グラニーのブログ

旅の思い出

チェスキー・クロムロフ

2009-02-22 08:35:19 | Weblog
曲がりくねったヴルタヴァ川に囲まれるようにして立っているチェスキー・クルムロフ城から空高く突き出ているカラフルな塔、赤茶けた屋根に白い壁の家々、城へ続く石畳みは目を楽しませてくれる。城が建築されたのは13世紀のことだが、町の発展は14~16世紀だと言う。手工業と商業が産業の中心だったので、近代化の波に洗われることなく、中世のままのただ住まいが残ったので、1992年にユネスコの世界遺産の指定を受けている。チェコで最も美しい町と言われている。
    
城へ行く途中、ボートを楽しんでいる人たちと川下りをしようとしていた船
    
町の家々の一部
    
城へ続く石畳み(左)  城内への入り口(右)
チェスキー・クルムロフ城
13世紀に南ボヘミアで勢力を誇ったヴィートコヴィツ家の分家である領主クルムロフによって築かれた城。その後、持ち主が変わる度に、城は、ゴシック、ルネッサンス、バロック様式で修改築がされた。ボヘミアではプラハ城に次ぐ大きさで、完成された複合建築が見事な調和を生み出している。
    
複合建築が見事な調和を見せているチェスキー・クルムロフ城。塔は城内最古の建造物。

    
城内から撮ったチェスキー・クルムロフの街風景




ボヘミアの古城

2009-02-15 08:15:49 | Weblog

緑の森と古城の国と言われているボヘミアには緑の森に抱かれたカルルシュテイン城やチェコの星の城を意味するチェスキー・シュテルンベルクなど沢山の古城があるが、その中の一つコノビシュチェ城を見学した。
コノビシュチェ城
こんもりと緑が茂る山の上に立つ、14世紀の城。バロック様式の城の中には、最後の城主であるオーストリア帝国(ハプスブルク家)のフェルディナント皇太子のコレクションが保存されている。壁一面に鹿の角、鷹や鷲の剥製が並び、ヨーロッパの中でも評価の高い刀剣や銃器などの武器コレクションも展示されている。裏の堀には熊、裏庭では鷲や鷹、白いフクロウ等が飼われている。
    
コノビシュチェ城(左上) 前庭(右上) 鷹使い、有料(左下) 場内への入り口(右下)
    
リビング(左上) 寝室のベット(右上) 室内暖房器(左下) 鹿の角、鷹、鷲の剥製が飾られている部屋(右下)
    
壁や天井などに見られる装飾
    
城から見えるボヘミアの風景
    
銃のコレクション



プラハ4

2009-02-08 08:29:19 | Weblog
 
旧市街
ヴルタヴァ川の東岸に広がる旧市街の歴史は古く,10世紀に遡る。もともとは、諸外国間を行き来する商人たちのために整備され、プラハの商業発展の中心的役割を担っていた。旧市街広場を中心に、迷路のような細く入り組んだ道が伸びている。マリオネット博物館を訪ねたいと地図を片手に向かうが休館。併設の劇場も時間が合わず、時間的余裕もないので旧市庁舎の塔の上から街の様子を見学することにした。
旧市庁舎
旧市庁舎の歴史は古く、11世紀にまで遡る。第2次世界大戦で被害を受けたので、現在見られるのは大規模な修復がなされた後のもの。内部には様々な歴史画が飾られていて、プラハの成り立ちがよくわかる。この建物の目玉は15世紀に作られた天文時計だ。毎時間丁度になると、死神が、鐘をたたくのに合わせて、キリストの12使徒が回りだすと言う。塔にはエレベーターで登ることができる。
    
ゴシック様式の歴史ある外観
    
毎正時に使徒が現れる天文時計 天文時計の人形
旧市街広場
大道芸人やコンサートのチケット売り、観光客でいつも賑わっている。中央に立っているヤン・フス像は、1915年にフス没後500年を記念して建てられた。カレル大学の総長でもあった彼は、15世紀に宗教革命を断行し火刑になったが、今でもチェコの英雄的存在だ。1621年にはここで反ハプスブルクのチェコの貴族27人が処刑され,1918年には国家独立を要求する市民のデモが起こるなど、チェコの歴史に深く関わっている広場。
    
大道芸人やチケット売り、観光客で賑わう旧市街広場のヤン・フス像の前は観光客の休息のスポット。
ティーン教会
典型的なゴシック様式。この教会はフス派の重要な拠点として、宗教改革に大きな役割を果たした。2つの尖った鐘楼は、高さ80mで、「百塔の町」と言われるプラハでも際立っている。塔の建設は、1270年に開始されたが、当時カレル橋の建築を手掛けていたP・パーレルによって1380年にゴシック様式に変えられた。屋根が完成したのは1457年。塔の間の三角屋根には純金の聖母マリアの像が輝いている。
    
塔の間の三角屋根の純金の聖母マリアの像
    
市庁舎の塔の上から撮影したティーン教会
    
市庁舎の塔から見える旧市街の様子の一部 遠くにプラハ城(右上)
旧市街広場の北側、ミクラーシ教会の裏はかってゲットーだった。中央は現在のパリ通り(左下)旧市街広場(右下)




プラハ3

2009-02-01 10:14:59 | Weblog
 
カレル橋
マラー・ストラナと旧市街を結ぶプラハ最古の石橋。1357年、カレル1世の命で、ゴシック様式の石橋の建設が始まった。60年の歳月をかけて完成したこの石橋は、全長516m、幅9.5mで、30の聖像が並んでいる。当時はヴルタヴァ川の東と西を結ぶ唯一の重要な橋で、歴代の王の戴冠式の行列の道であったと言う。現在は歩行者天国となっていて、観光客で賑わっている。カレル橋の旧市街側にあるゴシック様式の橋塔も、P・パーレルの作で、外壁の紋章や守護聖人の像は、ボヘミアゴシック彫刻の最高傑作として有名。また、橋の両側に並ぶ像も美術品としての価値が高い。
    
カレル橋に並ぶ守護聖人の像の一部。 左上の聖人像はカレル橋に並ぶ彫刻の中で一番美しいと言われる「聖ルイトガイダ」
    
ヤン・ネポムツキーの像(左)と彼の台座に触っている人(右) 銅板に触る人や記念写真を撮る順番を待つ人で混雑していた。
    
(左)マラー・ストラナ側の橋塔 (右)旧市街側の橋塔(火薬塔)
    
カレル橋を渡ろうとしている人たち(左上)橋の途中で振り返ると見えるプラハ城(右上)
橋の上にはプラハの風景を描いた絵を売っている人や大道芸人や昔のオルゴールを演奏している人などがいた。(下)
火薬塔
カレル橋を通り抜けて、後ろを振り返るとゴシック様式の塔がある。かつては要塞の門が立っていたが、その跡地にV・ジャジェローネの設計で高さ65mの塔が建てられた。塔はボヘミアの君主や守護聖人の像で飾り立てられている。17世紀になって、火薬貯蔵庫として使われてから火薬塔と呼ばれるようになったのだと言う。現在は塔の頂上から旧市街が一望でき、塔内はギャラリーとなっている。
      
火薬塔
    
橋の終点になる火薬塔を出たところ。ここから旧市街になる。カメラは火薬塔を撮ろうとしている。