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グラニーのブログ

旅の思い出

赤坂離宮迎賓館

2017-02-19 16:19:38 | Weblog

赤坂離宮迎賓館
テレビでは時々目にするが直に自分の目で見ることができるというので赤坂離宮迎賓館へのツアーに参加した。館内は撮影禁止なので、館内の写真はインターネットからお借りしています。撮影できなかったお陰で、ゆっくりと係りの人に質問したりして4つの部屋と2階大ホールと中央階段を見学してきました。4つの部屋は、左右の大きな鏡の上と、大理石で作られた暖炉の両脇に「鸞」と言う架空の鳥をデザインした金色の浮彫があることに由来している『採鸞の間』、天井に描かれた36枚の絵や、欄間に張られたフランス製ゴブラン織風綴織、壁面に飾られた30枚の楕円形の七宝に、花や鳥が描かれていることに由来する『花鳥の間』、謡曲の「羽衣」の景趣をえがいた300㎡の曲面画法による大絵面が、天井に描かれていることに由来する『羽衣の間』、と天井に描かれた「朝日を背にして女神が香車を走らせている姿」の絵に由来している『朝日の間』でした。(パンフレット参照)見学者用の赤いじゅうたんの上をゆっくりと歩いてフラン製のシャンデリアの豪華さ、床板の素晴らしさ、天井、欄間、腰壁の絵画や彫刻 の見事さに感歎後、館の南側の主庭に。外部の撮影は自由なので、迎賓館と噴水の写真をしっかりと撮ってきました。


採鸞の間 
表敬訪問のため訪れた来客が最初に案内される部屋 椅子の張り裂地の赤はアンピール様式のトレードマーク



花鳥の間 
国・公賓主催の公式晩餐会が催される部屋



羽衣の間 
雨天の際に歓迎行事を行なったり、レセプションや会議場等として使用されたり、
また、晩餐会の招待客に食前酒や食後酒が供される所



朝日の間 
国・公賓用のサロンとして使われ、表敬訪問や首脳会談等が行われる



2階大ホール



2階大ホール 
ホールの中心には8本のイタリア産の大理石でコリント様式の大円柱が並んでいる



中央階段 
階段の床にはイタリア産大理石が張られ、その上に赤いじゅうたんが敷きつめられている



中央階段からは見学者は出られないので、入ってきた西入り口から外に出て、主庭に向かう。外部は撮影自由なので、内部が写せなかった分やたら撮影をしてきました。


西口から出たところ 迎賓館西側



主庭越しの町の風景



迎賓館南側



主庭の泉水



迎賓館南側 中央階段から降りてきたところ




噴水 東側から撮影



噴水 南側から・・・



迎賓館正面に移動する途中 松と建物のコンビネーションが気に入って



迎賓館正面に着きました



迎賓館正面



迎賓館の建物上の彩鸞






迎賓館正面玄関 装飾が素晴らしいですね



迎賓館前庭 迎賓館玄関から



中門




正門 迎賓館側から



正門



正門 道を隔てた小公園から撮影
 










掛川城

2017-01-21 18:40:17 | Weblog

掛川城
直虎ゆかりの地として紹介されていたので、そのツアーに参加することにした。しかしよく考えてみれば、現在の掛川城は山内一豊が築城したお城の復元で、直虎の許婚だった直親が殺された城ではない。その城は現在のお城から東へ500mのところにあった掛川古城のはずだ。しかし今度のツアーでの説明による直親はそのお城にさえ行かないうちに十九首(首塚)で殺されたとのことだった。掛川古城の跡地は現在の天守閣からみることができるが現在はお寺があるだけとのこと。
掛川城の歴史(パンフレットより)
天正18年(1590)全国平定をした豊臣秀吉は、徳川家康を関東に移すと、家康の旧領地に秀吉は以下の大名を配置、掛川城には山内一豊が入り、城の拡張や城下整備を行うとともに、掛川城に初めて天守閣を作った。


掛川の町から見える天守閣



掛川城大手門



天守閣への門   天守下門



忍者 
たまたま門のところにいたので写させてもらいました



天守閣



天守閣への長い階段



太鼓櫓



掛川古城の跡地 (天守閣4階望楼部より)
土盛りされた木の繁っているところ



天守閣 4階の望楼部から見る掛川の町



天守閣 4階の望楼部内部



3階 武者隠し



3階の展示物



3階から見る天守閣広場



霧吹き井戸 
家康が掛川城を攻めたとき井戸から立ち込めた霧が城を包み
家康軍の攻撃から城を守ったという伝説がある



軒唐破風と火燈窓



掛川城二の丸御殿



玄関屋根の起り破風と蕪懸魚



大広間に飾られている太刀



三の間 打掛



報刻の大太鼓



御書院の掛け軸



中庭



廊下



大名行列



甲冑



槍  と  歴代城主の変遷



三日月堀






丈山苑

2016-12-16 19:03:34 | Weblog

丈山苑は愛知県安城市和泉町にある。バスから降り、少し行くと北入口があり、しばらく歩くと前方に橋が見えてくる。その手前に丈山苑の入口がある。望京橋をわたり、詩泉閣の玄関から詩仙堂、書院、広間へと誘導され、そこで丈山苑の説明を聞き、その後、それぞれに広間、書院、詩仙堂から庭園を十分に鑑賞、外に出て回遊式庭園を散策した。
丈山苑は京都一乗寺の詩仙堂の創建者で、隷書、漢詩の大家として知られている石川丈山の誕生地に詩仙堂のイメージを再現させたもので、詩仙堂を彷彿とさせる書院と本格的な和風庭園が配置されている。丈山苑の核となる詩泉閣には、探幽の「画」、丈山の「賛」と伝えられる詩泉堂ゆかりの三十六詩仙の詩仙堂額(複製)や、隷書体の書幅などが掲げられている。


北入口



北入口から丈山苑入口までの行程




丈山苑入り口



望京橋  詩泉閣の入り口が見えている



詩泉閣玄関の横庭



詩仙堂     三十六詩仙の詩仙堂額の一部



書院と広間で 丈山苑の説明を待っているところ



広間の床の間



広間から東庭園を望む  遠くに丈山翁の像が見える



詩泉閣の南庭(広間前)




詩泉閣の南庭(書院前) 五重塔が建てられている



南庭のつくばい(書院から撮影)



詩仙堂の床の間 丈山の掛け軸



詩泉閣の南庭 京都の詩仙堂の庭をイメージした唐様庭園(詩仙堂前)



詩仙堂の飾窓から北庭を・・・



詩泉閣北庭 一休寺の庭を模した蓬莱庭園


詩泉閣の玄関を出ると左側に丈山苑の東側に広がる回遊式庭園に行く道がある


回遊式庭園への道



回遊式池泉庭園 京都東本願寺の庭園をモデルに造られている



池の周りにある四阿(あずまや)・丈山の漢詩の中で最も有名な「富士山」の石碑



丈山の銅像  ・  東庭園から見える詩泉閣





井伊直虎ゆかりの地を訪ねて(龍潭寺、井伊谷宮、南雲寺、蜂先神社)

2016-12-06 17:24:05 | Weblog

龍潭寺
井伊直虎が眠る龍潭寺には井伊家歴代が祀られている。この寺の歴史は古く、奈良時代に行基によって開創され、平安時代から井伊家の菩提寺であったとのこと。戦国時代には、井伊直平に帰依された黙宗瑞淵和尚を開山として迎え、桶狭間で戦死した井伊直盛の戒名から寺号を「龍潭寺」に変えたといわれている。また、井伊直虎が出家後、修行をして多くの月日を過ごした場所であり、生涯を寺内の庵で暮らしたとされており、境内のいたるところに井伊家の足跡が点在している。江戸初期に小堀遠州が手掛けた国指定名勝「龍潭寺庭園(池泉鑑賞式庭園)」は貴重な文化財であり素晴らしい。


大門(山門)



仁王門



本堂・開山堂



東門



鐘楼



本堂



釈迦牟尼仏  入口の直ぐ傍にある。遠州最大の大仏



本堂内部



直虎と虎松(直政)



一刀彫の龍 左甚五郎の作とか



稲荷堂 夢が叶うという正夢稲荷が祀られている



開山堂内部


井伊家の籠や黙宗瑞淵禅師・南渓和尚を祀る開山堂を通り抜けて渡り廊下で井伊家千年40代の御位牌を祀る御霊屋へ。


井伊家系図



右から、元祖井伊共保公、井伊直盛公、井伊直政公のご位牌



御霊屋から眺める庭園



正面から見る庭園   2つの守護石の間に見えるお山が庭造りの中心



礼拝石・蓬莱岩島



お庭から見る御霊屋


本堂から井伊家の墓所へ


右が共保公、左が直盛公のお墓、
灯篭で一部隠れてしまっているが、その隣が直盛の妻、直虎、直親、直親の妻、直政のお墓


墓所から井伊谷宮に向かう途中に後醍醐天皇の皇子宗良親王の墓所があったが、時間の関係で立ち寄らずに井伊谷宮へ。


井伊谷宮      後醍醐天皇の第四皇子宗良親王が祀られている


此処からはバスで妙雲寺へ。

妙雲寺
臨済宗妙心派の寺院で本尊は虚空蔵菩薩。井伊直盛が戦死したので直盛の息女、直虎が父の墓提のため剃髪して一宇を建立、自耕庵と号していたが、死後直虎の院号にちなみ妙心寺と改められた。




妙雲寺の内部



庚申(青面金剛)



渭伊神社
南北兵乱の時代に龍潭寺境内から現在地に移ったと言われている。井戸や井水を祭祀対象とした神社で井伊家発祥とともに氏神になった。本殿背後の丘に古墳時代の巨石祭祀の遺跡天白磐座遺跡がある。


渭伊神社の神木



渭伊神社




天白磐座遺跡の巨石


蜂前神社
直虎が今川から命じられた徳政令の実施を2年引き伸ばした時の経過が書かれた古文書がある


蜂前神社の鳥居



蜂前神社



古文書に押されていた直虎の花押














横谷峡遊歩道の一部散策

2016-10-02 12:01:38 | Weblog

旅館到着が早かったので、夕食前に横谷渓谷を散策することにした。横谷温泉旅館から15分~20分で、乙女滝に到着。水量が豊富で、マイナスイオンをたっぷり浴びながら美しいその姿を写真に。横谷峡遊歩道に戻って、渋川沿いに上流に歩いていくと霧降りの滝、鷲岩、屏風岩、一枚岩などを見ることができた。横谷観音展望台まで行きたかったが、坂が急だし、時間もなかったのでここから旅館に引き返した。



乙女滝近くの渋川の渓流



乙女滝 
その名の通り、優美な滝ですが、しぶきを浴びるくらいまで近づけるので、
結構 、迫力ある。恋愛成就の伝説があり、恋愛運アップのパワースポット
また、マイナスイオン20,000個のマイナスイオンスポット




せり出し岩



緑のトンネルの下を流れる渋川



霧降りの滝 
乙女滝から上流に向かうと現れる。
水しぶきが霧のように舞うのでその名が付けられたとか、
あまり迫力はありませんが、ここでもマイナスイオンをたっぷり浴びることができる




屛風岩に行く途中に見かけた小滝



大岩の上に生えている原生林



鷲岩



屏風岩



一枚岩 
渋川は鉄分が多いので、川底は赤茶色。 川底は10mにわたって一枚岩



王滝 
2段滝になっているようですが、近くまで行けなかったので樹木の間から横顔を撮影





下諏訪神社

2016-09-25 15:05:30 | Weblog

気候も良くなってきたので、そろそろお出かけをと探してみたが、ここというところも見つからなかったので、ミステリーツアーに参加した。最初の訪問地は下諏訪神社春宮だった。此処へは何度か来ているが、ガイドさんが変われば、見方も変わるので面白い。今年は申年7年ぶりの御宝殿と御柱の建替え年だったので、御柱も新しくなっていた。


下諏訪神社春宮へ



春宮神社拝殿



春宮の幣殿 
拝殿も幣殿も秋宮と同じ造りであるが奥行きが短い



御柱 
右が一の御柱、左が二の御柱で裏側に三の御柱と四の御柱がある




ご神体の杉 
左は拝殿と幣殿の隙間から撮影 
右は拝殿のちょうど真ん中にご神体の杉が透かし見られる




万治の石像 
万治の時代に作られた石像 岡本太郎がお気に入りの石像



万治の石像のお参りの仕方が書かれているので、
それを読んで石像の回りを廻っているところ



石像の背後の田に育っていた稲



下諏訪神社秋宮の神楽殿 
しめ縄は出雲大社に次ぐ大きさ、重さは1㌧ 
唐獅子も日本一の大きさとか


秋宮の拝殿と幣殿 
造りは春宮と同じだが奥行きが2倍



秋宮の一の御柱 
ここにも4本の御柱があるが一の御柱が一番背が高く、二,三,四、と5尺ずつ短くなっているとのこと



拝殿の彫刻
彫刻も素晴らしい 一番下四隅に象、牡丹と獅子、
その上の段は龍、一番上が鳳凰の像が彫られている



拝殿の彫刻
四隅の象・牡丹と獅子 中段の龍と上段の鳳凰













六華苑

2016-07-03 07:09:13 | Weblog

六華苑(旧諸戸清六邸)は山林王と呼ばれた桑名の実業家二代目諸戸清六の邸宅として大正2年に竣工。洋館、それに連なる和館、複数の蔵などの建造物と池泉回遊式日本庭園があり総面積は18,000平方メートル余。諸戸家が桑名市内に別邸を建てそちらに住むようになり、平成2年に建物が桑名市に寄贈され、翌3年に土地を桑名市が購入した。整備工事後、平成5年六華苑という名称で一般公開された。洋館と和館は平成9年に国の重要文化財に指定された。(パンフレット参照)時間の関係で洋館と和館だけの見学となったのが残念。
洋館
鹿鳴館の設計で有名なイギリス人建築家ジョサイア・コンドル設計による木造2階建ヴィクトリア朝住宅の様式を基調とした洋館で、外観の特徴として東北の隅に立つ天然スレート葺き4階建の塔屋や、庭園に面している多角形に張り出した1階のベランダと2階のサンルーム。内部のデザインは1階は洋風、2階は洋間に和風の襖が設けられるなど和洋折衷で、押入れの中に収納棚を作り付けるなどの工夫がなされている。


長屋門 六華苑の入り口



ドライブウエイ



前方に建物が・・・



4階建ての塔屋を持つ六華苑



管理塔(和式建物) ここから入館



管理塔に入るとすぐのところにある



管理塔内の展示物の一部 桑名の折鶴は有名



和館(洋館の後に見学) 
洋館と和館はここ六華苑では接続されているので
右に行けば和館、左に行けば洋館



洋館の階段
階段の手すりはコンドルが凝ったデザインの一つで、
手すり下の板面にはハート矢印形の透かしが施されている



バラのステンドグラスが散りばめられているシェイド 
階段の手すり下のハート矢印形透かし



玄関  玄関のステンドグラス



客間  来客接待用の部屋で一番凝った作りになっている



食堂  落ち着いた色調で統一されている 隣室との境はドアでなく引き戸



トイレ 創建当時大正2年からすでに水洗



女中室 全体は洋式で押し入れだけが和式



2階  寝室・書斎



サンルーム 書斎から通じている



芝生広場と前庭  ガラス越し撮影



2階 居間 室内からサンルームへ通じている。暖炉は特に高く設計されている


洋館の見学は2階まで。

和館

木造平屋建て。諸戸家お抱え大工伊藤末次郎が棟梁を務めている。当時は洋館と和館を併設する場合、別棟とすることが多かったが、諸戸邸では洋館より広い和館が壁を接して直に接続されており、普段の生活は和館が中心だったという。


和館 和室 十二畳の部屋と十畳の次の間



竿縁天井は桧板・欄間は桧の一枚板・
床の間の掛け軸・和室



和館から見る前庭の池



内庭



一番蔵



清六氏が4階の部屋から見ていた長良川




サクランボ狩りと韮崎大村美術館

2016-06-26 07:29:30 | Weblog

サークルの親睦旅行で山梨のサクランボ農園に行ってきました。ずーと良い天気が続いていたのに当日に限って雨。何人も天気女がいたのに幹事さんが雨女とかでどうなることかと心配していましたが、小雨程度でほとんど傘をささずに行動できたのでよかったです。
今年はサクランボの裏年で、収穫が少ないとのことですが、私たちのために素晴らしいサクランボを用意してくれていました。佐藤錦は有名ですが、それより高価な紅秀峰でした。真っ赤なサクランボが沢山生っている大木とサクランボの大きさにびっくりしました。農園の方からサクランボの取り方と注意があり、一斉にサクランボ狩りです。隣の佐藤錦と食べ比べてみましたが、甘みが佐藤錦よりありました。お腹いっぱい紅秀峰を食べ、農園の人たちに見送られてノーベル賞を受賞した大村教授の建てた大村美術館へ。かなり見ごたえのある美術館でしたが写真は禁止なので建物だけです。


サクランボのハウス



ハウス内部



木を傷めないようにサクランボの採り方を説明中



一斉にサクランボに手を伸ばしています



見事なサクランボ



紅秀峰  美味しかった



韮崎の大村美術館



ノーベル賞を受賞した大村教授の像



入口にあった青い服の少女の像 外から撮影



少女像の隣にあった銅画 外から撮影



甲府富士屋ホテルの中華料理店



甲府の街並み  食堂から撮影



昼食に出された料理











浜名湖舘山寺

2016-06-12 07:32:04 | Weblog

浜名湖かんざんじ荘の宿泊特別企画があったので、数十年ぶりに訪れることにした。前回はまだ国民宿舎だったかんざんじ荘も今は民営。大草山の頂上にあるので、景色は抜群。特に湯船からの景色がいい。浜松駅からシャトルバスで舘山寺観光協会前まで行くと、各旅館のバスが迎えに来てくれる。旅館のバスで数十年前に通った道を「変わらないね」と言いながら旅館へ。建物は以前とは違って少しモダンになったようだ。チェックインまでに時間があるので、荷物を置いて、ロープウェイでパルパルへ。子供の遊び場と思っていたパルパルはかっては堀江城が在ったところ。食堂で昼食を済ませ、園内を散策、風もないようなので、遊覧船に乗って海上からの景色を楽しみました。再びロープウェイで山頂へ。前回訪れなかった浜名湖オルゴールミュージアムへ。オルゴールの仕組みの説明を聞いたり、手巻きのオルゴールの演奏を聴いたり、屋上のカリヨンの時報を聞いたりして宿へ戻ると、荷物はすでにチェックインしていた。


かんざんじ荘





かんざんじ荘の見晴台からの景色



堀江陣屋のあったところ 今は浜名湖パルパル





急流すべり「ドン・ブランコ」



ドラゴンファイター



ロープウェイ



パルパルスタジアム



エビーノ・ジャンプ



トマトーナのグルメトレイン



海上からの景色




陣屋跡に建っている九重



浮見堂 
ロープウェイ乗り場から足湯に行く途中にある
友好提携している、中国の蘇州・寒山寺から贈られた梵鐘のレプリカ



浮見堂からの景色 右上 舘山寺



すべてオルゴール 
左上のオルゴールはお祭り会場で使われたもので手巻き



カリヨン 本場オランダ製18ベル 
360度見渡せる屋上にあり、毎時00分にオルゴールの原点でもあるカリヨン(組鐘)が
季節と時間にあった曲を演奏する








清津峡

2016-05-29 07:47:28 | Weblog

清津峡は新潟県十日市町市にある雄大な岩礁と清流からなる日本有数の景勝地で、昭和24年9月に国立公園(上信越高原国立公園)に 指定された。その荘厳なる閃緑ひん岩と柱状節理の美しさから、黒部峡谷、大杉谷とともに 日本三大渓谷の一つに数えられている。現在では、清津峡の大渓谷を安全に、安心して観賞できるように渓谷トンネルができていて、往復1,500mのトンネルには4ヶ所の見晴台があり、雄大で、莊厳な渓谷美を堪能できる。また、トンネル内にはパネルやビデオで清津峡の四季や自然、成り立ちを紹介するコーナーもある。
バス停から川沿いにしばらく歩くと渓谷トンネルの入り口が見えてくる。入口からトンネル内の掲示物や展示物を見ながら15分くらい歩くと第1見晴所がある。見学が終わればさらに奥へ。約3分で第2見晴所、そこから2分で第3見晴所。そして、さらに奥へ数分進んでいけばトンネルの終点、パノラマステーションに到着。


清津川



バス停から約8分清津峡に向かって歩きます



途中にある旅館 桜花がきれいでした



満開の桜



ミズバショウ



観音様



対岸に小さい滝が・・・



清津峡の入口が見えてきました



入抗口から約15分のところにある第一見晴所から見る渓流



柱状節理の岩壁



岸壁と渓流


 




第2見晴所からの渓谷風景



第3見晴所から見る屏風岩の岩肌 絶壁にそそり立つ柱状節理



絶壁にぶつかる激流



間近に見られる柱状節理







パノラマステーションから見られる雄大な渓谷美