アロハ ウハネ
ムー大陸(レムリア?)は、古代ハワイ人の間では、ハヴァイ’イ・ティ(現代:ハワイ・キー)またはタ・ルアという名前で呼ばれていたそうです。ラ’イラ’イが人間を産みはじめてから、タ・ルアが海底に沈んでいくまでの間に812世代の人間が存在したといいます。単純に一世代が25歳で次の子供を産むと換算すると4世代目ができるまで100年です。すると812世代が出来るまでに2万300年かかります。ムー大陸が沈んだのが約1万2千年前とすると約3万年以上前から人間がこの大陸に存在していた事になります。1800年代にムー大陸の研究をしていたジェームズ・チャーチワード曰く、人間の起源は、このムー大陸にあるのだそうです。メキシコのマヤ族も元々はムー大陸出身で、人口が増えすぎた為、現在のメキシコに海を渡って移民して行った一派。そのマヤの石碑に残されている事を彼は調査しています。ですから、マヤ、インカ、アステカなどの文明を築いた人々は、皆、元々ムー大陸の人々だったと思われます。そして、北側に流れた人々は日本にも到来していたというわけです。沖縄の最西にある与那国島の海底遺跡もムーの中央神殿の一つであったとされています。言語はここまでいくとかなり変化してしまっていますが、ポリネシアの中では、かなり共通した言葉が残されています。
タ・ルア、またの名をハヴァイ’イ・ティ(ハワイ・キー)と称されたムー大陸は、やがて海に沈み、その母なる土地を故郷とする者で生き延びた者たちは、その沈んだ大陸をハヴァイ’イ・モエ (眠るハヴァイ’イ)と名つけていました。タヒティ・モエと呼ぶ人たちもいました。"Tahiti moe i te tai na hinari'i" 「我らの母なる大地は、天のチーフの国から舞い降りて、今、太平洋に眠る」という表現が残されています。ムー大陸の事をハヴァイ’イ・ティ(ハワイ・キー)またはタ・ルア、そして更にタヒティ(タヒチ)と呼ぶ者もいました。
幻のムー大陸。西洋の学者たちは、それは単に空想にすぎない伝説と思っているかもしれません。しかし、ポリネシアの人々に伝わる言葉をみると、本当に存在していたと私は確信します。
サモアの人々も沈んだ大陸を自分たちの母なる土地と呼び、その名をタ・ルアと呼んでいます。またの名をサヴァイ’イ。これは、ハヴァイ’イ(現代:ハワイ)と同等の意味があります。イースター島は、ムー大陸の南東の端に位置していた陸が火山の噴火で飛び散り島となって残ったと考えられます。イースター島にも、たくさんの石に彫られたイメージがハヴァイ’イのタパ(布)にも同じ図柄が残っています。マルケサス諸島は、ポリネシアン・トライアングルの東中央に位置します。この島々にも、木の彫刻があり、ハワイやイースター島で見られた同じようなシンボルやイメージが刻まれています。そして、さらに、その三箇所で共通しているのは、点の回りに円が描かれたイメージで、これは太陽を表していると解読されています。これは共に「永遠の神聖なるグレート・スピリットの輪」を表現しているのです。また三角の図柄を「神の家、住処」として表現しています。
マルケサスの人々は、またハワイの人々と同じ神々の名前を知っていました。神聖なる父、天界の王は、ターネ(現代:カネ)神であり、その父は、ケアヴェ(テアヴェ)、その兄妹であり妻が天界の女王マラマ。この三神が最高神のトリニティと信じられていました。マルケサス諸島とタヒチのあるソシエテ諸島の間の海をTe Tai O Marama (テ タイ オ マラマ)、天界の女王の名前にちなんで「マラマの海」と名つけていました。
ハワイでは、南太平洋を司るタナロア(現代:カナロア)神がマルケサスではタナオア。タヒチでは、タアロア。ニュージーランドのマオリの人々は、タンガロアと呼んでいます。非常に似通った発音ですね。
ハワイで知られる平和の神、ロノは、マルケサスでは、オノ。タヒチではロオ。ボラボラでは、オロ。サモアではロンゴ(Longo)。マオリでもロンゴ(Rongo)です。
ハワイでは母なる大地は、パパ。マオリも同じくパパと呼んでいます。マルケサスでもパパと呼ばれ、空なる父は、ヴァテア(現代:ヴァケア)。これもハワイと同じです
ここに一覧は、書きませんが数字の1から10もハワイ、タヒチ、サモア、マオリ、フィジでほとんど同じです。
もう一つ発見されている真実として、西洋人が初めてタヒチに到来した際に、不思議な小人たちがいたという記録が残っています。タヒチでは、この種族をマナフナ(manahuna)と呼んでいました。彼らの背丈は1m前後だったようです。タヒチのマナフナとハワイに存在していたと云われているメネフネ(mehehune)は、同じではないという人もいますが、どうなんでしょうか?私は個人的に同じなのでは、ないかと思います。
ハワイのメネフネたちは、人間ではなく妖精のような存在で、夜にだけ出て来て仕事をし、夜明けと共に姿を隠すスピリットたちでした。(メネフネは、私的には地底人あるいはETだったような気がします。もともとプレアデスから来た存在であると聞いた事があります。)
西洋人がマルケサス諸島を訪れた時も同じような小人たちがいた事が分かっています。マルケサスで彼らは、mata-ai-nana(マタ・アイ・ナナ)と呼ばれていました。ナナとは、「天界のグレート・グランドマザー」であり、その意味は、「ナナに属する子供たち」。ナナは、マラマの別名であり、同一の母なる神を指しています。ハワイでも、先住の民を称して、そのような表現をする事がありました。ニュージーランドにも同じ小人たちが存在していました。彼らは、モオーウリウリと呼ばれていて、その意味は、「女神ウリウリの子供たち、孫たち」でした。(女神ウリウリは、ケアヴェ神の娘。カネの兄妹。) ハワイでは、この小人たちをムーと呼んでいました。カウアイ島に行くと今でも、とても背丈の小さい人たちを時々見かける事があります。フラの世界で有名な故アンクル・ジョージ・ナオペは、このムーの松枝であるといわれています。
今のマオリ族やタヒチアンたちは、後からこの土地に住みはじめた人たちであり、小人の先住民たちは、ほとんど抹消されてしまったか、途絶えてしまいました。
ハワイやタヒチ、サモア、フィジ、イースター島。。。これらは、沈み眠っているムー大陸、「タ・ルア」の一部であり、海の上に残った島々なのでした。
他の島々では、ほとんどタフナ(現代ハワイ:カフナ)、タフア(タヒチ)、トフンガ(マオリ)たちが消えてしまっている為、その歴史がはっきりと伝えられていませんが、なぜか唯一ハワイでは語り伝えてられて来たのでした。
皆さんは、この昔昔のムー大陸を信じますか?ハワイのスピリチャルな世界に興味のある方は、きっと遠い記憶として覚えている方も多いのでないかと思います。
以前にも書きましたが、日本でこれだけフラが流行って愛されているのも、きっとその遠い記憶が蘇って来ている証拠なのではないかと思っています。
世界にたくさんのアロハが広がりますように
今週も愛と感謝を意識して、たくさんのアロハ・パワーを広げて来ましょう♪
紅葉が綺麗な清里より
aloha&pono
参考文献:James Churchward, "The Lost Continent of Mu" (1931)、Leilani Melville, "Children of the Rainbow"(1969)
ムー大陸(レムリア?)は、古代ハワイ人の間では、ハヴァイ’イ・ティ(現代:ハワイ・キー)またはタ・ルアという名前で呼ばれていたそうです。ラ’イラ’イが人間を産みはじめてから、タ・ルアが海底に沈んでいくまでの間に812世代の人間が存在したといいます。単純に一世代が25歳で次の子供を産むと換算すると4世代目ができるまで100年です。すると812世代が出来るまでに2万300年かかります。ムー大陸が沈んだのが約1万2千年前とすると約3万年以上前から人間がこの大陸に存在していた事になります。1800年代にムー大陸の研究をしていたジェームズ・チャーチワード曰く、人間の起源は、このムー大陸にあるのだそうです。メキシコのマヤ族も元々はムー大陸出身で、人口が増えすぎた為、現在のメキシコに海を渡って移民して行った一派。そのマヤの石碑に残されている事を彼は調査しています。ですから、マヤ、インカ、アステカなどの文明を築いた人々は、皆、元々ムー大陸の人々だったと思われます。そして、北側に流れた人々は日本にも到来していたというわけです。沖縄の最西にある与那国島の海底遺跡もムーの中央神殿の一つであったとされています。言語はここまでいくとかなり変化してしまっていますが、ポリネシアの中では、かなり共通した言葉が残されています。
タ・ルア、またの名をハヴァイ’イ・ティ(ハワイ・キー)と称されたムー大陸は、やがて海に沈み、その母なる土地を故郷とする者で生き延びた者たちは、その沈んだ大陸をハヴァイ’イ・モエ (眠るハヴァイ’イ)と名つけていました。タヒティ・モエと呼ぶ人たちもいました。"Tahiti moe i te tai na hinari'i" 「我らの母なる大地は、天のチーフの国から舞い降りて、今、太平洋に眠る」という表現が残されています。ムー大陸の事をハヴァイ’イ・ティ(ハワイ・キー)またはタ・ルア、そして更にタヒティ(タヒチ)と呼ぶ者もいました。
幻のムー大陸。西洋の学者たちは、それは単に空想にすぎない伝説と思っているかもしれません。しかし、ポリネシアの人々に伝わる言葉をみると、本当に存在していたと私は確信します。
サモアの人々も沈んだ大陸を自分たちの母なる土地と呼び、その名をタ・ルアと呼んでいます。またの名をサヴァイ’イ。これは、ハヴァイ’イ(現代:ハワイ)と同等の意味があります。イースター島は、ムー大陸の南東の端に位置していた陸が火山の噴火で飛び散り島となって残ったと考えられます。イースター島にも、たくさんの石に彫られたイメージがハヴァイ’イのタパ(布)にも同じ図柄が残っています。マルケサス諸島は、ポリネシアン・トライアングルの東中央に位置します。この島々にも、木の彫刻があり、ハワイやイースター島で見られた同じようなシンボルやイメージが刻まれています。そして、さらに、その三箇所で共通しているのは、点の回りに円が描かれたイメージで、これは太陽を表していると解読されています。これは共に「永遠の神聖なるグレート・スピリットの輪」を表現しているのです。また三角の図柄を「神の家、住処」として表現しています。
マルケサスの人々は、またハワイの人々と同じ神々の名前を知っていました。神聖なる父、天界の王は、ターネ(現代:カネ)神であり、その父は、ケアヴェ(テアヴェ)、その兄妹であり妻が天界の女王マラマ。この三神が最高神のトリニティと信じられていました。マルケサス諸島とタヒチのあるソシエテ諸島の間の海をTe Tai O Marama (テ タイ オ マラマ)、天界の女王の名前にちなんで「マラマの海」と名つけていました。
ハワイでは、南太平洋を司るタナロア(現代:カナロア)神がマルケサスではタナオア。タヒチでは、タアロア。ニュージーランドのマオリの人々は、タンガロアと呼んでいます。非常に似通った発音ですね。
ハワイで知られる平和の神、ロノは、マルケサスでは、オノ。タヒチではロオ。ボラボラでは、オロ。サモアではロンゴ(Longo)。マオリでもロンゴ(Rongo)です。
ハワイでは母なる大地は、パパ。マオリも同じくパパと呼んでいます。マルケサスでもパパと呼ばれ、空なる父は、ヴァテア(現代:ヴァケア)。これもハワイと同じです
ここに一覧は、書きませんが数字の1から10もハワイ、タヒチ、サモア、マオリ、フィジでほとんど同じです。
もう一つ発見されている真実として、西洋人が初めてタヒチに到来した際に、不思議な小人たちがいたという記録が残っています。タヒチでは、この種族をマナフナ(manahuna)と呼んでいました。彼らの背丈は1m前後だったようです。タヒチのマナフナとハワイに存在していたと云われているメネフネ(mehehune)は、同じではないという人もいますが、どうなんでしょうか?私は個人的に同じなのでは、ないかと思います。
ハワイのメネフネたちは、人間ではなく妖精のような存在で、夜にだけ出て来て仕事をし、夜明けと共に姿を隠すスピリットたちでした。(メネフネは、私的には地底人あるいはETだったような気がします。もともとプレアデスから来た存在であると聞いた事があります。)
西洋人がマルケサス諸島を訪れた時も同じような小人たちがいた事が分かっています。マルケサスで彼らは、mata-ai-nana(マタ・アイ・ナナ)と呼ばれていました。ナナとは、「天界のグレート・グランドマザー」であり、その意味は、「ナナに属する子供たち」。ナナは、マラマの別名であり、同一の母なる神を指しています。ハワイでも、先住の民を称して、そのような表現をする事がありました。ニュージーランドにも同じ小人たちが存在していました。彼らは、モオーウリウリと呼ばれていて、その意味は、「女神ウリウリの子供たち、孫たち」でした。(女神ウリウリは、ケアヴェ神の娘。カネの兄妹。) ハワイでは、この小人たちをムーと呼んでいました。カウアイ島に行くと今でも、とても背丈の小さい人たちを時々見かける事があります。フラの世界で有名な故アンクル・ジョージ・ナオペは、このムーの松枝であるといわれています。
今のマオリ族やタヒチアンたちは、後からこの土地に住みはじめた人たちであり、小人の先住民たちは、ほとんど抹消されてしまったか、途絶えてしまいました。
ハワイやタヒチ、サモア、フィジ、イースター島。。。これらは、沈み眠っているムー大陸、「タ・ルア」の一部であり、海の上に残った島々なのでした。
他の島々では、ほとんどタフナ(現代ハワイ:カフナ)、タフア(タヒチ)、トフンガ(マオリ)たちが消えてしまっている為、その歴史がはっきりと伝えられていませんが、なぜか唯一ハワイでは語り伝えてられて来たのでした。
皆さんは、この昔昔のムー大陸を信じますか?ハワイのスピリチャルな世界に興味のある方は、きっと遠い記憶として覚えている方も多いのでないかと思います。
以前にも書きましたが、日本でこれだけフラが流行って愛されているのも、きっとその遠い記憶が蘇って来ている証拠なのではないかと思っています。
世界にたくさんのアロハが広がりますように
今週も愛と感謝を意識して、たくさんのアロハ・パワーを広げて来ましょう♪
紅葉が綺麗な清里より
aloha&pono
参考文献:James Churchward, "The Lost Continent of Mu" (1931)、Leilani Melville, "Children of the Rainbow"(1969)
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