グラニーのブログ

旅の思い出

丈山苑

2016-12-16 19:03:34 | Weblog

丈山苑は愛知県安城市和泉町にある。バスから降り、少し行くと北入口があり、しばらく歩くと前方に橋が見えてくる。その手前に丈山苑の入口がある。望京橋をわたり、詩泉閣の玄関から詩仙堂、書院、広間へと誘導され、そこで丈山苑の説明を聞き、その後、それぞれに広間、書院、詩仙堂から庭園を十分に鑑賞、外に出て回遊式庭園を散策した。
丈山苑は京都一乗寺の詩仙堂の創建者で、隷書、漢詩の大家として知られている石川丈山の誕生地に詩仙堂のイメージを再現させたもので、詩仙堂を彷彿とさせる書院と本格的な和風庭園が配置されている。丈山苑の核となる詩泉閣には、探幽の「画」、丈山の「賛」と伝えられる詩泉堂ゆかりの三十六詩仙の詩仙堂額(複製)や、隷書体の書幅などが掲げられている。


北入口



北入口から丈山苑入口までの行程




丈山苑入り口



望京橋  詩泉閣の入り口が見えている



詩泉閣玄関の横庭



詩仙堂     三十六詩仙の詩仙堂額の一部



書院と広間で 丈山苑の説明を待っているところ



広間の床の間



広間から東庭園を望む  遠くに丈山翁の像が見える



詩泉閣の南庭(広間前)




詩泉閣の南庭(書院前) 五重塔が建てられている



南庭のつくばい(書院から撮影)



詩仙堂の床の間 丈山の掛け軸



詩泉閣の南庭 京都の詩仙堂の庭をイメージした唐様庭園(詩仙堂前)



詩仙堂の飾窓から北庭を・・・



詩泉閣北庭 一休寺の庭を模した蓬莱庭園


詩泉閣の玄関を出ると左側に丈山苑の東側に広がる回遊式庭園に行く道がある


回遊式庭園への道



回遊式池泉庭園 京都東本願寺の庭園をモデルに造られている



池の周りにある四阿(あずまや)・丈山の漢詩の中で最も有名な「富士山」の石碑



丈山の銅像  ・  東庭園から見える詩泉閣





井伊直虎ゆかりの地を訪ねて(龍潭寺、井伊谷宮、南雲寺、蜂先神社)

2016-12-06 17:24:05 | Weblog

龍潭寺
井伊直虎が眠る龍潭寺には井伊家歴代が祀られている。この寺の歴史は古く、奈良時代に行基によって開創され、平安時代から井伊家の菩提寺であったとのこと。戦国時代には、井伊直平に帰依された黙宗瑞淵和尚を開山として迎え、桶狭間で戦死した井伊直盛の戒名から寺号を「龍潭寺」に変えたといわれている。また、井伊直虎が出家後、修行をして多くの月日を過ごした場所であり、生涯を寺内の庵で暮らしたとされており、境内のいたるところに井伊家の足跡が点在している。江戸初期に小堀遠州が手掛けた国指定名勝「龍潭寺庭園(池泉鑑賞式庭園)」は貴重な文化財であり素晴らしい。


大門(山門)



仁王門



本堂・開山堂



東門



鐘楼



本堂



釈迦牟尼仏  入口の直ぐ傍にある。遠州最大の大仏



本堂内部



直虎と虎松(直政)



一刀彫の龍 左甚五郎の作とか



稲荷堂 夢が叶うという正夢稲荷が祀られている



開山堂内部


井伊家の籠や黙宗瑞淵禅師・南渓和尚を祀る開山堂を通り抜けて渡り廊下で井伊家千年40代の御位牌を祀る御霊屋へ。


井伊家系図



右から、元祖井伊共保公、井伊直盛公、井伊直政公のご位牌



御霊屋から眺める庭園



正面から見る庭園   2つの守護石の間に見えるお山が庭造りの中心



礼拝石・蓬莱岩島



お庭から見る御霊屋


本堂から井伊家の墓所へ


右が共保公、左が直盛公のお墓、
灯篭で一部隠れてしまっているが、その隣が直盛の妻、直虎、直親、直親の妻、直政のお墓


墓所から井伊谷宮に向かう途中に後醍醐天皇の皇子宗良親王の墓所があったが、時間の関係で立ち寄らずに井伊谷宮へ。


井伊谷宮      後醍醐天皇の第四皇子宗良親王が祀られている


此処からはバスで妙雲寺へ。

妙雲寺
臨済宗妙心派の寺院で本尊は虚空蔵菩薩。井伊直盛が戦死したので直盛の息女、直虎が父の墓提のため剃髪して一宇を建立、自耕庵と号していたが、死後直虎の院号にちなみ妙心寺と改められた。




妙雲寺の内部



庚申(青面金剛)



渭伊神社
南北兵乱の時代に龍潭寺境内から現在地に移ったと言われている。井戸や井水を祭祀対象とした神社で井伊家発祥とともに氏神になった。本殿背後の丘に古墳時代の巨石祭祀の遺跡天白磐座遺跡がある。


渭伊神社の神木



渭伊神社




天白磐座遺跡の巨石


蜂前神社
直虎が今川から命じられた徳政令の実施を2年引き伸ばした時の経過が書かれた古文書がある


蜂前神社の鳥居



蜂前神社



古文書に押されていた直虎の花押