あかない日記

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クーデンホーフ光子 2

2021-09-01 | 人物忌


  明治時代の納戸町〔赤枠〕 中根坂〔青枠〕

 ・二人の新居
    (納戸町26番地)

 ・オーストリア・ハンガリー公使館
    (納戸町28番地)

  

前回に続き

「クーデンホーフ光子」の
 都内ゆかりの地を巡る。


1892(M25)年2月
 東京に赴任していた
 オーストリア・ハンガリー帝国代理公使の
 ハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー
 と知り合う。

その出会いは

着任2週間目のハインリッヒが
凍った中根坂で
人馬ともに転倒し負傷した。

たまたま目撃した光子は
ハインリッヒの救護にあたり
その手厚い看護がきっかけに
ハインリッヒの心を打ち
彼の求めにより

まずは オーストリア公使館に
勤めることになる。

 

当時光子は 19歳であって
このような行動ができには 

小学校を終えた後
行儀見習として 高級社交場・紅葉館に

女中として 勤めたことがあり
外国人との交流に慣れていたともいう。

 


 「納戸町公園」(新宿区納戸町26番地)


1892(M25)年 結婚し新居は、
 薬学者・柴田承桂(1850-1910)邸宅内の
 ドイツ風の洋館を借家にして
 長男と次男を産み 1896(M29)年
 渡欧するまで4年間過ごしている。

その跡地は、現在「納戸町公園」となり 
園内に説明文が置かれている。

「史跡 クーデンホーフ光子 居住の地

この地には、初めて西洋の貴族と
結婚した日本女性である
クーデンホーフ光子
(青山みつ)(1874-1941)が、

明治29年(1896)に
渡欧するまで住んでいた。

 光子は、明治7年(1874)
骨董商と油商を営んでいた

青山喜八と妻つねの三女として生まれた。
東京に赴任していた
オーストリア・ハンガリー帝国代理公使の

ハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー
と知り合い、

明治25年(1892)に国際結婚し、
渡欧後は亡くなるまで
オーストリアで過ごした。

渡欧までの間、
光子と共にこの地で暮らした

次男のリヒャルト
〔栄次郎〕(1894―1972)は、

後に作家・政治家となり、
現在のEUの元となる
汎ヨーロッパ主義を

提唱したことから
「EUの父」と呼ばれている。

 平成25年3月 新宿区  」

 

 *納戸町の地名は
納戸役同心の組屋敷があったことによる。
御納戸役とは将軍家の
金銀・衣服・調度の出納、
大名・旗本からの献上品、

諸役人への下賜の金品の管理を司る役職

 


中根坂は 坂の中心部に
向かって下がって行く。

その中心部から先は安藤坂になる。

*中根坂の説明文
 「昔、この坂道の西側に幕府の
 旗本中根家の屋敷があったので

 人びとがいつの間にか
 中根坂と呼ぶようになった。」

 


 紅葉館(芝公園20号地)〔黄枠〕

 

*紅葉館は、1881(M14)年に
芝区芝公園20号地に開業した
会員制の高級料亭。

上流階級の人のみが利用することで
接待をする女中は
相当な美人でなければならない。

結婚の写真を見ても 

光子は当時の日本女性としては
背が高くて八頭身の美女で
あることが
うかがえる。


追:紅葉館は
 1945年3月の東京大空襲で焼失したが
 跡地には東京タワーが建っている。

 

 

 



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