―日々余話― 無事開催すれど‥
秋天蒼穹の空ならず、垣間見えるかすかな青空は、いまにもどんよりと厚い雲に覆われようとしている。
そんな朝、KAORUKOの運動会は、ともかくも無事幕を開けたのだが‥。
10月初めの日曜日は、ずいぶんと降水確率が高いらしく、校長の開会挨拶によるば、今の6年生が1年生の時以来、5年ぶりの日曜開催という。昨年は新型インフルエンザ騒ぎであえなく中止となったのだったが、それ以外はずっと雨に祟られっぱなしで延期、平日開催となっていたらしい。
その久しぶりの日曜開催も、11時頃には無情にもパラパラと雨が降り出し、午前のプログラムを終えて、それぞれに家族とお弁当を囲む頃には、とても空の下でとはいかず、体育館やら廊下やらにみな避難しての昼食となる始末。
ごった返す体育館で、親子3人で弁当をつついていたら、続行困難とみたか無情にも、「残された午後のプログラムは火曜日に延期、実施します」との放送が流れたのだった。
―山頭火の一句― 行乞記再び -108
4月18日、けさも早く起きたが雨だ、起きてくる誰もが不機嫌な顔をしてゐる、雨ほど世間師に嫌なものはないのに、此不景気だ、それやこれやで、とうとう喧嘩がはじまつた、怒鳴る、殴る、そして止める。
うるさいから、ぢつとしてゐるのもいやだから、10時過ぎてから、合羽を着て出立する、1時間ばかりで晴れてきた、どしどし歩いて神湊まで8里、久々で俊和尚に相見、飲んで話して書いて。‥
俊和尚が浮かない顔をしてゐると思つたら、夫婦喧嘩して奥さんが実家へ走つたといふ、いろいろ宥めて電話をかけさせる、私と俊和尚とは性情に於て共通なものを持つてゐる、それだけ一入他人事とは思へない、彼も憂鬱、私も憂鬱になる。
筑前の海岸一帯は美しい松原つづきだが、殊に津屋崎海岸の松原は美しい、津屋崎の町はづれの菜の花も美しかつた、いちめんの花菜で、めざましい眺めである-ここでまた、筒井筒振分髪のH子をおもひだした-。
風がふいた、笠どころか、からだまで吹きまくるほどの風だ、旅人をさびしがらせるよ。
今夜は俊和尚の典座だ、飯頭であり、燗頭であつた、ふらん草のおひたし、山蕗の甘煮、蕨の味噌汁、みんなおいしかつた、おいしく食べてぐつすり寝た。
かういふ手紙を書いた、それほど俊和尚はなつかしい人間だ。-
「また松のお寺の客となりました、俊禅師猊下の御親酌には恐入りました、サービス百パーセント、但しノンチップ、折から庭の桜も満開、波音も悪くありません。‥」
※句には隣船寺と前書あり、表題句の外、6句を記す
「筒井筒振分髪のH子をおもひだした」とあるが、「筒井筒」は、世阿弥の「井筒」の原典ともなった「伊勢物語」-第23段-の故事、どうやら山頭火にも初恋の、幼馴染みの面影があったとみえる。
Photo/恋の浦から東に伸びる白砂青松、津屋崎町
Photo/津屋崎海岸の夕景
Photo/いちめんの菜花畑、津屋崎町
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