「子規庵」(台東区根岸2-5-11)
前回 中村不折と正岡子規との
出会について触れた。
その関係は物理的にも近く
書道博物館前には
子規の私宅「子規庵」がある。
不折は、酒も飲まず煙草も吸わず
粗衣粗食に耐え
質素を旨として金を貯めて
子規宅の近くにアトリエ兼住居を構えた。
*子規庵については
当ブログで取り上げた→(2016/9/19)
子規との出会いは
1894(M27)年
「小日本」の編集責任者であった子規は
同紙に描いてくれる
挿絵画家を探していたが
美術教授 浅井忠から
洋画家 中村不折を紹介され
不折と面談し採用を決定した。
その後 両者は親しくなり
芸術論を戦わせるため
互いの家を通い合う間柄になる。
子規は「写生」によって
俳句短歌の革新を成し遂げるが
不折の存在は大きく関わりをもった。
「写生は画家の語を借りたるなり」
(明治32年「叙事文」)と述べ、
不折の西洋画論からヒントを得て
写生(写実)の用語を得ている。
「吾輩ハ猫デアル」挿絵
不折は「日本」新聞の挿画を
きっかけとして大きく羽ばたく。
明治の文豪たちとの親交も深く
装幀・挿絵も手がけている。
夏目漱石「吾輩ハ猫デアル」
島崎藤村「若菜集」
伊藤左千夫「野菊の墓」
森鷗外が逝去したときは
墓碑銘を揮毫している。
また 印象的で
一風変わった不折の書は
そのデザイン性の高さと
親しみやすさから
店名や商品名のロゴに
用いられることが多くある。
1901年創業の
「新宿中村屋」の看板文字
清酒「真澄」や「日本盛」のラベル
「信州一味噌」「筆匠平安堂」などがある。
(作品写真は ウェブサイトから)
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