なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

韓国将棋って

2009-08-21 17:57:41 | Weblog
 昔お話したことがありますが、学生時代に「留学生部」と言う学部がありまして・・・日本人が外国に留学するための学部ではなく、外国から来た留学生が日本の文化・言語に慣れながら全国の大学に振り分けられる準備期間に在籍する学部です。
 私が部活などでお世話になっていたK先生は当時その学部の助教授でした。
  その先生がある時留学生の一人と私の住んでいるアパートに遊びに来ました。
 先生は気が向くとジーンズに下駄ばきで遊びに来る・・・かなりの飲兵衛なんですが、下戸の私のどこが面白いのかわかりませんが、嬉しい事です。
 (当時先生は独身でしたし、助教授と言っても年は一回り・12才しか違わないので、私にとっては実の兄とほぼ同じくらいの年齢差です)
 その学生はイスラム革命以前のイランからの留学生・・・片言の英語とゆっくりの日本語での会話でしたが、彼が部屋の隅に置いてあったチェスのセットに気がついて嬉しそうな顔・・・チェスをやることになりました。
 私は日本の将棋は弱いし、チェスも駒の動き方を知っている程度のど素人ですから彼にコロコロ負かされました。
 考えてみれば日本の将棋に当たるのが彼にとってはチェスだったのでしょう。
  インドあたりを発祥の地とする遊びが西に行ってチェス、東は中国将棋、韓国将棋、日本将棋、、、多分ベトナムとかタイの方も何かあったはず。
  ともあれ、わたしが3連敗したのに彼は「もっとやろう」という構えです・・・私の方はこうなると逃げの一手。
 囲碁と違ってハンデが無い遊びですからサンドバック状態。
  そんな思い出がありますが、イラン方面のニュースが流れるたびに彼の顔が目に浮かびます。

 さて、将棋と言うと・・・韓ドラ見ていて将棋を楽しむ場面がたくさんあるドラマに出会いました。
 話の本筋ではありませんが、お爺さんと息子、あるいは隠居の老人同士の将棋・・・そう言う風俗習慣があるのだという事がわかりました。
 ところが一か所気になる場面に出会いました。
  お爺さんが「将棋を打とう」とか「早く打て」と相手に催促する場面。
 日本的感覚では囲碁は「打つ」で将棋「指す」ですから字幕は「指す」が正しいと思われるから翻訳ミスと思った・・・ところが実際にお爺さんの手つきは、かなりの勢いで駒を盤にたたきつけるようなしぐさ。
 音も「パチッ」とするし、そういうパフォーマンスはまさに「打つ」がふさわしい。
 さて、どういうものでしょう、「打つ」と言う字幕の訳者はそこまで考えたのでしょうか?

 パソコンで検索すると日本の将棋の駒は五角形、中国将棋は○型、韓国将棋は八角形。
 日本将棋と違って「成る」とか「取った駒を使う」などはありませんから、中国将棋に近いように思えますが、中国将棋の「河」は無いようですからやはり独自の発展をしたのでしょう。
 駒を見ると両方の最も重要な駒が「楚」「漢」のようです・・・秦の後の天下分け目の争いという事なんでしょう。
 駒には「士」とか「象」とかも・・・面白そうですが、囲碁もままならず日本将棋も弱いのでこのうえ手を広げられません。

 将棋で、手を広げると言うと・・・これは中国将棋ですが。
 20年近く前の話ですが、当時の中国プロチャンピオンが休暇で日本に滞在した時。
  彼は日本に来た初日に、日本人(もちろんアマ)から日本将棋を教わりました。
 私と会ったのはその翌日。
  彼とまず囲碁を打ったのですが・・・印象は「よく考える」「凡ミスはしない」・・・つまり遊びの囲碁も仕事の将棋と同じ姿勢。
 ですから「強い」し勝負に「負けない」人。
 次に日本将棋を指したのですが・・・これが生まれて2局目の人とは思えない。
  当然定跡とか作戦などの勉強はしていないはずですから、ルールも昨日お覚えたばかりのはずなんですが、これまたじっくり考えて指す。
 「プロとはこういうものか」と思いました。
  考える習慣、考える姿勢が違うし、指す手・着手に「覚悟」があるような感じ
  その彼から相手をしたお礼に中国将棋を教えてくれるという申し出があったのですが、私は「個人能力の許容量オーバー」と言う事で遠慮しました。
 教わるのはありがたいけれど、なんだか「みじめ感」が増大するような予感がしたのです。
 でも考えてみれば惜しいチャンスを逃したものです。
  あの時教わっていれば中国チャンピオンの日本での一番弟子(順番にすぎませんが)になれたかも知れません。

 話は韓国将棋に戻ります。
  ドラマの上だけなのか、お爺さんの手つきは将棋を「打って」います。
   
 
 

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