオティワカンは、メキシコシティの北東50kmの所にある。テオティワカンはBC2世紀からAD7世紀にかけて栄えた、巨大な祭祀文化を築いたオルメカ文明の衰退後、小さな祭祀センターを持つ地方集落として登場し、紀元前後から急速に力をつけ、最後にはメキシコの宗教的中心地へと発展していった。その象徴として構築された太陽と月のピラミッドは、エジプトで見られる巨大墳墓ではなく、神殿であった。この2大ピラミッドのほかに、アステカ族の一守護神ともなたケツァルコアトル(羽毛のある蛇)を祭った神殿、宮殿、邸宅群が、死者の通りに面して整然と立ち並んでいる。死者の通りとは、 テオティワカンを南北に走る延長4km弱、幅4mの主要道路で、アステカ族によって命名された。彼らはピラミッドを王の墳墓と思ったらしい。【写真 遺跡】
太陽のピラミッド
死者の道を城砦から月ののピラミッドへいくとちゅうにある。高さ65m、基底部216x228mで、総体積はエジプトのピラミッドに次ぐ。太陽が天頂点に達したき、太陽は丁度ピラミッドの真上に位置し、夕刻、正面に沈んでいく。AD1世紀に完成したと考えられている。メソアメリカのピラミッドは、古いピラミッドの上に次々と新しいピラミッドを重ねていく方式で、太陽ののピラミッドも同じ構造である。
月のピラミッド
死者の道の北の端に立っている。高さは約46m,太陽のピラミッドより低いが高位置に建造されている為、両者は同じ高さと言われる。基底の一辺は約150mあり、ここからの太陽のピラミッドや死者の道の展望はすばらしい。 
       
死者の道
       
太陽のピラミッド・枠内は月のピラミッド