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なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

台風一過・光の朝

2009-10-28 02:52:33 | Weblog
 月曜日は台風の影響で強い雨が降り、風は深夜まで続きましたが、どうやら当地は朝までには通過した様子です。
 それでも、いくらかは風が吹いてはいますが、台風一過と言って良いでしょう。
 通勤で水路沿いの道の歩道を自転車で走りますが、ここは広い歩道で横は広い片側2車線の道路で真ん中に分離帯がある道ですが交通量は少なく、歩道はマテバシイの街路樹と水路沿いの緑地は松が植えられているので絶好のジョギング・ウォーキングコースです。
 この水路沿いの道を1キロちょっと歩けば海岸の海浜公園とか花の美術館と言う名前の花壇と温室のある公園につながっている道。
 自転車で走っていると前に年配のご婦人二人が歩いていてその横をエスコートらしき男性自転車、追い抜いた時に耳に入ってきた会話「朝早いって本当に気持ちが良いですね」「そうなのよ」・・・通り抜ける瞬間ですから会話はそれだけですが一瞬で想像のスイッチが入ります。
 多分・ご夫婦の方の婦人がもう一人の婦人を「朝早くのウォーキングって気持ちが良いのよ」と誘ってウォーキング。
 そして誘われた人が感謝の気持ちを込めて感想を言ったところ・・・。
 一種のマナーとも言えるし、今朝の天気では本当の感想でもあるのでしょう。

 実際今朝は気持ちの良い朝。 
 まさに台風一過で空は青く腫れ、穏やかな風に変わり光が溢れています・・・但し欲を言えばもう少し気温が低ければ最高。
 贅沢と言うか、文句を言う性格と言うか・・・寒がりのくせに冬でもアイスクリームを食べる性格と言うか、真冬でも窓を少し開けて眠る癖と言うか・・・空の青さにもケチをつけたくなるのですからやはり性格が問題かもしれません。
 これは死んでも直らない部類かもしれません。

 ともかく青空が広がっているのですから良いのですが、青さに不満。
  水色の青さで・・・智恵子では無いけれど本当の青さでは無いような気がしました。
 確かに「今時」の「当地」ではこんなものかもしれませんが、若い頃に本物を見てしまっているので、心から喜ぶには少し違和感が残る。
  学生時代は毎年2カ月は長野の高原でアルバイトをしていましたから、どうしてもその時の「蒼さ」と違います。
 高校生の時に南アルプスの近くの尾根道で夜中に起きだして見た満点の星空を今でも忘れられないのと同じですね。
 比べるのはどだい無茶ではあるけれど、台風一過の好天はうれしいけれど、どこかにひっかかりがあると言うところ。

 さて「台風一過」と言う言葉。
  川の横で海のすぐ近くに住んでいた頃、やはり台風が無事に通り過ぎた時に抜けるような青い空を見上げた記憶があります。
 ラジオのニュースでは「台風一過」と言う言葉が流れて来るのですが・・・当時の言葉って文語をそのままで放送するようなところがあり、子供にはやや難しいところがありました。
 難しい弊害と、難しい言葉を理解する勉強と言う良い面があるのですが・・・
  ともかくその土地柄としては広沢寅蔵の「次郎長一家」の土地ですし、その時代にはまだ「昔本物の次郎長と子供時代に銭湯に一緒に入ったことがある」というバアサマも存命の時代ですから、「いっか」と言うとイメージは「一家」の方がつながりやすい。
 そこに「台風一家」とくれば何だか石原裕次郎か宍戸錠あたりが出て来そうな感じでした。
 子供の時に台風が通過した青空を見上げて「これが台風一過と言うものの空なんだ」分かったのです。
 漢字ではわなくてもそういう絵として理解したと言うことでしょう。

 さて明日は総合病院で3カ月ごとの検診とこの間24時間心電図モニターの結果発表・・・期待できるものはありません。
 悪くなっていなければ良いと言う程度。
 それも、年々、実年令なりに老朽化する部分は折り込み済みとして、そういう体質の劣化の範囲ならOKと言うのですから何ともハードルが低いのです。
 それでもそういうハードルに引っ掛かれば即入院宣告となるわけで、その場合は家にパソコンとかラジオ、囲碁の本、ボールペンとメモ用紙を取りに帰ることになります・・・もちろん着替えに洗面道具も。
 マア今のところ確率的にはそうなることは無いでしょうが、それでも万が一に備えて悔いの無いように碁を打っておかなければいけませんね・・・と言う事でネット碁へ。

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