グラニーのブログ

旅の思い出

壱岐1

2014-05-25 06:56:32 | Weblog

月読み神社
古事記ではいざなぎの命といざなみの命が天照大御神の次に産んだのが月読命(つくよみのみこと)とされている。京都の月読神社は。487年壱岐の県主の先祖忍見宿祢(おしみのすくね)が壱岐から分霊したもので、ここが神道の発祥地とされる。県道に面した鳥居から、桧林の中を急な石段の参道が続いている。



月読神社


へそ石と額かけ石

県道脇に木の柵に囲まれた大小2つの丸い石がある。これが「へそ石」で、壱岐の中心の道標。その隣の石柱は「額かけ石」で、石柱の中ほどに大人の額が掛かる位の謎の切り込みがある。この額かけ石の上部には六面十二菩薩の仏塔が乗っている。


へそ石



六面十二菩薩の仏塔が乗っている額かけ石


鬼の窟古墳

壱岐では横穴式石室古墳のことを“鬼の窟”と呼んでいるそうです。これは鬼でなければこんな重い石は運べないと思ったからでしょう。6世紀後半~7世紀前半頃の築造で、直径45m、高さ13m、内部は大きな玄武岩を幾つも積み上げた横穴式。石室は壱岐最大で、全長16m、最大の天井石は4mもある。当時の豪族・壱岐直(あたい)の古墳らしいと言われている。


巨大な岩が積み重なっている鬼の窟



窟の入り口に祀られていた仏


岳の辻

壱岐島で一番高い山。約20万年前玄武溶岩流の上に噴出した火砕屑物によって形成された火山砕屑丘で、壱岐の火山活動の最後の姿だそうです。坂道を上って中央展望台に行くとそこからは壱岐全島が見渡せ、眼下には郷ノ浦の町並、その向こうには原島、長島、大島の渡良三島の島影が見える。


展望台・ 塞神社と蜂火台



郷ノ浦の町並と渡良三島の島影・佐賀の呼子東半島の山並


黒崎砲台跡

昭和3年から6年までの年月をかけて完成された砲台。口径41㎝のカノン砲二門の砲台で砲身の長さ18.83m、弾丸の重さ1t、最大射程距離約35km。ガイドさんの話によるとこれは一発も実弾を発射することはなく、終戦後、GHQが取り除こうとしたが、どうしても取り除けなくて、新日鉄に取り除きを依頼したとのこと。


黒崎砲台跡入り口 巨大な地下要塞だった



山道を少し登って上から見た砲台の巨大な穴


猿岩

黒崎半島の先端にある高さ45mの海蝕崖の玄武岩で、見る方向により、そっぽを向いた猿に似ている。まつ毛なども見られ、気まぐれな自然の造形に驚かされた。ガイドさんの話によると、神様が海の中で壱岐の島をお産みになった時、流されてしまわないようにと八本の柱を立てて繋いだ。その柱は折れ残り、岩となって、折柱と言われており、その柱の一つが猿岩だとか。


猿に見える猿岩



ゴジラに見える猿岩(見る角度で違って見える)













五島列島 江島3

2014-05-11 07:33:05 | Weblog

大瀬崎灯台
大瀬崎灯台は福江島の南西端にある。(大断崖の先端に立っている美しい白亜の灯台で、日本灯台50選に入っていると言う。)明治12年に点灯され、その後、昭和46年に改築されて、200万カンデラの明かりが50kmの沖合まで届き、航海の重要な道標となっている。
北西の季節風が強く、荒波が打ち寄せる五島の海岸線は海食岸が多く特に大瀬崎を中心とする一帯では高さ100から150mの断崖が約15kmに渡って連なり、西海国立公園を代表する景観を作っている。(大瀬崎園地の案内参照)その断崖の一つの先端にある白亜の灯台が大瀬崎灯台だ。日本灯台50選に入っていると言う。
大瀬崎園地のバス駐車場でバスを降り、階段を上っていくと展望台がある。駐車場からも灯台は見えるが、展望台からの方が断崖と灯台の両方が良く見えるし、玉之浦湾の景色も楽しめると案内してくれた。


階段を上って展望台へ



大瀬崎灯台 
白い断崖とコバルトブルーの海のコントラストは素晴らしい。
展望台とは反対の道を行くと灯台までのハイキングコースがある



展望台からの玉之浦湾の景色



駐車場からの玉之浦の景色
三角の山は御嶽山とか言っていた。 右下は駐車場下の海岸


天然塩工房
お食事処「椿茶屋」の敷地内に天然塩を作っている工房があった。作る工程に従って案内してくれ、色々と説明してくれる。隣の物産館で、その天然塩を2袋購入。



最初に海水を煮詰め、更に別のお釜で濃縮された海水を煮つめるとか。
下は塩工房


お食事処「椿茶屋」
福江屈指の砂浜、香珠子海岸を見下ろす絶景と五島名物の椿の花を楽しむ場所にあり、建物も古い農家をそのまま改造したもので、いろりを囲んで、捕れたての魚介類を焼いて食べられると言う趣のあるお店。


香珠子海岸 福江島屈指の砂浜



細御寮 
福江島最大級の大ヤブツバキ(樹齢約400年)下は2代目



椿茶屋 古い農家の建物



古い農家を改装した内装
いろり・囲炉裏での焼き物・軒先の玉砂利代わりに敷き詰められていた貝殻


福江武家屋敷通り
第22代盛利は五島における中央集権体制を目指し、寛永11年各地に散在していた豪族や五島藩士170家をここに移り住ませた。このとき造られた武家屋敷通りが今なお福江の各所に石垣として残っているが最も保存状態の良いのが中級以下の武士が住んでいた所で、その石垣は全国でも類を見ない造りになっている。塀の上に「こぼれ石」と言われる石を積み重ね、両端は蒲鉾型の石で止められている。こぼれ石は外部からの侵入を音で知らせたり、いざというときには武器として使われたと言われている。また、文化財になっている家の門は薬医門と呼ばれる堂々とした門構えで、見所の一つ。バスからの撮影で、醜い写真になったのが残念。


薬医門



こぼれ石の乗っている塀




五島列島 江島2

2014-05-04 08:01:26 | Weblog

宿泊先のホテル五島コンカナ王国から先ずは井持浦教会へと向かった。
井持浦教会
井持浦教会は明治30年に建立された五島で最初のレンガ造りの教会堂だが、現在の聖堂は昭和62年に改装されたもの。教会敷地内にあるルルドは明治28年に、当時の五島教区のアルベルト・ペルー神父の提唱で、日本で初めて建設された。ルルドとは南仏のピレネー山麓にある町の名前で、1858年に,薪拾いに出かけた少女が近くの洞窟で聖母マリアに出会い、聖泉を示されたという故事に由来するカトリックの聖地で、その聖泉の水を飲んだり、浴びたりした者は病が癒されるなどの奇跡が現れると言われている。井持浦のルルドは、ペルー神父の指導のもと、五島各地から選ばれた岩石で祈りの場所に相応しい様に配置され築造された。近くに掘られた井戸には聖地ルルドの聖泉の水が混入され、洞窟にはフランスから取り寄せた聖母像が収められた。


宿泊したホテル五島コンカナ王国の一部 左上が宿泊した部屋



井持浦教会



ルルド  洞窟に収められたマリア像



ルルド前の献金箱
石垣の中に文字の書かれた石があった



教会内部



教会の売店 ステンドグラスが素晴らしい



売店内部 マリア像が印象的



洞窟内から見た風景(売店の写真借用)



福江教会の遠景    教会からの景色





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