グラニーのブログ

旅の思い出

ドイツ ベルリン1

2008-11-30 08:47:26 | Weblog

ドイツへは何回か行っているが、ベルリン・ポツダムへは行く機会がなく、どうしても一度は訪ねたいと思っていた。そんなとき、ベルリン・ポツダムの入ったコースを見つけ、参加した。早いもので、もう3年も前になってしまったので、記憶も曖昧になってきているが、整理のためにもブログに載せてみることにした。ベルリンの最初の訪問場所はベルリンの壁とブランデンブルク門だった。
ベルリンの壁
1961年8月13日、東ベルリンの市民が西ベルリンへ流出しないように、また西ベルリンを孤立させるために建設がはじまり、1989年11月9日に崩壊した。現在も戦争の記念と観光のために一部が残されている。
    
    
現存しているベルリンの壁
    
最初の2文字BとEが消えてしまっているがベルリンの壁に嵌め込まれていた銘板
    
森の向こうに見える街が旧東ベルリン
    
ウンター・デン・リンデン通り

ブランデンブルク門
ベルリンのシンボル。古代ギリシャのアクロポリスにある前門を元にしてC.G.ラングハンスがデザインし、1791年に完成した。高さ20mの門の上には四頭立ての馬車「カドリーガ」とそれを操る女神の銅像が立っている。この像はナポレオンが持ち去ったが、後に取り戻したと言う。また、この門の周りに真っ先に東西分断の壁が出現し、長い間東西分離の悲劇の象徴となっていた。私たちのガイドさんも当時は女子大生だったけど、ベルリンの壁の崩壊の日にはこの門の壁に攀じ上ってみんなと大騒ぎして、崩壊に参加したと言っていた。
    
ブランデンベルク門 門の手前は庭園風の広場になっている。

    
ベルリンの東西分断の壁が崩壊される前の門

    
ブランデンベルク門の上のカドリーガとそれを操る女神の銅像



景福宮

2008-11-23 08:16:47 | Weblog
 
景福宮は李朝の太祖李成桂が高麗を滅ぼし、漢陽(現在のソウル)に都を移した1395年に建てられた王朝最初の宮殿。李朝の歴史を物語る華麗な殿閣だ。当時は12万坪を超える敷地に200以上の殿閣があったと言われている。1592年の文禄・慶長の役で多くの建物が焼失するまで李氏朝鮮王朝の正殿として現在の青瓦台のような機能を持ち、李王朝の心臓部だった。その後、1868年高宗の時代に再建されたが、1910年の日韓併合により再びそのほとんどが破壊され、勤正殿のの正面に朝鮮総督府庁舎が建てられた。それによって、景福宮の景観は完全に破壊されてしまったが、近年になって復元工事が進められ、荘厳な姿を取り戻した。こうした歴史に心が痛むが、韓国人ヴォランティアによる無料日本語ガイドのツアーに参加させていただき有意義な時を過ごした。ソウルに行ったら是非訪れたい所だ。
地下鉄3号線景福宮駅で降り5番出口から出ると景福宮に連結している。光化門(外郭門)は 修理中のため写真は撮れなかったが、光化門と興礼門(中央門)の間の広場(毎年3月から11月まで「李朝宮城門の開閉および守門将交代式」が行われる)を興礼門を横目に見て進んでいくと券売場がある。そこで観覧券を買い、日本語ツアーの時間に集合場所に集まればガイドさんが維和門?から勤政殿に連れて行ってくれる。【今回で韓国は終わりにします。明洞でお食事とショッピングを楽しんでください】

広場(上)興礼門・維和門(下)
    
勤政殿
景福宮の正殿で、王朝時代はここで国王の即位式や朝賀の礼、外国使節の謁見などがおこなわれた。中を覗くと1階と2階が吹き抜けになっていて、天井まで見ることができる。天井中央の龍の姿や丹青(王宮などの木造建築の壁、柱、天井などにさまざまな文様を鮮やかな色彩で描くこと)など華麗さと雄大さを兼ね備えた優れた建物だ。この宮殿の南側には正殿への入り口の役目をしている勤政門がある。
【勤政殿(上)宮殿の左右にいるヘテ・国王専用階段・前庭(下)】
    
勤政殿の内部 【玉座・天井の龍・香炉】
    
永済橋
興礼門と勤政門との間に流れていた禁川の上にかかっていた石橋。石橋の左右にある花崗岩が積まれた護岸にも4頭のヘテ(日本の狛犬のようなもので、善悪を見分けることができる想像上の動物。獅子と似ているが頭の真中に角がある。宮殿の左右にも石像が見られる)がいて印象的だった。
    
慶会楼
景福宮の北西にある人造池に浮かぶ美しい木造楼閣。大切の宴会や、外国からの使節をもてなすときに使われた建物。韓国最大規模の楼閣で、当時は建物を支える石柱に竜の彫刻があったと言う。1868年に再建。
    
千秋殿
国王が臣下と国事を行っていた思政殿の西側の便殿。国王はここに学者や君臣を集めて学問を論じた。第4代世宗がハングルを考案した場所。
    
思政殿
勤政殿の後方にあり、国王が御前会議を行い、各種政策を決定するなど臣下と国事をこなしていた便殿(王が居住し、執務を行った宮殿)のひとつ。勤政殿が国家の公式儀礼が行われる宮殿であったのに対して、思政殿は王がふだん居住しながら政事を見きわめていた便殿。思政とは「国王が深く考え、国を治めなくてはならない」という意味が込められているのだと言う。
    
万春殿(上)  国王が臣下と国事を行っていた思政殿の東側の便殿。
修政殿(下)  石を使って高くて広い基壇を造り、その上に建てたこの建物は、もともとは世宗大王の時代にハングルがはじめて創り出された集賢殿の建物だった。文禄・慶長の役で焼失、1867年に再建されたとき、名前も修政殿とされたと言う。
    
康寧殿
国王が生活するな内殿の中心となる建物で、国王が仕事を終えた後に寝室として使われた場所。この直ぐ後ろに中宮殿の交泰殿がある。
    
慈慶殿
興宣大院君が第24代国王憲宗の母親のために建てた宮殿。慈慶殿の裏庭にある壁と西側の花の壁は李朝時代を代表する美しい壁だ。
    
李朝宮城門の開閉および守門将交代式の将兵たち
    



昌徳宮

2008-11-16 08:31:41 | Weblog
 
昌徳宮は韓国の数ある王宮のなかで唯一、世界文化遺跡に登録された王宮だ。李朝第3代太宗により景福宮の離宮として1405年に建造された。しかし太宗はかってクーデターが起こった景福宮を正宮として使うことを嫌い、昌徳宮は離宮でありながら正宮としての機能も備えて建設された。1592年の文禄の役で大半が焼失、再建されたものの、その後も数度の火災に見舞われ、その都度再建された。17世紀前半から約3世紀の間、政務がとられた場所で、五大古宮の中で最も保存状態がよい。13棟の宮殿と庭園が残っていて、当時の雰囲気をそのまま漂わせている。1997年12月には王宮の建築様式と国王の生活を伝える建造物として世界文化遺産に登録された。

    
敦化門 1412年建造,1608年再建。優雅な印象の正門

    
錦川橋 1411年に造られたソウルに現存する最古の石橋。敦化門を通り昌徳宮に入ると右側にある。

    
仁政殿 2階建ての正殿。現在韓国に残る唯一つの青瓦の殿閣。屋根の棟の花模様が独特。

    
仁政殿の内部に見られると玉座と王を象徴する日月。

    
宣政門

    
    
大造殿とその内部の調度品 大造殿は王と王妃の寝殿で、王とその家族が生活していた中宮殿。この建物の特徴は屋根に棟瓦がないこと。韓国では王は龍にたとえられていたので国王の寝殿であるこの大造殿では龍棟は省いたのだと言う。内部の寝室周辺には、王と王妃を守る女官が使っていた小さな部屋がある。

    
秘苑の東側にある芙蓉池と芙蓉亭(左下)。王はこの池で魚釣りや舟遊びを楽しんだ。宙合楼(右上)は国王の図書館。宙合楼の手前の門は魚水門と言う。
    
    
楽善斉 1847年国王の居所として建てられ、後に東宮として使われ,1989年まで、最後の皇太子妃・李方子が住んでいた。李方子は、日本人で、方子は日本読みではまさこ。皇族梨本宮家の長女で日韓併合の絆として、李王家世子の李垠と結婚させられた。夫妻は時代の波に翻弄されるが、方子は最後まで夫に従い、1963年韓国に戻ると知的障害児、肢体不自由児の援護に力を尽くし、1970年の夫の死後も韓国人として生涯を全うした。


安東河回村

2008-11-09 07:52:16 | Weblog
河回村は英国のエリザベス女王が韓国を訪問したとき立ち寄ったことで世界的に関心を集めている、韓国の伝統的な生活文化が保存されている“生きた民俗村”だ。安東の市内から西へ25km、車で30分のところにある昔ながらの村落。周囲を川がSの字型に囲んで流れていることから“水が回る村”と呼ばれたとのこと。ここは両班である豊山柳氏の一族が代々暮らしてきた同族村として知られており、宗家を中心に、土塀の家や草葺きの家などの古い民家を配して、当時の村落が再現されている。ここは観光地であるだけでなく、現在でも村人が実際に生活をしている生きた民族村で、タイムスリップしたような気分になれる。また、古くから伝わる仮面踊りもあり、仮面が土産物として並んでいる店があった。1999年エリザベス女王が訪問している。
    
村の入り口にあったトーテムポールとその彫刻をしている作業場
    
門内を見せてくださった両班(貴族)の家
    
未舗装の村内の道路とオンドルの煙突
    
両班(貴族)の屋敷と農家の藁葺屋根の家
    
韓流スター、リュ・シウォンの宗家と大邸宅の藁葺屋根の厠
    
壁の穴 昔、科挙の試験を受けるためにソウルまで旅を続けるソンビ(学者)への施し穴?何時でも幾らかのお金が入っていて、南方から上京の途にあるソンビたちが旅の途中で困らないようにとの配慮だったと言う。穴は子供の手が届かない位置で農夫の手が入らない大きさに作られているとか。
    
参神堂 樹齢600年以上のケヤキの霊木。毎年、陰暦の1月15日になると、参神堂を祭る村祭が行われる。また、ここが仮面劇が初めて行われた場所だとか。
    
お土産として仮面を売っているお店
    
北村宅 村の北側を代表する建物のひとつで、朝鮮時代の典型的な両班屋敷。
    
芙蓉台 対岸の小高い丘、ビューポイント。ここからは、蛇行する洛東河と河回村の全景を見渡すことができる。