クトゥブ・ミナール
クトゥブ・ミナールはインドでもっとも高い塔。1199年に北インドを征服したクトゥブッディーン・アイバクが勝利を記念して建設させた塔だ。アイバクは僅か4年間の在位で死去したので、塔は後継者によって完成された。後の補修工事の時に5階部分は増設された。この塔はこの北にあるモスクのミナレットの役割も果たしている。それぞれの階にはバルコニーが付いており、3階までは赤砂岩、4~5階は砂岩と大理石造り。かっては階上から眺望も楽しめたとのことだが、安全上の理由で現在は立ち入り禁止。
造りかけで放置されたアラーイーの塔
クトゥブ・ミナールの北、入り口から延びる小道の向こうに、柵に囲まれた円柱の基部がある。奴隷王朝を倒したヒルジー朝2代皇帝が、クトゥブ・ミナールと同じデザインで2倍の高さの塔を建てようとした。しかし工事途中で皇帝が死去してしまったので、その後放置されたままになっているのだそうです。
クッワト・ウル・イスラム・モスク
異教美術が混合した印度最初のモスク。アイバクがデリー侵攻に成功した直後の1192~1198にかけて建造された。クトゥブ・ミナールの北西にある。ヒンドゥ寺院やジャイナ寺院を取り壊してその上に建設されたため、建設資材には両寺院の残骸が多く利用されている。モスクはメッカのある西の方角を向いて建っていて、正面の北側にはスクリーンが建っている。
モスクの屋根が丸くなく、三角になっている。ガイドさんによると当時はインドでは丸いドームの屋根を造る技術がなかったからだそうです。
チャンドラヴァルマンの鉄柱
4世紀に造られた鉄柱だが、純度が98%で、風雨に晒されながら侵食も見られず、石造建築に囲まれて黒く光っている。もともとは、ヴィシュヌ神を守る寺院の前に建てられたものだが、グブタ朝のチャンドラグブタ王を偲ぶための記念碑として現在の場所に運ばれ、建て直されたと言われている。