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あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

モロッコ紀行 148 メディア

2017-05-13 | モロッコ紀行

 

 

早速 メディアに歩を進める。
これまでに モロッコのメディアを見てきたが

ここエッサウィラは 
路地と言えども その幅は広く ゆったりし

何といっても 突き抜ける青空があること 
また 何かいままでとは違った
エキゾチックな雰囲気が 漂うように感じる。

エッサウィラは「音楽の街」としても知られ

毎年 6~7月 ここで開催される
「グナワ・フェスティバル」では

アラブや西アフリカの音楽が演奏され
特に弦楽器ゲンブリと打楽器カルカベ
それに人の声を用いてリズムを繰り返す
民族音楽「グナワ」は魅力で

世界中からファンが集まってくるそうだ。

そんなことも この街を特色づけているのだろう。

 


モロッコ紀行 147 エッサウィラ

2017-05-11 | モロッコ紀行

 

 

マラケシュから 真西約250km先にある

「エッサウィラ」(旧名:モガドール)は
人口約7万人の大西洋岸の港湾都市だが

2001年に世界遺産に
旧市街(メディナ)が登録された。


歴史は古く 紀元前7世紀頃
地中海貿易を担った
フェニキア人の貿易港のひとつとして栄え

現在の町並みが 形成されたのは 1765年からで
その港により漁業・商業の中心地となり
リゾート地として
また 芸術の町という 評価もあわせ持つ。

モロッコ人も 一度は行ってみたいと
憧れる「エッサウィラ」だ。

今日一日 この街を観光する。

 

 

 

 


モロッコ紀行 146 ヤギの木登り

2017-05-10 | モロッコ紀行

 

 

ツアー8日目 今日一日 
マラケシュから 西180km先の
エッサウィラの観光へ。

 途中 道路沿いにある モロッコ名物
ヤギの木登り”を観光用に
やらせて見せる所で停車。

よくもこんなに細い枝に
登れるものと感心する。


アルガンが育つモロッコ地域は
 夏の気温は50度を超え

雨もほとんど降らない過酷な状況にあるが 
アルガンの木は枯れることはない。

 そんな中を生き抜くため 
ヤギたちはこのアルガンの木に登り
実や葉を食べることを覚えたという。


また ヤギたちの排せつ物は
堆肥としてアルガンを育てとともに

いたるところに排泄された
アルガンの実が別の場所で芽が育つ。


これがヤギとアルガンの木の
共存共栄の関係となっているそうだ。

 

 


モロッコ紀行 145 スーク

2017-05-09 | モロッコ紀行

 

 

「ジャマ・エル・フナ広場」の北側には

網の目のように張り巡らされた 

世界最大とも呼ばれるスークが広がっている。

食料品 日用品 衣類 貴金属 陶器など

揃わない商品はないくらい

平面上の百貨店だ 日本でいえば東京のアメ横ですね。

お土産になるようなものはないかと

迷路的な細い路地をいく。

 土産物には値札がなく 

値段交渉するも 希望の値にならず諦めた。


しかし 帰途の空港の土産物店ではすべてに値札が付き


しかも当方が望んだ値段で安心して

購入することができたが。

一元さん相手のスークで買わないでよかった。

 

 

 


モロッコ紀行 144 大道芸人

2017-05-07 | モロッコ紀行

 

 


約400m四方の広場は 
人混みや屋台の呼び込みで騒々しいが

それに大道芸人の鳴らす楽器音などが加わり
更にその騒々しさは半端ではない。

蛇使い 猿回し 曲芸 楽器を使う音楽演奏など
モロッコ中の大道芸人がこの広場に集まって
その腕前を披露し 観光客の写真撮影や
見学のチップで生活しているのだ。

現在は 家族連れも多く 一見平穏に見えるが 
2011年 この広場で爆発事故があり 
17名が死亡し20名以上が負傷した。

当初ガスボンベの爆発と思われたが 
その後 遠隔操作による爆弾による
テロ事件と断定されたことがあった。

そんなことや 世界各地で
テロ事件が発生していることもあり
広場では警官の姿やパトカーや軍の車も駐車している。


我々もそうだったが 観光客の安全から
広場に面したカフエの屋上から眺めるなどしているのだ。

 

 


モロッコ紀行 143 ヘンナ

2017-05-06 | モロッコ紀行

 

 

屋上の見学を終え 
しばらく自由行動となる。

広場に降りてみると
ご婦人たちが 座り込んで何かやっている。 

ペイントネイルかと思ったら
手のひらに何か模様のようなものを描いている。

これ モロッコでは
「ヘンナ」というおまじないで
「平和の使い」として

魔除けになるといわれて
有料でやってもらっているところだった。

ダジャレではないが「ヘンナ?」とは 

「ヘンナ」という植物から採った染料で
手に模様を描いているのだ。


暫くの間放っておくと 
皮膚に染料が染込んでくる。

1~2週間ぐらいは
洗っても落ちないらしい。



モロッコ紀行 142 ジャマ・エル・フナ広場

2017-05-05 | モロッコ紀行

 

西北方面

北方面


バヒア宮殿 から徒歩で 同じメディア内にある
「ジャマ・エル・フナ広場」へ


広場南側の一角 広場全体を見渡せる
カフェの屋上に案内される。


マラケシュの中心となる
このジャマ・エル・フナ広場は
かつて公開処刑場だったが
建築途中で放棄されたモスクが
「ジャーミー・アル・ファナー(廃墟のモスク)」と呼ばれ

それが訛って呼ばれるようになったとも。

その広場も 今は 大道芸人たちが
パフォーマンスを繰り広げ

夜には屋台が建ち並び
人であふれかえるほど 毎日がお祭り状態になる。


2009年 広場の文化的空間が国際的に評価されて
無形文化遺産にも登録されている。


また この広場で ヒッチコックの傑作
サスペンス「知りすぎていた男」
(1956年・米国)の ロケが行われている。
その主演女優 ドリス・デイの歌う歌
「ケ・セラ・セラ」”なるようになるさ” は
あまりにも有名だ。

 


モロッコ紀行 141 扉

2017-05-04 | モロッコ紀行

        

 

メディア内を歩くうち 民家の扉が

それぞれデザインに凝っていて


面白いので撮ってみた。

我が家の特徴を印象付けるには 

この狭い扉に工夫するしかないのだろう。


そうでなければ 訪問者も通り過ぎてしまう。

しかし この扉を開け 

一歩中に入ると中庭のあるリアドになっていて

開放的で青空も仰げる広さになっているそうだ。  

また魔除けの「ファティマの手」も取り付けられている。

 

 

       

    

 

 


モロッコ紀行 140 公衆電話

2017-05-03 | モロッコ紀行

  

                                     

 

携帯電話に次いで 公衆電話の話題

メディア内を歩くと 公衆電話も結構あったが

日本と同じようで その利用は

携帯電話の普及で少なくなっているようだ。

モロッコでは「テレブティック」と

呼ばれる公衆電話になっている。

国内通話料は 1分2DH

モロッコから日本へは

  00+81+○−○○○○−○○○○


     

   


モロッコ紀行 139 携帯電話

2017-05-02 | モロッコ紀行

 

 

前回 郵便事情の話題でしたので
関連して携帯電話について

モロッコの広場に 
いやに高い塔が建っているのを見かける。


ガイドに聞いたら
「携帯電話のアンテナ」だという。

さすが観光に力が入っているので
ただ建てるのではなく

景観を壊さないように
南国らしくヤシの樹のようにして
カモフラージュしているのだ。

モロッコでは 
急速に携帯電話が普及している。

携帯電話はいわゆるプリペイド式で
通話料分のカードをエピスリ(キオスクみたいな店)で
買って使うのが一般的だそうだ。

携帯電話会社は「IAM」と「MEDITEL」の2社がある。

 またインターネットも ほとんどのホテルでは利用が可能で
公共の場所など Wi-Fiの利用範囲が広がりつつある。

 

地方にも通信中継塔があって 
全土とはいかないが
都市の郊外周辺まで通信できるようだ。

 


モロッコ紀行 138 郵便局

2017-05-01 | モロッコ紀行

 

 

バヒヤ宮殿を出たところに 郵便局があった。

これまでモロッコ各地で
郵便局やポストなどを見てきたが

ポストは 日本は赤だが 
黄色をイメージカラーとしている。

マークは 日本の「〒」にも似て 
また 飛騨高山の「サルボボ」
北海道紋別の「クリオネ」を
連想させるようで親しみを思えた。


モロッコの郵便事情は 
日本のようにスムーズにはいかないようだ。

日本への郵送料金は
ハガキと封書(15g)は15.60DHで

到着までに最低1週間はかかるそうだ。

大きな荷物を送るときは
荷物は封をせず直接郵便局に持ち込み

局員に中身をチェックしてからの発送になる。

営業時間は 
月~金曜 8:00~16:15 土曜9:00~12:00

           

          (資料:サルボボ)   (資料:クリオネ)

 

 


モロッコ紀行 137 ハーレム

2017-04-30 | モロッコ紀行

 

 

こちらは 24人の側室の部屋が囲む中庭。

このハーレム 妃の4人は特定されていたが

側室24人は入れ替えが多かったそうだ。



中庭から部屋の様子が見透せ

下の写真は宮殿への入り口だが

高い塀で囲み 入り口は狭くし

側室等の逃亡を防くようになっているようだ。


また一番のお気に入りであった

第3妃の部屋の窓には鉄格子がはめられているとか。


 

 

 


モロッコ紀行 136 妃の部屋

2017-04-29 | モロッコ紀行

 

 

妃たちの部屋はそれぞれ天井が高く 


アトラス杉に木彫された船底天井で空間が広い。

また 気が遠くなるようない時間を費やして

造られている壁や床のモザイクの装飾は

他の部屋とは明らかに違う雰囲気がある。


 


モロッコ紀行 135 バヒヤ宮殿

2017-04-28 | モロッコ紀行

 

  4つの部屋の中庭 タイル張りの噴水があるパティオとなっている。

 

サア-ド朝の墳墓群から徒歩で

5分ほどの所にある「バヒヤ宮殿」へ向かう

バヒヤ宮殿は モロッコの

アルハンブラ宮殿とも言われるほど


1894年から14年かけて

建築された摂政(宰相)の私邸である。


面積は 8haに 広大な庭園に

4人の妃と24人の側室の部屋がある

豪華な建物となっている。


宰相の死後 家具などは略奪されてしまったが

建物は良好な状態で保存されており


タイルの床や天井のデザイン

豪華な噴水のある中庭など

全てにおいて息を飲むほどの美しさ。



イスラム建築の中でも

特に美しい歴史的建造物と言われている。

バヒヤという名前は

一番のお気に入りであった

第3妃の名前に由来している。




モロッコ紀行 134 サア-ド朝の墳墓群

2017-04-27 | モロッコ紀行

 

 「12円柱の間」中央がアル・マンスール王の墓

 

アグノウ門をくぐり突当りに
カスバ寺院が聳えている。

サア-ド朝(1549年~1659年)の墓へは
このモスクの右側の入り口から入場する。

本来はモスクのほうから入る道があったのだが
アラウィー朝ムーレイ・イスマルが
道と墓廟を壁で囲ってしまったので 
1917年空から発見されるまで 
その存在が分からなかったという。

廟には3つの部屋がある。

 第1室 「ミハラーブの間」
    メッカの方向を指す壁の窪み(ミハラーブ)がある。
 
 第2室 「12円柱の間」

    3室の中で最も荘厳な雰囲気がある。
    色鮮やかなモザイクタイル壁面・床
    大理石の12本の柱が印象的だ。

 
 第3室 「3つのミハラーブの間」

    王の子や母をはじめ王族の墓