山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

恨みじなおのが心の天つ雁‥‥

2007-12-20 15:51:47 | 文化・芸術
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―表象の森― リズム現象の世界

以下は、蔵本由紀編「リズム現象の世界」のまえがきとして付された一文からの引用。

 呼吸・心拍・歩行など、人が生きる上で最も基本的な活動はリズミックな現象、つまり同一の単純な事象が繰り返される現象である。広い意味の「振動」と言ってもよい。
太古から人類はこのような身近なリズムとともに生きてきた。日夜の交代や潮の満ち干、浜辺に打ち寄せる波など、外界もさまざまなスケールのリズムに満ちている。
また、時計、モーター、各種楽器など、人は種々のリズムを作り出し、それを制御することによって限りなく生活を豊かにしてきた。
情報化社会の基礎にもリズムがある。現代生活にあふれる電子機器内部では、高周波のリズムが生成され、それに同期して無数のプロセスが進行している。

 生命活動にとってリズムはとりわけ重要である。「生物振動-biological oscillation」や生物時計-biological clock-という言葉が暗示するように、高度な生命活動はリズムの生成とその制御によって支えられている。
神経細胞は適当な条件の下で周期的に興奮を繰り返すが、それは脳の情報処理の基礎である。
また、正確な日周リズムを刻む私たちの体内時計によって、睡眠、血圧、体温などの生理的機能は正常に維持されている。呼吸や心拍の意義についてはあらためて言うまでもないだろう。
 多くの場合、リズムは孤立したリズムとしてあるのではない。リズムは他のリズムと呼応し、微妙に影響し合っている。リズムは互に同調することで、より強く安定したリズムを生み出すが、逆にリズム感のタイミングを微妙にずらせることで情報伝播など高度な機能が生じる場合もあろう。同期、非同期という概念がそこでは鍵概念となる。

 同期現象は自然界に偏在している。
たとえば、釣橋を歩く歩行者たちの歩調が、橋という物体を媒介にして相互作用し、同期して橋を左右に大きく揺らせることがある。
私たちの体内時計は日夜の周期に同期している。マングローブの林に群がったアジア蛍の集団は同期して発光し、林全体が規則正しく明滅する。心臓のペースメーカー細胞群は同期することによって明確なマクロリズムを心筋に送り出す。大脳皮質では、神経細胞群が同期と非同期を複雑に組合せながら高度な情報処理を行っているにちがいない。

このような、振動する要素の集まりから生じる多様なダイナミクス-自然界に見られる多くのリズム現象-を、物理学では、「非平衡開放系」に現れる普遍的な現象であることを明らかにしてきた。
熱的な平衡状態やその近傍ではマクロなリズムが自発的に現れるということはない。しかし、身のまわりの多くのシステムは平衡から遠く隔たった状態に保たれており、エネルギーや物質の流れの中におかれた開放状態にある。地表面と上空との間には温度差が、したがってまた熱の流れがつねに存在し、それゆえ大気も開放系である。また、生物は数十億年かけて自然が生み出した最高度の開放系である。

 このような開放系は一般に自己組織化能力をもち、さまざまな空間構造やリズムを生み出すことが知られている。そこにはエントロピーがたえず生成されるが、流入したエネルギーや物質とともにこれを外部に排出しつづけることで動的に安定性が保たれている。流入と排出がうまく釣り合って、時間的に一定の流れを作り出しているかぎりリズムは存在しない。しかし、このバランスが失われると、定常な状態は不安定となり、しばしば流れが周期的に変動することでより高次の安定性が回復される。これがリズムの起源である。
周期的リズムがさらに不安定化し、カオスに至るシナリオについては近年の力学系理論がその詳細を明らかにしてきたところである。

 このように、マクロリズムの普遍的起源は熱力学・統計力学のことばによって理解することができる。しかし、先にも述べたように、リズムは単に孤立したリズムとしてあるのではない。多数のリズムが干渉しあい、さまざまな時間構造を形成するとき、それは通常の意味での物理学の記述能力を超えている。むしろそこでは、エネルギーやエントロピーなどの物理的概念からも自由な、より抽象化された数理的アプローチが適している。すなわち、システムの物理的な成り立ちを度外視して散逸力学系としてモデル化するところから出発しなければならない。システムは連立非線形微分方程式によって定義されこの方程式が示す安定な時間周期解をリズム現象の基本的要素とみなすのである。このような要素的力学系は「リミットサイクル振動子」と呼ばれる。

 このアプローチをさらに一般化すれば、相互作用する多数のリミットサイクル振動子を散逸力学系モデルによって記述することができ、さまざまな手法を用いてその解析を試みることができる。そのように数理的研究から得られた結論の多くは、物理的対照の違いを超えてリズム現象一般に内在する普遍的様相を明らかにするであろう。しかし、リズム現象の研究にとっては、それのみではもちろん不十分である。これらの数理的結果を再び現実の場に戻し、個々の場面における物理的意味や摘要限界を明らかにし、具体的肉付けを行う必要がある。それによってリズム現象の科学はいっそう実りのあるものとなるだろう。数理と現実の間に起こるこのような往復運動は、リズム現象に限らず非線形現象の科学一般にとって必要不可欠のものである。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-91>
 鳥が音も明けやすき夜の月影に関の戸出づる春の旅人  藤原為家

大納言為家集、下、雑、暁、建長五年二月。
邦雄曰く、新古今前夜、六百番・千五百番歌合の頃は「春の故郷」さえ目に立つ新悟であった。四半世紀後れて世に出、父定家選の新勅撰集あたりを重んじた為家に、「春の旅人」は眼を細めたくなるような発見であり、秀句の一端だ。柔軟でよく撓う一首の律調、あらゆる武技、遊技に堪能の好青年であったと伝える作者の一面が、一瞬顕つ思いがする、と。

 恨みじなおのが心の天つ雁よそに都の春のわかれも  後花園院

後花園院御集、下、帰雁。
邦雄曰く、春の雁、それも「おのが心の天つ雁」と、不可視の雁の、虚無の空間を翔る姿を言葉で描いた独特の作。初句のやや重い思い入れも、結句の軽妙な助詞止めと、アンバランスの均衡を保つ。よそに見て、都のと続く懸詞も気づかぬほど。御集二千首にあふれる詩藻滾々、典雅な詠風である。院下命の第二十二代集は、応仁の乱のため成立を見ず、と。


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匂へどもそことも知らぬ花ゆゑや‥‥

2007-12-17 14:43:09 | 文化・芸術
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-表象の森- 科学知へのパースペクティヴを

お恥ずかしいかぎりだが、近頃、蔵本由紀の「非線形科学」や「新しい自然学」を読んだおかげで、私のような理系コンプレックスの徒にも、現代における科学的知へのパースペクティヴとでもいうべきものが、この年にしてようやくというべきか、まがりなりにも形成されていくような感がある。
そんな次第で、このところ科学関係やその啓蒙書の類を渉猟することしきり、購入本や借本にも色濃く影を落としている。

―今月の購入本-
・広河隆一編集「DAYS JAPAN -ジャーナリストの死-2007/12」ディズジャパン
すでに‘07年中に命を落としたジャーナリストは77名にのぼるという。’06年は85名であったとか、’03年のイラク開戦から世界各地でジャーナリストの犠牲者はうなぎのぼりの状況だ、と。リストカットを重ねる少女の写真もまた痛々しいことこのうえない。
・マレイ・ゲルマン「クォークとジャガー-たゆみなく進化する複雑系」草思社
還元主義から複雑適応系への転換によっていかなる新しい科学が生まれるかを展望した書、‘97年版中古書。
・イアン・スチュアート「自然の中に隠された数学」草思社
カオスから複雑系まで、共通する数学の構造から多様な現象を貫く単純な原理が明かされる。ホタルがいっせいに明滅する現象とムカデの歩行が同じ仕組みのものとわかる。’96年版中古書
・ジェイムス・グリック「カオス-新しい科学をつくる」新潮文庫
相対性理論や量子論からカオスの世界へ、現代科学の新しい知を総合的に論じてくれる入門書に相応しい書、‘91年版中古書。
・山口昌哉「カオスとフラクタル-非線形の不思議」講談社ブルーバックス
カオスやフラクタルが話題になり始めてまもない頃の、その基本構造を分かり易く説いてくれる啓蒙的入門書、‘86年版中古書。
・臼田昭司・他「カオスとフラクタル-Excelで体験」オーム社
カオスとフラクタルの基本理解と、Excelを使って体験できるようにまとめたテキスト、’99年版中古書。
・松井孝典「地球システムの崩壊」新潮選書
温暖化や人口爆発など、21世紀が抱える深刻な課題の本質を地球システムのなかで捉え警告を発する文明論、本年の毎日出版文化賞・自然科学部門受賞の書。
・西岡常一・小川三夫・塩野米松「木のいのち木のこころ」新潮文庫
「木に学べ」の法隆寺宮大工西岡常夫の弟子小川三夫らが語る西岡・小川・塩野の棟梁三代、匠の心。
・V.E.フランクル「夜と霧-ドイツ強制収容所の体験記録」みすず書房
著者自身のナチス強制収容所体験を克明に綴った本書は’02年に別人訳で新版が出たが、旧版には他の多くの証言記録や写真が豊富に資料として添付されている。‘85年版の中古書。
・渡辺清「砕かれた神-ある復員兵の手記」岩波現代文庫
著者についてはジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」にほぼ20頁を費やして詳細に言及されていたが、海軍の一復員兵が自身の戦中と終戦直後の天皇観への激変を通して、天皇の戦争責任を追及するようになる心情を綴る復員日記。
・アンドレ・シャストル「グロテスクの系譜」ちくま学芸文庫
ルネサンス美術の陰で産み落とされてきた怪奇や滑稽・アラベスクなどグロテスクなるものの系譜をたどる美術史。
・他に、ARTISTS JAPAN 44-田能村竹田/45-狩野山楽/46-岩佐又兵衛/47-司馬江漢

―図書館からの借本―
・J.L.キャスティ「ケンブリッジ・クィンテット」新潮社
人工知能は可能だとする数学者チューリングを最左翼に、不可能とする言語学者ヴィトゲンシュタインを最右翼に置き、この二人の間に物理学者シュレディンガーと遺伝学者ホールディンを配して、人工知能の原理的な側面から認識論や認知作用まで架空論争を闘わせ、精神と機械の本質を明らかにしようとする。この架空対話を取り仕切る進行役は、文系人間と理系人間の不幸な分裂を鋭く指摘したC.P.スノーである。’98年版。
・ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて-上」岩波書店
・ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて-下」岩波書店
長く日本にも滞在し、日本近代史を専攻する米国リベラル派の歴史学者が、終戦の8月15日からサンフランシスコ講和条約締結までの約7年間を膨大詳細な資料を渉猟しながら戦後日本を克明に描いた日本論。’01年版。
・蔵本由紀・編「非線形・非平衡現象の数理-1- リズム現象の世界」東京大学出版会
平衡系から非平衡系へとパラダイム転換した科学知の世界、その非線形・非平衡現象の数理科学的方法論の新たな展開を総合的に網羅紹介しようという全4巻シリーズの1。
・蔵本由紀「新しい自然学-非線形科学の可能性」岩波書店
集英社新書「非線形科学」の前著にあたるが、小誌ながら、新しい科学知の世界の啓蒙書としては、簡潔にして高邁によく語りえており見事。’03年版。
・フランソワ・イシェ「絵解き・中世のヨーロッパ」原書房
祈る人々としての修道士たち、戦う人々としての騎士たち、働く人々としての農民たち、ルネサンス以前の混沌とした中世が、表象とイメージの彩なす風景の中に、豊富な図版と解説を通して眼前化してくるF.イシェの書。’03年版。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-90>
 匂へどもそことも知らぬ花ゆゑやあくがれゆかむ有明の空  後奈良天皇

後奈良院御製、春暁花。
邦雄曰く、桜花憧憬の歌も時を隔て歳月を重ねるに従って、その技法は多岐にわたり、新古今・風雅・玉葉のまねびもようやく古びる。御製の第四句「あくがれゆかむ」など、あたかも花を求めての空中遊行と思わせ、新生面を拓いているようだ。昧爽の万象淡墨色に霞む眺め、見えぬ花が中空に朧に匂う。作者は後柏原帝皇子。和歌は三条西実隆を師とする、と。

 別れ路にまた来む秋の空とだにせめては契れ春の雁がね  公順

拾藻集、春、帰雁。
生没年未詳、13世紀後半から14世紀初頭か、九条金頂寺別当禅観の子。権大僧都にして二条派歌人として活躍。
邦雄曰く、四句切れ命令形の「契れ」が、応答を頼むすべもなく虚空に消え去る。秋・春の照応、初句の置きよう、ねんごろに過ぎるほどの構成が、個性を反映する。「いつはりに鳴きてや雁の帰るらむおのが心と花に別れて」も別種の面白みを見せているが、「別れ路」の艶には及ぶまい。作者は新古今の歌人藤原秀能の曾孫で、父の禅観は東大寺の高僧、と。


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霜まよふ空にしをれし雁がねの‥‥

2007-12-15 19:41:44 | 文化・芸術
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―表象の森― 金楽寺だより

私のところに「金楽寺だより」というハガキ一枚にガリ版刷りで短い詩と日常を描いたようなペン・スケッチが添えられた便りがまるで定期便のように舞い込むようになったのはいつ頃からだったか。今日手にしたハガキには二十七話とあるからこれが27通目ということだが、たしか私の記憶によれば、「金楽寺だより」と題されるようになったのは、彼が引っ越しをしたらしく、ハガキに書かれた住所地が尼崎市金楽寺町‥となってからで、それ以前はなんと題されていたかすっかり忘れてしまっているが、2ヶ月に一度くらいか気ままなペースできていて、もう5年や6年は続いているのではないか。
この人、岩国正次という。
知人には違いないが、友人というには相手のことをあまりに知らなさすぎる。
もうずっと昔のことだが、つい先日またもやネパールのポカラ学舎へと旅立った岸本康弘に付き添って車椅子を押してくるのに、何度か見かけたことがあるだけで、互に名告り合いくらいはしただろうが、まともに言葉を交わしたというほどのこともない間柄に過ぎないのだ。
しかし、折にふれたハガキ一枚の、掌編の詩だよりも、何十編となく積み重なってくれば、これが一方的なものにせよ、いつしか知己の間柄とも思えてくるもので、いつしかその人と姿やその温度まですでに既知のものとして感じている不可思議に気がつく。
このさい今日届けられた掌編を書き留めておこう。

「確執-父よ」
母子家庭に育った
長男である父は
自分の母を
どう見詰めていたのだろう

ぼくが誕生し
手放しで慶んでくれた祖母も
手足の不自由な妹を
 出産した途端に
母を見る眼が
 ドンドン変わっていく

厳格な家にと
異質を拒み続け
玄米から白米にしたことだけで
嫁姑の確執が生じた

常に上座にいる祖母に
萎縮して口も利けずにいる
あの人と妹そして祖母
どう舵取りするのですか

極貧に喘ぎつつ
なお蔑むのは
崩壊しきった
ぎつぎつした人の集団だ

ぼくを残してでも
三人でこの家を捨てて
必ず会いにいくから
これがあなたへの
 最後通告だ

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-89>
 霜まよふ空にしをれし雁がねの帰るつばさに春雨ぞふる  藤原定家

新古今集、春上、守覚法親王の五十首歌に。
邦雄曰く、八代集、否二十一代集に現れる帰雁詠中の白眉とされる歌。春雨にしとどに濡れる眼前の雁と、去年の秋、霜乱れ降る空を飛来した記憶の雁を、一首の中に重ね合わせる妙趣、はたと膝を打つ巧みさ。良経の「月と花との名」の品位と並べ、まさに双璧と称すべきか。院初度百首の帰雁は「思ひたつ山の幾重も白雲に羽うちかはし帰る雁がね」で尋常な詠、と。

 たづねみむ蝦夷が千島の春の花吉野泊瀬は珍しげなし  十市遠忠

遠忠詠草、天文二年中、玉津島法楽五十首、尋花。
邦雄曰く、蝦夷は慈円が述懐百首中に「ゑびすこそもののあはれは知ると聞け」と歌ったが、千島の現れるのは珍しい。単刀直入、修辞など念頭になく、放言に類することを歌にしてしまった趣き、大和の豪族十市氏らしい持ち味だが、武士ながら三条西実隆門の有数の歌人。歌風は単に豪放なばかりはでなく、「千島」は一面を示すのみ。16世紀半ばの没、と。


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明けぬれば色ぞ分かるる山の端の‥‥

2007-12-12 15:07:02 | 文化・芸術
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―表象の森― 賤者考と二十八座

森鴎外の「山椒大夫」は荷役にしたがう民を統率する頭領であった。また彼の「高瀬舟」は花曳とよばれる民の舟曳きによって、大坂との間を上下した箱舟であった。
の民は芸能の徒であるほかに、半面労役の民であった。彼らは船頭であり、馬子であったばかりでなく、市中や大きな寺社の掃除人夫であり、貴族の家の井戸掘人足であり、祭の御輿の篭かき、または墓守でもあった。

江戸後期の国文学者、本居内遠の「賤者考」によれば、以下の如く52種に分けての職種を解説している。これを見れば驚くほどひろく当時の万般の業に及んでいることが判る。
 古令制良賤差別- 雑戸、、家人、官、、
 今時色目   - 用達、陪臣、被官、家子、賤職数色
 夙      - 宿トモ書く、守戸之弁
      - 他屋
 陰陽師    - 西宮
 梓巫女    
 神事舞    - 代神楽、獅子舞、千秋万歳
 田楽法師   - 祭俄、坐敷俄
 猿楽     - 四坐、喜多、幸若、狂言、四拍子、地謳
 放下師    - 品玉、綾織、軽業、籠抜、手妻
 遊女     - 遊行女婦、芸子
 白拍子    - 舞子、踊子
 傾城夜発   - 女郎、立君、辻君、船娼、大夫、新造、禿
 傀儡女    - 傀儡師、西宮、夷下、淡路人形、簓与次郎
 飯盛女    - 茶汲女、出女
 越後獅子   - 軽業
 願人僧    - 住吉踊、戯開帳、戯経、ちょんがれ祭文
 俳優     - 阿国歌舞伎、素人狂言、身振、物真似、声色、
           女歌舞伎、猿狂言、軽口、小児芝居、茶番狂言、
           俄茶番、乞食芝居、浄瑠璃芝居  
 踊      - 盆踊、かかひ、歌垣、ここね、伊勢音頭
 観物師    - 機関、畸疾、異物類
 舌耕     - 軍書読、落噺、軽口、物真似
 術者     - 飯綱、犬神、役狐
 弦売僧    - 鉢叩
 高野聖    
 事触     - 鹿島踊
 偽造師    - 山師、マヤシ、呼売、読売、拐児
 狙公     - 猿狂言
 堂免     - 風呂
 俑具師    - 土師
 刑殺人    - 牢番
 青樓     - 忘八、女衒、幇間、仲居、引舟、まはし男、軽子、花車、
          遣手、女髪結、芸者、風呂屋、密会宿
 肝煎     - 町役、歩役、夜番、番子、辻番、番太郎
 勧進比丘尼  - 巫女、お寮
 犬神     - 出雲狐持、妖僧、聖天狗、僧尼穢
 男色     - 治郎
 髪結     - 一銭刺
 伯楽     - 馬子、牛子、曲馬芝居、女曲舞、曲鞠
 盲目     - 配当、積塔会、女瞽、三弦弾、町芸子、琵琶法師
 放免     - 犬、猿、合壁、間者、俘囚
 浄瑠璃語   - 女太夫、操り、釣人形師、仙台浄瑠璃
 妖曲歌    - 長歌、小歌、木遣り音頭、説経、祭文、船唄、馬子唄、
          国々童謡、ちょんがれ
 浮浪     - 宿無し、雲助、逃亡、追放
 行乞     - 袖乞、六十六部納経、西国巡礼、四国遍路、善光寺詣、
          踊念仏、鉢開、雲水僧、抜参宮、大社巡り、金比羅詣、
          廿四峯巡り、常房勧化
 乞食     - 片居、癩疾、物吉、畸疾、癩狂
 伎巧     - 諸伎数種
 丐頭     - 、ハイタ、散在
 難渋町    - 棄児
 番太     - 番、ハチヤ
 慍房     - ハチ
      - 餌取、皮田、廿八箇条
 革細工    

上記のうち、の廿八箇条というのは、江戸時代の頭であった弾左衛門が先祖の由来書に述べた所謂二十八座のこととみられる。無論偽作の由来書だが、源頼朝から与えられたという判物には、
「、座頭、舞々、猿楽、陰陽師、壁塗、土鍋師、鋳物師、辻目睡、、猿曳、弦差、石切、土器師、放下師、笠縫、渡守、山守、青屋、坪立、筆結、墨師、関守、獅子舞、簑作り、傀儡師、傾城屋、躰叩、鏡打」があげられている。

  ――参照:「鎖国の悲劇」第4章「身分制のくさり」-の民-

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-88>
 待つ人のくもる契りもあるものを夕暮あさき花の色かな  藤原家隆

壬二集、前内大臣家内々百首、春、春夕花。
邦雄曰く、花を歌いつつ心は待つ人を離れない。晴れやらぬ胸に頼めぬ人との約束を思う、「くもる契り」とは、家隆独特の凝った修辞だ。また「あさき花の色」も、元来が白に近い桜なのに、ふと紅の薄れるような錯覚を誘うところも心憎い。逆説助詞「を」でつながれた上・下句が、薄明の中で顫えているようだ。抜群の技巧派である家隆の一面を見る、と。

 くやしくも朝ゐる雲にはかられて花なき峯にわれは来にけり  源頼政

邦雄曰く、山上の白雲を花と見紛い、来てみれば山桜はそこになかった。ただそれだけのことながら「はかられて」の第三句が諧謔をしたたかに含み、磊落で武骨な幻の桜詠歌となった。歌合用の作品だが、結番や判に往生仕ることだろう。「尋山花」の題で「花誘ふ山下風の香を尋めて通にもあらぬ通を踏むかな」も並んでいるが、「花なき峯」を採ろう、と。


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さくら色に衣はふかく染めて着む‥‥

2007-12-10 13:18:23 | 文化・芸術
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-表象の森- 安治川Live

お招ばれ戴いたこともあってめずらしく昨夜は安治川・心のライブと銘打たれた催しに家族で出かけた。
本人曰く子どもの頃から吃音があり手慰みのギターとばかり過ごしてきたという、歌う際もトークにおいてさえもほとんど客席に目線を合わせず、人見知りの激しい気質を思わせる訥々と語りとふるまいのヤスムロコウイチ=安室光一はもう50歳前後だろうか。
ギターの腕は達者と定評あるところらしいが残念ながら門外漢の私にはあまりよく判らぬ。音響の所為もあるのか些か単調に流れたようにみえて、私などには堪能するというには遠かった。歌は旨い、一曲の聴かせどころをよく心得たテクニシャンだ。ときに諷刺の効いた作詞も垣間見えたりして、持ち歌の幅は結構ひろいが、情感をこめると少々過剰に走って単調になりがちか。
乾かすことと濡れること、その対照を強くすればぐんと良くなる筈なのだが、惜しい。
この人、70年代の終わりから80年代、憂歌団などBlues全盛の頃から活躍していたらしい。天王寺の野音でよくライブがあった頃だから、ひょっとするとその頃どこかで眼にしているのかもしれない。
客席を占めたほとんどの人が、そんな文化?とかなり疎遠だったかとみえる年長世代であったから、彼にとってはこのライブ、自分を解放しきれず最後までノりにくいものだったように映った。
会場となったMODA HALL 1階のラウンジは従来ライブハウスでもなんでもない。そこへ「安治川を愛する会」なる市民団体がこの企画を持ち込んでの街おこし運動の一環としての初ライブという訳で、自ずと客層と出演者との距離が初めから少々遠かったのが、この企画の成否を決定づけていたようである。
これに懲りず馴染みを重ねていくことが課題になろう。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-86>
 さくら色に衣はふかく染めて着む花の散りなむのちら形見に  紀有朋

古今集、春上、題知らず。
邦雄曰く、桜襲は表白・裏二藍、または裏赤花で中倍紫の三重、他にも樺桜、白桜、薄花桜、桜萌黄とそれぞれ微妙な差はあるが、およそ淡紅の匂い立つような色目ではない。あくまでも心映えであり、春に盡す思いの深さの象徴だ。花が散った後のことまで、春たけなわに偲ぶそのあはれが、倒置法の調べによって、あえかに奏でられる。作者は友則の父、と。

 越えにけり世はあらましの末ならで人待つ山の花の白波  木下長嘯子

挙白集、春、冷泉為景朝臣、花の頃訪はむと頼めて違ひ侍りければ。
邦雄曰く、奔放で、人の意表を衝いた初句切れにまず驚く。此の世は予測の結果とはうらはら、山の桜が波頭のように白く泡立ち、人を待つと、一気呵成に、しかも曲線を描くような律調で歌い納めるあたり、長嘯子は鬼才というほかはない。冷泉為景への、やや怒りを含んだ贈歌ゆえ、独特の雰囲気をもつのは当然だが、詞書を抜きにしても、佳品として通る、と。


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