写真は 谷川俊太郎氏による撮影
(NHK「クローズアップ現代」から)
2月17日は
詩人 茨木のり子 が亡くなった日
先日 NHK「クローズアップ現代」でも
死後から 16年経って
創作の原点を語った貴重な肉声が
見つかったとして 取り上げられていた。
茨木のり子は
1926(T15)年
医師の父の長女として大阪市に生まれる。
1932(S7)年
愛知県西尾市へ移住
1943(S18)年
愛知県立西尾高等女学校を卒業後上京
帝国女子薬学専門学校
(現・東邦大学薬学部)に入学
在学中は戦時下の動乱に巻き込まれ
勤労動員や空襲・飢餓などに苦しむ。
1946(S21)年
同校を繰り上げ卒業
1949(S24)年
医師の三浦安信と結婚
埼玉県所沢町(現・所沢市)に移住
結婚前後から詩を書き始め
「詩学」に投稿し認められる。
1953(S28)年
川崎洋(1930-2004)と
「櫂」(-1957解散)を創刊
水尾比呂志(1930-)
谷川俊太郎(1931-)
大岡信(1931-2017)
吉野弘(1926-2014)が参加
1958(S33)年
保谷市(現西東京市)へ移住
1975(S50)年
夫が肝臓がんのため死去
1976(S51)年
韓国語を習い始め
韓国現代詩の紹介に尽力
1999(H11)年
「倚りかからず」が朝日新聞の
天声人語に取り上げられ話題に
2006(H18)年
くも膜下出血により
自宅で死去 79歳
墓は遺言の通り夫の墓
(山形県鶴岡市)に眠る。
作品には
「話」(1955年)
「見えない配達夫」(1958年)
*戦時下の女性の青春を描いた詩
「わたしが一番きれいだったとき」が収録
「鎮魂歌」(1965年)
「自分の感受性くらい」(1977年)
「倚りかからず」(1999年)
「茨木のり子詩集」(1969年)
「韓国現代詩選」(1990年)
なお 先立った夫への想いを
綴った詩集「歳月」としてまとめられ
一周忌(2007年)に刊行された。
TVドラマ「3年8組金八先生」
(2007年放送)第8シリーズでは
詩集が取り上げられ
朗読されるシーンもあった。