グラニーのブログ

旅の思い出

エジプト紀行 カイロ

2010-09-25 12:04:16 | Weblog
 
3泊したカイロのラムセス・ヒルトンホテルを7時30分に出発。いよいよエジプトの旅も最後になってしまった。帰国前にエジプト考古学博物館、オールドカイロとハンハリーリバザールの見学だ。

エジプト考古学博物館
この博物館の見どころは何と言ってもツタンカーメンの財宝だ。ゆくり見れるなら一番最後に見るべきだろうが、時間が限られているので入館後は直ちに2階のツタンカーメンの部屋へ。通路にはツタンカーメンのベッドや厨子などが展示されている。室内はかなり暗いが、びっくりすほど多くの副葬品が展示されている。戦車のような大きなものから、椅子や枕、ペンダントの様な小物まで、細かな細工が施されている。写真撮影ができないのが残念だが、黄金のマスク、黄金の棺、黄金の玉座、鉄の短剣、ペンダントなどは必見だ。
次に行ったのはミーラ室だった。あまり大きくはないが、ミーラだけが展示されている。ネームカードとミーラとを見ながら、ラメセス2世のミーラを見つけると多くの場所でその彫像や名前を見てきた王かと親しみを覚える。1階の歴史のフロアは入館するとすぐ左手に古王国時代の展示室があり、右回りに、中王国時代、新王国時代と進み、最後にグレコ・ローマン時代の展示室がある。撮影禁止なので館内の写真はありません。

       
カイロ博物館の正面の外観

オールドカイロ
カイロ発祥の地、カイロの歴史はここから始まったという。カイロの中心部とは打って変わって、静かな街で、ノスタルジックな雰囲気に包まれている。時間があれば訪れたい場所はいくつもあるが、時間のない私たちは、コプト教会の1つ聖セルギュウス教会の内部見学だけとなった。撮影ができないので、教会内部の見応えのある祭壇やステンドグラスなどの写真がないのが残念だが、祭壇の左手の奥に地下道がありエジプトに逃れて来たキリストと聖母マリアが隠れていたと言われる場所も見ることができた。

       
コプト教会の聖ジョージ教会

       
聖セルギュウス教会へ行く地下入り口(左上)、教会へ行く道(左下)、壁に本がずらいりと立てかけてある。本屋さんかしら?(右上)、教会の入り口(右下)

イスラム地区
エジプト文明の誕生から約4000年後、イスラム教徒たちによって新しい都がつくられ、長年にわたって繁栄してきた。街の至る所にモスクのミナレットが聳え、その数の多さに「1000の塔の都」と言われている。この地区は、すべて車上からの見学となった。
シタデル(城塞)
アイユーブ朝の創始者サラーフ・アッディーンが1176年十字軍の侵攻からカイロを守るための根拠地として建設した城塞。
       

ムハンマド・アリ・モスク
シタデル内にある。イスタンプールのブルーモスクを真似て作られた巨大なモスクで、エジプト独立の功労者ムハマド・アリによって1857年に建てられた。
       

ハン・ハリーリ(市場)
エジプトのお土産なら何でもそろうと云う人気の市場。かっては中東最大の規模を誇っていたという。沢山の店が並び、迷路のように細い通路を観光客がゲーム感覚で値段交渉をしながら、買い物を楽しんでいる。私たちもガイドさんの勧めで健康に良いというハイビスカ茶を買ってきた。

       
ベリーダンスの衣装 スパンコールできんきらきん・しんちゅうの皿など
       
店員さんたちはみんな日本語が達者? 日本のお笑いタレントのギャグを盛んに言っていました。







エジプト紀行 アレキサンドリア

2010-09-19 17:50:45 | Weblog

アレキサンドリアは地中海に面した美しいリゾート地で、紀元前332年にアレキサンダー大王によって建設された。大王の死後、プトレマイオス朝時代には首都で、王朝最後の女王クレオパトラがいた街だ。私たちはカイロから列車でエジプト第2の都市、アレキサンドリアに向かった。片道3時間、1等車だったがとても快適とは言えなかった。ここでの観光は時間の関係で、ポンペイの柱、カタコンペ(外観だけ)と国立博物館だった。

ポンペイの柱
アスワン産の花崗岩から作られた円柱でエジプト№1の高さは約30m、かっては400本もの円柱があったと言われている。ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝が建てたと言われている。
       
小高い丘の上に一対のスフィンクスと巨大な円柱が一本立っている

カタコンベ
ポンペイの柱を見学して、遺跡に沿って歩いて行くとカタコンベに出た。かって遺体を運びおろした中央の竪穴の周りを螺旋階段が下へと続いている。2世紀に硬い岩盤をくりぬいて造られた墳墓は三層になっていて、裕福な貴族の家族のための地下室だったと言う。カタコンペのある場所が、アラビア語で“陶片の小山”と呼ばれているのは、葬儀の際の宴会の席で使われた食器類の破片が残されていたからだろうとのガイドさんの話です。

       
ポンペイの柱の奥の方がカタコンペ
       
カタコンペからポンペイの柱のあるところへ戻ってくる途中に見かけた壁画と柱の文様


グレコローマン博物館
グレコローマン時代の遺物を中心に展示されている。カイロのエジプト考古学博物館に並ぶ代表的な博物館だと云う。

       
博物館入口
       
       
展示品のほんの一部 皇帝の威厳の漂うユリウス・カエサルの白大理石製の頭部やファロス島の大灯台の模型 などがあった。ファロス島の大灯台は基礎は四角、第二層は八角形、第三層は円形の三層からなっている。




エジプト紀行 ダハシュール

2010-09-12 09:47:01 | Weblog
 
ダハシュールはサッカラから南の人里離れた砂漠にある小規模なピラミッドのある遺跡。ダハシュールの2つの大きなピラミッドはギザの大ピラミッドを造ったクフ王の父、スネフェル王のために造られた。2つのうち先に造られたのが、傾斜角度が途中から変わっている屈折ピラミッド。このピラミッドは初めて正真のピラミッドとして設計されたもので、それ以前はすべて階段ピラミッドだった。したがって、設計者が計算間違いをした可能性があり、初めは55度の傾斜角度だったが、構造上の不安があり、途中から44度に傾斜を変えて完成したのだろうと言われている。珍しいことに、このピラミッドは、完成当時表面を覆っていた白い石灰石がかなり残っている。もう1つのピラミッドは43度の緩やかな傾斜を持つ北のピラミッド、別名赤のピラミッドだ。石が赤いことから赤のピラミッドと呼ばれている。

       
屈折ピラミッド
       
赤いピラミッド

ナイル川ディナークルーズ
ピラミッド観光の後は絨毯店により、ナイル川ディナークルーズで夕食となった。船内では最初音楽に合わせて歌が披露され、次いで、女性が腰を激しく振りながら踊るベリーダンスがあり、ぐるぐる回り続けるイスラムの踊り“スーフィーダンス”(トルコの宗教ダンスを期待したが、此処では観光用にステージ化されたもので、タンヌーラ・ダンスとも呼ばれているものでちょっとがっかりした)が催された。

       
上段 夜のナイル川クルーズ 中段 ベリーダンス 下段 スーフィーダンス


エジプト紀行 サッカラ

2010-09-05 08:13:54 | Weblog
  
サッカラはギザから南へ約10km、カイロの中心部から約24kmの所にあり、エジプト屈指の遺産の宝庫だと言われている。サッカラは古王国時代の首都メンフィスのネクロポリス(死者の町)として築かれた。ここには多くのマスタバ墳(台状の墳墓)がある。遺跡を見学するには少なくても半日はかかると云うことだが、私たちはジェセル王の階段ピラミッドを外側から見ただけだった。
ジェセル王の階段ピラミッド
世界最古のピラミッド。ギザのピラミッドより100年ほど前のもの。これはジェセル王の命で、最高位の神官で世界最古の大建築家、イムホテブによって建築された。サッカラができる前は、建造物には泥レンガが使われ、一般的な墳墓の様式は、マスタバと呼ばれる、長方形の厚い石板で玄室を覆う単純な構造だった。イムホテブはこのマスタブ様式を踏襲して、まず巨大な石でマスタブを造り、その上に徐々に小さなマスタブを5層重ねて階段状のピラミッドを築いた。6段60mのピラミッドだ。南東の角の入口から入ると束ねた葦をかたどった列柱が並んでいる。この列柱の回廊を進んでいくと、南の大中庭と呼ばれる広場に出る。ジェセル王のピラミッド群の南には第5王朝の最後の王ウナス王のピラミッドが崩れかけた丘の様な姿で残っている。残念ながら、現在は内部の見学はできないが、墓室内の壁にはピラミッド・テキストがびっしりと書き込まれているという。

       
マスタブを6層重ねた階段状のジェセル王のピラミッド
       
南の大中庭と呼ばれる広場からの眺望  手前の小山に見えるのもピラミッド