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グラニーのブログ

旅の思い出

ペルーの遺跡を訪ねて クスコ1

2011-03-20 07:54:32 | Weblog

世界遺産 クスコ市内と近郊

クスコは、昔インカ帝国の首都だった。クスコとはケチュア語でへそを意味し、太陽神を崇拝し、インカ帝国を築いた人々にとっては、クスコは世界の、彼らの宇宙観の中心だったようだ。16世紀、スペイン人によって征服されたインカの人達は山奥に追いやられてしまったが、その後、クスコにやって来たスペイン人が自分たちの教会や邸宅をインカの礎石の上に造ったので、この不思議なコントラストがクスコの特徴となっている。クスコ郊外には、マチュピチュやインカ時代の建造物があり、カミソリの刃一枚も通さないと言われろほど精密な石組を見ることができる。インカ時代の道もある。現在の道路もインカ道をもとに造られており、当時の橋やトンネル、灌漑用水路などが、近郊の村では今も使われている。アンデネスと呼ばれる段々畑も、人々の糧を生み出している。


クスコの町風景



サクサイワマン遺跡
クスコの北西にある要塞跡で、1536年5月にスペイン人に反逆を企てたマンコ・インカがこの要塞に2万人の兵士と共に陣取ったが、夜は戦わないインカ兵の隙を突かれて、作戦は失敗に終わり、城壁もその上に聳えていた円塔も大部分が壊されてしまった。そのサクサイワマンの遺跡は大きな石を3層に積み上げて造られており、石組はインカのそれらしくぴったりとかみ合っている。サクサイワマンの建築は宗教的なものなのか、要塞なのかはっきりとわかっていないが、クスコは町全体がピューマの形をしていて、サクサイワマンはその頭の部分に当たるので、クスコの管理事務所的な役割をしていたのではと言われている。ここからは、クスコの町が一望できる。


サクサイワマン遺跡の入り口の
立て板とサクサイワマン遺跡の遠望



クスコの町を見下ろす神殿だった遺跡
インカの時代には見張りの機能を兼ねた神殿が小高い所に造られた





遺跡は3層の巨石が22回ジグザグしながら360mも続いている。
この遺跡は3層からなり、インカの3つの世界、天上・地上・地下を表している。
天上の世界をコンドル、地上の世界をピューマそして地下の世界を蛇が表している
(ガイドさんの説明)



巨石の石組



遺跡から見下ろしたクスコの町とインカの女性



ケンコー遺跡
サクサイワマンから徒歩で約15分。サクサイワマンとは違って石を組み合わせたのではなく、岩を削って造られている。インカ帝国の祭礼場であったと言われている。プーマが浮き彫りにされた約6mの巨石を中心に、座席の役を果たす壁が半月状に広がっている。


ケンコウ遺跡 写真の位置がずれてしまいましたが、頭の中で繋げてください



人が立っている小さな石の上にも、ピューマが彫られているとのこと

都合により次回は4月10日頃になります。






ペルーの遺跡を訪ねて 砂漠の中のオアシス

2011-03-13 07:55:20 | Weblog
再び、バスでナスカからリマに戻る途中、パンアメリカン・ハイウエイの脇の砂漠に、砂漠に強いと云う木が植えられていた。名前ははっきりと覚えていませんが、たぶんワランコだったと思う。なぜ砂漠に強いかと言うと地下50m位まで根を張るからだそうです。山の上に名前が書かれていたが、これは選挙が近いので候補者が山に名前を書いているとのこと。山に名前を書くのは無料だからだそうです。フジモリさんの娘さんも立候補していました。リマに戻る途中で、ガイドさんが砂漠の中にあるオアシスへ連れて行ってくださると言うので皆大喜び。オアシスの入り口でバスを降りしばらく歩いて行くと、観光地らしくお店が並んでいた。建物も立派で、砂漠にいるのを忘れてしまう。砂漠に植林されていたワランコの大きく成長した木もあり、木陰は涼しく、子供たちは水遊びを楽しんでいた。


砂漠に強いワランコの木(このように聞こえましたが確かではありません)が
高速道路に沿って植えられている



(左)“大きな川”とういう町が見えてきました。緑の地帯
(右)町の風景



こんな断岸絶壁地帯や砂漠地帯を高速道路が通っています



突然ガイドさんがオアシスに案内しますと言って連れて行ってくれたのが
この場所
砂漠の中にこんな湖があるなんて、とても信じられません



オアシスの風景



ワランコの木 砂漠ではあんなにひょろひょろだったのに、
成長するとこんな立派な木になるんです



バスに戻って湖のあるところを撮影すると
全く見えません。案内されなければ、通過してしまったでしょう
ただ緑の森の向こうに白い建物がみえますが、
これは湖の対岸に見えていた建物です



車窓から見えた町の風景
 





ペルーの遺跡を訪ねて 地上絵遊覧

2011-03-06 08:00:39 | Weblog
紀元前後~800年ごろにかけて、海岸から80km離れた乾燥地帯に謎の地上絵で知られるナスカ文化が栄えていた。ナスカの人たちは広大な大平原に300もの直線を引き、三角形や、動物、魚、植物の絵を描いた。それらは空中からしかわからないくらい大きくて、何を意味しているのかもいまだわからず、色々の仮説がたてられている。宇宙人説、カレンダー説、宗教儀礼説など。絵はパンパ(大平原)を覆っている黒い石や砂をどけて白っぽい地面を出すことによって描かれているとのこと。そんな描き方をした絵が今も残っているのは年間を通してほとんど雨が降らない気候のおかげなのです。絵の大きさは10mから大きなものは300mもあると言われている。数は30個、線と幾何学模様は300本もあるとのこと。天候にも恵まれ、ナスカから地上絵遊覧飛行に出発。片言の日本語を話すパイロットがそこそこと言ってくれるが、なかなか見つけるのが大変だった。それでも、パイロットが案内してくれた地上絵はすべて見つけることはできたのだが、問題なのは写真。私のカメラでは、鳥の絵も、クジラの絵も薄くてはっきりしない。三角や線、うず巻きなどはどうにか見えるのだが、蜘蛛の絵は全く駄目、猿やコンドルなどの絵も、はっきり見えなくて残念。


(左上)ナスカ公園  (右上)遊覧飛行場入口 
(右下)入口から少し走ったところの風景  (左中と下)飛行場



(上)地上絵遊覧飛行の飛行場
(左下)片言の日本語で“そこそこ、ほらほら”と言ってくれるパイロット
(右下)飛行機が飛び立つとすぐに眼下に地上絵が見えてくる



地上絵“くじら”



地上絵“コンドル”



地上絵“宇宙飛行士”岩肌に描かれていた



地上絵“さる”猿の尻尾が渦巻きと連結している



地上絵“渦巻き”




ミラドール(観察櫓)
地上絵の研究家マリアレイへが建てた観察櫓(ミラドール)に上って、地上絵を近くから眺めることができる。ミラドールは地上絵のほぼ中心にあり、パンアメリカンハイウェイに沿って立ている。ここからは“手“と“木”の一部が見られる。私のカメラでも此処からの地上絵ははっきり写すことができました。


高さ20mほどのミラドール



ミラドールから見た“手”



ミラドールから見た“木“