グラニーのブログ

旅の思い出

宗廟

2008-10-26 08:10:45 | Weblog
 
宗廟とは、朝鮮王朝時代の王と王妃の位牌が祭られている霊廟。朝鮮王朝が漢陽(今のソウル)へ遷都した翌年の1395年、初代国王太祖によって建てられた。1592年の文禄の役(壬辰倭乱)で焼失したが、1608年に再建され、何度か修理を繰り返し現在にいたっている。正面を入ると3本の道があり、真ん中の道は亡くなった王のための道で正殿に続いている。東側は王、西側は王世子のための道で、沐浴して祭祀の準備をする部屋へとつながっている。その奥には祭祀用の食べ物を準備する典祀庁がある。庭を囲むように建物が立ち、塀の中には君主に誠実に仕えた臣下たちを奉った功臣殿がある。建物は、列柱と扉が並ぶ単純な造りで色彩や装飾は極端に抑えられている。扉の奥はそれぞれ独立した19の廟室として太祖他49位の王と王妃が祭られている。毎年5月の第4日曜には宗廟祭礼が行われ、伝統楽器を使った宮中音楽の演奏が行われるとのこと。この宮廷雅楽は宗廟祭礼楽と呼ばれ、2001年に世界無形遺産に登録された。
本殿には、太祖李成桂や第3代の太宗、第4代世宗など功績のあった国王や王妃が祭られている。もう1つの廟である永寧殿には、その他の国王や王妃、皇太子らが眠っている。
【次回は都合により11月9日になります】


    
宗廟の正門

     
本殿には、太祖李成桂や第3代の太宗、第4代世宗など功績のあった国王や王妃が祭られている。もう1つの廟である永寧殿には、その他の国王や王妃、皇太子らが眠っている。

     
正門を入ると3本の道があり、真ん中の道は亡くなった王のための道で正殿に続いている。

    
沐浴して祭祀の準備をする部屋、奥には祭祀用の食物を準備する典祀庁がある。

    
大きな功績を残した王の位牌を祭る正殿

    
永寧殿 1421年に第7代世宗が建設、16室に34位の王と王妃が祭られている。




水原華城

2008-10-19 07:45:14 | Weblog
 
水原はソウルの南方約42kmの処にあり、京畿道の道庁の所在地。世界遺産に指定されている水原華城に行く旅行者で賑わっている。韓国の万里の長城と言われる水原華城の城郭は一周することができるが、時間がかかるので、今回はその一部だけを見学した。この城壁は全長5.7kmもあり、矢と槍を防ぎながら鉄砲が撃てるように造られた櫓など近代的な構造になっていて、韓国の城郭建築史上、最もオリジナリティにあふれた建築物として評価されている。水原華城は朝鮮王朝第22代国王正祖が建築した巴城で、父である荘献世子の陵を水源に移した時に築いた。1793年末に着工、1796年9月に完工した。南門の八達門をはじめ48の構築物が造られた。(城壁は、国内でもっとも科学的な構造物を緻密に配置しながら、優雅で荘厳な容貌を持っていると言われている)。その後約200年の間に戦乱や水害によって破損されたが、1979年から約4年の歳月をかけて本格的な復興工事が行われ、現在41の構築物が存在する。1997年12月にユネスコの世界文化遺産に登録された。

    
韓国の万里の長城と言われている水原華城の城壁と城門

    
城壁の上から一望される水原の街

    
錬武台(東将台) 平常時の兵士を訓練し、指揮したところで、四方が見渡せるように、壁が造られていない。

    
見張り台 上下にたくさんの穴があけられており、中から外部の様子が分かるだけでなく、上からは鉄砲で、下からは大砲が打てるようになっている。

    
見張り台の内側

    
華城内には一般道が通っている。

    
蒼竜門 華城の東門。朝鮮戦争の際に門楼が焼失し、その後、1801年に始まった工事で修復された。規模や形は西門の華西門とほぼ同じで、単層楼閣、四方が墻で囲まれている。旗の色に注意して・・・東は青、北は赤というように決まっている。










丹陽

2008-10-12 09:55:06 | Weblog
 
丹陽は忠清北道の東北端にある自然に恵まれた街。嶋潭三峰や下仙岩、中仙岩、上仙岩など、漢江や山々と奇岩が織りなす8つの景色は丹陽八景と言われ、見ものだと言われているが、時間の関係で、すべてを見ることはできなかった。それでも、丹陽へ向かう途中ものすごい豪雨に遭ったが、丹陽に着くと雨は上がり、韓国の桂林と言われる嶋潭三峰で写真を撮ることができた。嶋潭三峰での写真撮影が終わると、神の門と言われる石門を訪ねることになった。石門まではかなりの山道を登っていかなければならなかったので、下で待っている人たちもあったが,折角来たのだからと頑張ることにした。
    
韓国の桂林と言われる嶋潭三峰

    
高所から見下ろした嶋潭三峰

    
山頂から200m位下ると見えてきた石門

    
さらに、石門の近くまで下りていくと、石門の向こうに村が見えてきた。


海印寺

2008-10-05 10:13:26 | Weblog
 
海印寺は八万本の木版経典である世界文化遺産「八萬大蔵経」が納められている名刹。大邱の東,伽倻山の南麓にある。新羅時代の高僧義湘が華厳宗を広めるために建てた十刹の一つと言われている。もともとの建物は順応大師と利貞大師が802年に建造したが、度重なる火災で木造建築物はほとんど焼失し、現存する建物は1817年に再建されたもの。創建当時のまま残っているのは本堂に収められている木造の毘沙蘆遮那仏と憧竿支柱、三僧石塔だけと言う。一番の見どころは、「八萬大蔵経」が納められている八萬大蔵経閣だ。大蔵経とは仏教の経典・論書を総集したもので、両面に経文が刻まれた板が8万余枚あることから八萬大蔵経と呼ばれているとのこと。現在は八萬大蔵経と八萬大蔵経閣は共にユネスコの世界文化遺産に登録されている。
    
この寺院は階段が多く八幡大蔵経に辿り着くまでには108段の階段を登らなければならない。ただし、108段を一度に上るのではなく、数十段の階段を上って××門、そして広場、また階段を上って〇〇門といった具合に上っていく。

    
寺院内には50余の建物がある。 屋根の曲線が美しく、色彩の配合も素晴らしかった。

    
途中で立ち寄った仁王堂

    
大寂光殿(本堂) この後ろの建物に目的の八万大蔵経がある

    
大寂光殿の前庭にある石灯篭・石塔(三僧石塔)

    
ユネスコの世界文化遺産に登録されている八万大蔵経がある建物

    
八万大蔵経がある建物の裏側 この建築法のため室内は自然のエアコン状態になっているのだそうです。

    
膨大な数の大蔵経がずらりと並んでいる様子は圧巻だった。