グラニーのブログ

旅の思い出

鈴虫寺

2012-08-29 07:35:33 | Weblog

西芳寺の拝観が終わると川沿いに歩いて、鈴虫寺に行きました。その途中で見かけたのが赫耶姫竹御殿でした。中には入りませんでしたが、外部(塀沿い)を撮影してきました。


京都の松尾に住んでいた竹工の名人が日本の竹文化と竹工技術の保存のため
27年の歳月を費やして創建した竹の芸術遺産。
中には金閣寺形の竹の茶室と竹の客殿がある。



塀の上には竹の葉の透かし模様がある。



塀越しに木々の間から見えた建物。



華厳寺橋 
赫耶姫竹御殿の塀沿いに行くとこの橋が見えてくる。
橋を渡って真直ぐに行くと鈴虫寺に着く。



出迎えてくれたお寺の方が幸福地蔵のお話をして下さる。
ワラジを履いている幸福地蔵さま どんな願いでも1つだけかなえて下さる。
草鞋を履いて家まで願いをかなえに来て下さるとのこと。



本堂の前で前の説法が終わるのを待っているところ



説法会場



説法が終わって、お庭拝見



このお寺には色々の種類の竹があって、
竹の形も三角、四角、亀の甲羅などと変わったものが見られた。



山頂から下ってくる途中に京都市内が見渡せる場所があったので、
京都タワーを目標に撮影。
下はその場所に祀られていた観音様。



本堂まで下ってくる途中の風景







西芳寺(苔寺)

2012-08-25 19:56:41 | Weblog

六月、名古屋駅前からバスで苔寺に行ってきました。途中、京都伝統工芸品や和物を売っているアミダ本店に立ち寄り、更に車を進めて、苔寺の拝観時間調整のため石長松菊園で、早めの昼食を取った。苔寺では、和尚さんの読経に合わせて簡単な写経をし、美しい苔の庭園を鑑賞して来ました。



アミタ本店



昼食を取った石長松菊園



木戸孝允の別荘地跡と云う石柱



受付



昼食、        みあげ物売店、
庭の石塔楼       飾られていた人形


西芳寺(苔寺)
世界遺産「古都京都の文化財」。山号を洪隠山といい、臨済宗に属する。平成6年(1994)に世界文化遺産に登録された。奈良時代に聖武天皇の詔で行基が開山した古刹。兵乱で荒廃した後、暦応2年(1335)に後醍醐天皇、足利尊氏の深い帰依を受けた夢窓国師により再建され、禅の厳しい修行道場となった。庭園は枯山水の石組の上段の庭と心の字を形とする黄金池を中心とした池泉回遊式の下段の庭から成る。現在の3万5千平方メートルの庭園(国の特別名勝及び史跡)は昔の面影をよく伝えている名園だと言われている。120余種の蒼苔に一面が覆われといるので「苔寺」の名で親しまれている。


苔寺の正門(左上) 待ち時間に道端から撮った苔寺



入り口近くの風景 
蓮池、事務所、方丈(右下)



蓮池の大賀ハス 写経した方丈より撮影



庭園入り口(左上) 皇后さま行幸の際にお植えになった五葉松(左下)



小庵堂(左下) 明治維新の際に岩倉具視が一時隠棲したところ(右下)


しばらく黄金池を中心とした池泉回遊式の庭園の苔をお楽しみください。






向上関をくぐるとそこからは上段の枯山水の石組の庭となる。


向上関(右上)




座禅石(右下)



西来堂?(右上)
登りで疲れているので、下りは大変でした。
竹の手すりに助けられて方丈の所に出た時はほっとしました。









江南周遊 上海2

2012-08-12 07:36:42 | Weblog

豫園
16世紀、明の時代に四川省の役人をしていた藩允端が、両親のために造った庭園で、1559年から77年まで18年かけて造営された。400年余の間に庭園の持ち主は次々と変わり、改築改修も何度も行われた。面積は2万平方メートルで、蘇州の4大庭園や北京の庭園の広大さとは対照的だが、設計の巧妙さと計算し尽くされた配置の細やかさによって、無限の広がりを持つ空間になっている。豫園は竜の彫り物を乗せた塀によっていくつかのブロックに分けられている。豫園名物のひとつ、太湖石の築山は、極端に反り返っている屋根の建物と不思議な調和を見せている。良く見れば穴だらけの奇怪な石だが、此処では素敵なオブジェクトとして鎮座している。庭園の周辺は豫園商城と呼ばれる商業エリアで、土産物、お茶、漢方薬などの店や、上海料理の店がひしめき合っている。すりが多いので年配の方は特に注意を必要とします。


豫園商城



豫園に入る前、時間待ちしていた広場から撮影した池の周りの風景



海上名園 
江沢民さんが書かれた名筆 この石の後方に三稲堂がある



三稲堂 
豊作を祈って付けられた名 
建物のドアには稲、麦、黍、瓜などの浮き彫りがある



築山の庭園 
(右下)写真の右側は回廊の一部



龍壁 
点春堂と万花楼の間の壁の上部は龍で装飾されている。
昔は皇帝しか龍は使えなかったので、爪を4本にして、龍ではないことにしたとか



高さ約3mの太湖石の築山 豫園名物の一つ


新天地
上海近代建築の代表とされる石庫門を中心に改造、1920年から30年かけて存在したフランス租界の町並を再現、2001年にオープンした。装飾・工芸品、土産物、家具からレストラン・バー・デスコ、ブティックなど約80の洒落た店が集まっている。上海の最先端の流行発信地。パリーやニューヨークを思わせるオープンカフェも多い。

 

約30分の散策を楽しんできました




江南周遊 上海1

2012-08-05 07:30:35 | Weblog

上海市
エネルギーに満ちたコスモポリタンシティ。アジア大陸最長の大河、長江が東シナ海に注ぎ込もうとする直前のデルタ地帯で、解放後の発展目覚ましく、北京天津と共に、中央直轄地のひとつとなっている。また中国海外貿易の最重要港を擁し、あらゆる種類の工業が発達した中国最大の商工業都市、文化都市となった。かつては上海は一漁港で、日本やその他のアジア国々の船が出入りをしていたが、都市としての繁栄は蘇州に後れをとっていた(今はその反対)。しかし、アヘン戦争の敗北を機かけに、様相を一変した。列強の中国侵略の拠点となり、中国の一部でありながら、中国の主権の及ばない租界が、市内のあちらこちらにおかれた。100余年に及ぶ半植民地時代、それが中国にありながら、何処か中国そのものでない、現代の上海を生んだのだという。1949年の解放で租界は無くなり、外国人は追放され、上海は中国人の都市として生まれ変わったが、自分たちを卑しめた外国人が残して行った文化を無下に破壊しないで、それを大切に保護し、この類まれなエキゾチック空間を上海の誇りとしているようである。


上海体育館(左上)上海万博会場(右下)



田子坊 見所ぎっしりの散策スポット。
路地裏の雰囲気でアート、ショッピング、グルメが楽しめる



この細い道の両側に色々のお店がある 
道端で似顔絵を描く人も見かけた



外灘から黄浦江を挟んで見える浦東の建物 
森ビル〈上海環球金融センター〉(左下) 東方明珠塔〈テレビ塔〉(右下)



写真の奥の方に見える建物がかつての租界時代に建てられた建築群
 


黄浦江クルーズで撮影した夜景の一部 森ビル(右上)と東方明珠塔(右下)



森ビル(上海ヒルズ  上海環球金融センター)
日本の森ビルが手掛けた101階建ての超高層ビル。08年春に完成,高さ492メートルで東方明珠塔を抜いて中国の№1となった。商業施設やオフィス、ホテル、展望台などを備えており、日本の主要な金融機関も相当数入っている。


森ビル 背が高すぎて近くからは全身は写せません



エレベーターで423mの94階の展望台まで行く(展望台は94、97,100階にある)  
展望台(スカイアリーナ94)の内部 中国の観光客で賑わっていました。



展望台からの風景 
美しい黄浦江のパノラマが見えるはずですが、
生憎、靄っていたのとガラス越しと言うことで
遠くの景色がはっきりしないのが残念。


上海博物館
北京の故宮博物館と並び称される代表的な博物館。新石器時代から現代にいたる貴重な文物が10万点以上も所蔵されている。特に青銅器や陶磁器のコレクションが有名で、新時代の兵馬桶や唐三彩などは必見の展示物と言われているが、私たちの滞在時間は極めて短く、とても見られなかった。書を見たいと云うので、3階の書画室と歴代印象館、歴代書籍館を見て回るのが精一杯だった。


上海博物館





展示されていた書の一部




展示されていた印の一部



古代磁器
集合場所に戻る途中で2階の古代磁器館を大急ぎでのぞき撮影しました



3階の吹き抜けから1階を撮影