あかない日記

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東京散策 軍艦操練所跡

2019-02-06 | 散策

 

 

  晴海通り 勝鬨橋方面に向う 築地6丁目交差点の先に
  「軍艦総連所跡」の説明板がある。


    説明文の概略は


  ペリーによる黒船艦隊の来航後、
  西洋式海軍の必要性に迫られた江戸幕府は
  1857(安政4)年 旗本や御家人、諸藩の藩士等から
  希望者を集めて、航海術・海上砲術の講習や
  オランダから輸入した軍艦の運転練習をさせる目的で
  軍艦教授所(後の軍艦操練所)を 
  この地にあった築地講武所内に創設した。


  この時の中心人物が勝海舟であった。
      
      * 勝海舟については 当ブログ(2017/01/19)で 取り上げている。

  万延元年(1860)に講武所が神田小川町(現千代田区)に
  移転後、跡地一帯が軍艦操練所の専用地となる。

  元治元年(1868)築地西本願寺西隣の火事で
  類焼し焼失して 南隣の広島藩(藩主浅野安芸守長訓)
  下屋敷のあった場所(下の絵図では松平安芸守蔵屋敷)へ仮移転する。

  1865(慶応元)年 新たに海軍奉行を置く。
  1866(慶応2)年 海軍所と改称し 同年11月に類焼し、
   現在の浜離宮庭園の地に移る。

  跡地は 1868(慶応4)年 日本最初の洋式ホテルである
  「築地ホテル館」が建てられた。

  その後 1871(明治4)年 ホテルは海軍省に移ったが
  1872(明治5)年 火災で焼失し 
わずか4年で廃業している。

  この経緯からも この場所は ”海軍発祥の地”ともいえる。


   

     説明板の地図 赤枠が軍艦操練所

   

                 築地周辺(昭和34年)

               ☆印操練所説明板 □赤枠が「水神社」