本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

大禁煙:超ヘビースモーカーの挑戦

2010年10月05日 | 427年目からの挑戦
 10月1日から「煙草の大幅値上げ」が話題ですので自分の禁煙経験をご披露します。
 22歳から吸い始めて、いつの間にか1日3箱(60本)を越える超ヘビースモーカーに育っていました。システムエンジニアは思考する商売なので煙草は必需品という意識があり、煙草を手から離せないチェーンスモカーでした。ですので、意志も弱いし、禁煙などできようとも、しようとも一度も思いませんでした。

 20年前、私が40歳過ぎの課長の時に、会社の総務部が禁煙キャンペーンを企画しました。「42日間吸わなければ一生止められる!」という謳い文句で「スワン・マラソン」と名付けられた活動でした。各課から参加者を募って、42日間禁煙しましょう、ということで、吸わなかった日には点と点を1日1本ずつ結んでいくと42日間で白鳥(スワン)の絵が完成して禁煙も成就するという活動でした。
 私は禁煙などできるはずもないと確信していたのですが、若い課員に活動への参加を求めねばならない中間管理職の立場から、やむを得ず名前だけの参加登録をしました。そして、課員の手前、体裁もあるので初日の午前中の半日だけ何とか禁煙しようとがんばりました。

 そしたらどうでしょう。たちどころに禁断症状!頭がくらくらして仕事など手につかない状態に陥りました。「これはヤバイ!煙草は麻薬だ!!」
 わずか半日の人体実験で20年間犯してきた罪を悟ってしまいました。
 それで決意しました。絶対にやめようと。自分に対しても、周囲の人に対しても大変な罪を犯し続けてきたとわかったのです。

 その日から禁断症状との壮絶な闘いでした。超ヘビースモーカーだったので、体内のニコチン濃度が急激に減少して、強度の二日酔いと同じような状態になったのでしょう。毎朝、通勤で自宅から最寄駅に近づくと空気中のニコチン濃度の高まるせいでしょうか、頭のクラクラが始まり、一日中そんな状態でした。その状態が一週間ほどで少し落ち着くと、今度は煙草が吸いたくて吸いたくてたまらない症状に襲われました。明らかに麻薬の禁断症状です。当時テレビのCMで「これで私は煙草をやめました!」と宣伝していた禁煙パイポを四六時中、口にくわえて必死に耐えました。私の歯形で傷だらけになった禁煙パイポを2・3時間置きに代えて凌ぎました。

 こうして耐えに耐えて重大なピンチも乗り越えて42日が過ぎました。あと3日、あと2日、あと1日と数えて42日目があけたら、不思議、不思議、すかっと吸いたい気持ちが消えました。本当に不思議でした。医学的な裏付けがあるのかもしれませんが、それ以上に「42日間」という暗示を始めにかけられていた精神的なものが効いていたのではないでしょうか。

 それからもう20年たちました。会社の総務部のスワンマラソンには心から感謝しています。この年になって家族を支えるためには自分が健康であることが責任であり義務であると痛感しています。それを可能にしてくれたスワンマラソン。ありがとうございます。
 禁煙して以来、その反動でしょうか、煙草が猛烈に苦手になりました。同じ室内で煙草を吸われるととたんに頭がくらくらします。以前存在した新幹線の喫煙車両や飛行機の喫煙席は地獄でした。なくなって本当によかったです。今は飲食店での煙草がきついです。

 禁煙した当時、よく「あっ、吸っちゃった!」という夢を見ました。そういう夢はさすがにもう見なくなったな、と思った頃に不思議にまた夢で見るのです。先日も、「さすがにもう見ない」と思ったとたんに煙草を吸う夢を見てしまいました。「あっ、吸っちゃった!」
 20年たっても残る脅迫観念。煙草恐るべし。これが正真正銘の麻薬でなくて何なのでしょうか?

 ★ 煙草大幅値上げ説を斬る

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