グラニーのブログ

旅の思い出

福井 養浩館2

2012-05-27 07:04:51 | Weblog

養老館のお屋敷
江戸時代は「御泉水屋敷」と呼ばれ、福井藩主松平家の別邸だった。元々はこの場所は藩の重臣永見上門の屋敷だったが、2代藩主に成敗され、それ以後藩主の別邸になったと言われている。明治時代廃藩置県によって福井城は政府の所有になったが、御泉水屋敷の敷地は引き続き松平家の所有地となった。明治17年に松平春嶽によって「養浩館」と命名されたと云う。養浩館の数寄屋造りの邸宅と回遊式林泉庭園は早くから学会で注目され庭園史の専門家による調査がされていたそうです。昭和20年に福井空襲で養浩館は焼失してしまったが、昭和57年、国の名勝に指定されたのを機に、福井市によって復元整備が計画され、平成5年に完成、一般市民に公開された。


養浩館の建物に入ると土間になっていて、
右に行けばお勝手とお風呂場、
左に行けば御座ノ間と御月見ノ間が見られる



御座ノ間の窓(書院造り) と 日光の揺らぎ 
窓から見える池の景色の一部



御座ノ間のこれ以上簡単にはなれないと言うほど簡素な欄間と
桑の一枚板から麻の葉模様を透彫にした精巧緻密な欄間



御月見ノ間の脇棚の螺鈿細工



自然石から御座ノ間に続いている飛び石 
この飛び石は三国産の安島石が使われている。
御座ノ間の濡れ縁に通ずる飛び石の周りには
碁石にする黒い玉石が敷き詰められている



御座ノ間の真正面にある花崗岩で復原された石造七重塔
この左側に清廉が見える。




御湯殿 
お風呂は蒸し風呂でその前面の御上がり場は床が傾斜していて
水が池に流れるようになっている。



御月見ノ間 
池に映る残月を見るための窓と言われる雲窓の出書院



帰りがけに写した御座ノ間の窓と日ゆらぎ  
新しくなった西門









福井 養浩館1

2012-05-19 16:50:36 | Weblog

昨年は日本庭園第3位だが今年は四国の栗林公園に抜かれて第4位になってしまったと云う養浩館は市民の憩いの場所として、また観光の名所として親しまれている。この名勝養浩館庭園は江戸時代には「御泉水屋敷」と呼ばれ、福井藩主松平家の別邸だった。昭和20年に福井空襲で養浩館は焼失、昭和57年、国の名勝に指定されたのを機に、福井市によって復元整備が計画され、江戸時代の文政6年(1823)に作られた「御泉水指図」を基本に、学術的な調査と復元工事が進められ、平成5年に完成して、一般公開された。
バスから降りると市民ヴォランティアの方の誘導で、養老館の回遊式林泉庭園を周遊、自然石の石橋を渡って養浩館の建物の中に入り、各部屋の説明を聞きながら内部見学をした。


関ヶ原近くの伊吹山と武生の近くの桜並木



養老館の庭園
大きな池を中心とした回遊式林泉庭園で、広い水面に対して立体的な変化を持たせる様々な工夫がなされている。岸辺の周遊や船による鑑賞など、また屋敷からの眺めも考慮されている。


庭園に入ってしばらく歩いて行くと水路が見えてきた。
この小さな石橋を渡るといよいよ池の周辺の散策となる



排水路に架かっている曲線の美しい切石橋と
景観のアクセントになっている、動物が座っているように見えると云う岩島 
その周辺には玉石が州浜状に敷き詰められている。



清廉 
一間四方の寄棟作りで、柿葦屋根の小亭



清廉から養浩館の御月見の間の建物を撮影



臼の茶屋のつくばい 
丸い井筒の手水鉢は笏谷石で作られており、
清水が湧き出るように底に穴が開けられている。
実際に見たときは清水がこんこんと湧き出ていて印象的だったが、
写真には清水が湧き出るさまが写らなくて残念。



臼の茶屋跡から養浩館の御座ノ間と御月見の間の建物を撮影



遣水に架かっている自然石の石橋 
全国的に見ても最大級の自然石の石橋と言われている



遣水 
往時は芝原上水を屋敷の東南から、
蛇行する幅の広い水路で池に水を引き入れていたが、
現在は地下水をポンプで汲み上げ循環させているので幅も細くなったとのこと。



通りがけに外から撮った御月見ノ間の内部 
窓の障子の開きを調節することによって違った景色が楽しめる。
窓は雲の形になっている。