文京区目白台の田中邸
12月16日は 内閣総理大臣だった
田中角栄が亡くなった日。
1918(大正7)年―1993(平成5)年 享年75歳
衆議院議員(16期)郵政大臣(第12代)
大蔵大臣(第67~69代)通商産業大臣(第33代)
内閣総理大臣(第64~65代)等を歴任した。
しかし ロッキード事件で逮捕・有罪となった。
このところ 小説「天才」のきっかけで
汚名返上 名誉回復の機運が高まっている。
そんな田中角栄に関することを
都内からピックアップしてみた。
増上寺からみる東京タワー
田中角栄が 1957(昭32)年
岸内閣の郵政大臣になった当時
「展望台を備えたテレビ塔は
建築基準法の高さ制限に抵触する。」
として東京都が「待った」をかけ
工事が中断していた。
そこで 田中大臣は 電波行政の采配から
「この塔は 高さ制限に該当する建築物ではない。
煙突や広告塔と同じで工作物として
解釈すればよい。」とした。
その解釈どおりとして 建設がすすめられ
1958(昭和33)年12月23日
高さ333mの東京タワー
(正式名称:日本電波塔)が誕生した。
このことから 田中は
”東京タワーの生みの親” ともいわれている。
また 田中角栄の都市伝説として
目白の田中邸から地元新潟県西山町の実家まで
わずか3回曲がるだけで着くというもの。
後日 テレビ局が実証したところ 本当のようだ。
田中邸に隣接して
「目白台運動公園」があるが
この場所は 田中角栄の遺産相続で
物納した分も含んでいるところ。
こちらは 1974(昭和49)年
雑誌「文芸春秋」に
“田中角栄研究~その金脈と人脈”を
発表した立花隆氏の
文京区にある書庫兼仕事場。
この発表は 大きな反響を呼び
田中首相退陣のきっかけを作ったとされる。
神楽坂には 田中角栄が
繁く通った芸妓置屋があった。
当時「神楽坂通り」は
”角栄通り”とも呼ばれたとか。
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