あいらのひみつ箱

2006年の年明けとともにジュリーに堕ちました。日の浅いファンが 勝手な思いを書き連ねるゆるいブログです。

宝島クローズ・アップス 沢田研二 バック・トゥ・ザ・バンド②

2011-08-03 17:58:24 | 書籍・雑誌
※昨日の①の続きです。
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■ストーンズとビートルズと長髪■
 「最近は曲を書いてるより、詞を書いている方が面白い」と沢田さん。ニューアルバムの中の1曲、ロック・ナンバー、「無宿」の中に、<自分を誉めるエセな奴らばかりさ>という面白い一節がある。

「名前のある人達の話を聞いてると、なんだ結局、自分自身を誉めてんじゃない?って思うことばっかなんだよね。僕ら、CO-COLOのメンバーって自分のこと『ダメだ、ダメだ』って口癖みたいに言ってるの(笑)。だって、言葉にして言わないだけで、自分のことは自分で充分に誉められる。だけどそれを人前で言ったら、それは美しくないでしょ。他人を餌にして、結局、自分を誉めてるの、『ヤダネェー』って思って、歌にしようと。で、結局、歌の中で馬鹿にしたんだけどね(笑)。
 
 20年やってきて、その時その時を素直にやってたと思うんだ。面白いと思えば面白がってやり、かといって時間に追われるようになると、『楽しいとばかり言ってられません』ってなことも言いながら。『じゃ、なんでやってるの?』って言われると、『人が喜んでくれるのが嬉しくて、喜んでくれたり、びっくりしてくれるのが嬉しいから。ほら、今度、どう?』って言って、楽しむところが少しずつ変わってきたんだろうね。歌を唱ってるだけが楽しかったのが、今度はやれ化粧する、女装する、つけ毛する(笑)。皆、どう思うんだろう?みたいな楽しみ方になって。で、飽きられちゃうと、ウーンて考え込んで、休憩したりして。休憩した後って、歌を唱ってるだけで楽しくてね。」

  あなたにとって、ロックとは何ですか?と私は抽象的な質問をしてみた。
「難しいねぇ。それは、"真面目に不良する"っていうことだと思います。"やめたらアカン!"。キマリすぎかなぁ、いけないっ(笑)」

  例えば無人島に・・・・・・。「宝島に?」と沢田さんが笑う。ええ、宝島に。ウォークマンとカセットをひとつだけ。沢田さんは何を持って行きます?
「うーん、難しいけど・・・・・・。2つになんない?OK? あのね、ストーンズの『スティッキー・フィンガー』と、ビートルズの『ホワイト・アルバム』!
 あの辺から進歩してないのね、全然(笑)。最近のレコードをずーっと聴いてると、最後にはそれを持ってきて聴いちゃうね(笑)。やっぱり、いいなぁーと思いながら。

 髪はずっと伸ばしてる。60年代に『10年、20年後、髪を切ってるかなぁ』『いや、伸ばしてると思う』って言っててね。一時、角刈りまでやっちゃったけど、あっ、似合わねぇや、って思ってやめた。唱ってて、髪がなんともなんないって自分でも腹立ってくるね(笑)。汗がジトーってひっかからなくて、つるつるすぐ落っこちてくるでしょ。ああ、つまんないって思って。短くすると知的になるけど、知的な事って似合わないんだよ。

 内田裕也さんの力って凄いよね。僕なんか彼に強引に(笑)ニュー・イヤー・コンサートに引っ張ってもらったってとこあるしね。あの人、いつも言ってる。『お前は、ロックだとか言ってTV出て、レコード大賞。それもいいけど、絶対、この場所を忘れるな』って。裕也さんみたいな良い強引さを持った人がいないと、なかなかそうならないね。
 僕は先頭に立つの好きじゃないから。僕は、一兵士。駒でありたいね」

  最近のコンサートで「めちゃ楽しかったのはキッド・クレオール」と彼。「あのオッチャンの方が、ひょうきんにいろんな事やるじゃん?ああいうの好きなんだよ(笑)。落語好きだし、漫才好きだし。フラメンコ観に行っても、コミカルな踊りする人の方に、僕はさらわれちゃうね。」
  
  インタビューの間、オフィスのTVでは阪神×巨人戦が放映されていた。高校時代、野球選手であり、チームでは完投ピッチャーとしても名高く、阪神ファンでもある。
「本当に好きな選手って、癖のある人ばっかり。張本さん、藤尾さん、江夏さん、鈴木さん、落合でしょ。最近では近鉄の平野って好きだったのよ。
 そういえば、ロッテの村田さんが腕を手術して再起パーティをやったことがあって。休んでた頃だから、髪、ぼうぼう伸ばして行ったわけ。わかってくれないと困るから、自分で(笑)『沢田研二と申します。頑張って下さい』って言ったらステージで挨拶させられたのね。で、『2桁勝利を目指してぇ』なんて言ってたらさ、後から挨拶する人が皆、『とにかく1勝、とにかく1勝』って言ってるわけ。俺は何てモノを知らないんだろう、恥しいな、また芸能人の馬鹿、って思われたんじゃないかなって。皆はもっと厳しく見てて、もう終わった人間なんだみたいに思ってたのかもしれない。世代的には同じだからね。で、そのシーズン、村田さん、10勝以上したじゃない?ほら、見ろ」

  このインタビューの2週間後、彼はTVでクリームの『ホワイト・ルーム』、ベン・E・キングの『スタンド・バイ・ミー』を熱狂的に歌った。それはまるでロックン・ローラー沢田の復活を予感させるようだった。

取材・文/北沢杏里  撮影/広瀬忠司・石川徹
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『無宿』の歌詞について語るくだりは、何度読んでもドキッとします。
名前のある人どころか、普通の人でさえ、謙遜という名のオブラートで包んだ
自慢話、自分誉め話をする人って、多いですよね。
我が身を振りかえってみると・・・うーん、アテクシも
「そんな話をしたこと、一度もなくってよ」とは言えないかも(汗
でも、じゅりにかかると、そういうのは「美しくない」ことと
一刀両断されちゃいますわ。厳しい~。
久々に読んで、気持ちを引き締めようと思いました。


無人島に~の質問は「ウォークマンとカセットをひとつだけ」
という部分が時代を反映してますわ~
80年代半ばはまだ、カセット主流だったっけ。
今だったら、「はぁ?ってかipod持ってくし。」で終わりだし。
そういえば、コレを読んで、この2枚の音源探さなくちゃ、
なんて思ってたのに、いつのまにか忘れちゃってたわ。
ダメなファンですね、トホホ。


そうそう、角刈りは自分でも似合わないって思っていたのね~。
てか、個人的には、切っちゃう前に誰か止めて欲しかったわ!
しかし「唱ってて、髪がなんともなんないって自分でも腹立ってくるね(笑)。」
ってところ、読んでてニマニマしちゃいません?

だって、やはりじゅりの場合、歌いながら髪をなびかせたり、
振り乱したり、
ふぁさふぁささせたり、
汗で濡れた髪がきらめいたり、
そんでもって悩ましげにかき上げたり・・・
って、そういうのが重要なポイントなんですもの~~~!

ところで、文末に書かれている、TVで歌った『スタンド・バイ・ミー』って
こちらの映像でしょうか。はう~なんて素敵・・・


あと、些細なことかもしれませんが、じゅりが野球やってたのって
高校じゃなくて中学だと思ってたんですけど・・・
高校では空手部だったんですよ・・ね?
(記事でハッキリ書かれているのを見ると、イマイチ自信がなくなるわ・・)

宝島クローズ・アップス 沢田研二 バック・トゥ・ザ・バンド①

2011-08-02 17:56:21 | 書籍・雑誌
えー、ほぼ全くと言っていいほど反応がなかったんですが、
先月地味~~に宣言致しましたとおり、
当箱は基本的に、8月を「ココロ月間」とすることに致しました!

昨日のように時事ネタがあればもちろん取り上げますが、
それ以外は、CO-COLOの頃のじゅりに
焦点を当てていく予定ですので宜しくお願いします~

昨日は東スポの記事でダメージを食らってしまい、
テンションダダ下がりだったんですが、
心を鎮めるために、写経をするかのごとく、
夜中に宝島1986年8月号の記事の書き起こし作業をしました。

ナベプロからの独立や、バンドCO-COLOについてのインタビュー記事です。
計4ページなんで、2日に分けてUPします~

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宝島クローズ・アップス 沢田研二 バック・トゥ・ザ・バンド
沢田研二、38歳、長い時を経て、彼がバンドに戻ってきた。
アルバム『夜のみだらな鳥達』をひっさげて。
ボーカリスト沢田率いるバンド、CO-COLOの旅は、今、始まったばかりだ。


■「気楽に複雑」だった独立■
3年前のことだ。JULIEがナベプロを抜け、独立したと言う話を聞いたのは。大きなプロダクションを抜けるというのは業界を敵に回すことだ、という噂も聞く。もちろんトップ・スターの道を歩んできた彼が、業界の敵になるとは到底、考えられないけど、彼の脱出の第一歩は、"大きな賭け"と私の目には映った。

「あまり"賭け"っていうつもりはないんだ。例えば、同世代で独立した人たちって、それぞれの理由で『男だから一ぺん一人でやってみよう』みたいな事を言ってたようなんだ。
でも、僕の場合はね、そういうことより、『原点に戻ろう』と思ったのね。足元を軽くしたかった。もっと、より自由にできるように。僕はもともと地道にやってきたんだけど、もっと地道にやろうと。

 やりたいことがひとつ見つかったら、それに好きなだけ時間をかけて、大事にモノが創れるようにしたいって思ったのね。それに会社のしがらみや人のしがらみをかぶらなければいけなかったりすることが、もうしんどくなった、っていうこともあるんだとも思う。賭け、っていうんじゃないよね。こうやれば、これだけの事は確実にできるな、っていうことが一番大事な事だった。

 『これだけの期間でやりなさい』『何で?』『そういう具合にやった方がいいんだ』『だけど僕らは別にレコード出したくなかったら出さなくていいんじゃないの?』『出さないでどうするんだ。お金を使う必要もないかもしらんけど、入ってくることもないぞ』『だから、もらわないからいいじゃない?』って言うと、『そうはいかん』(笑)って。そういう場合も全部自分で背負っちゃえば文句ないでしょ、っていう感じだった。そこまで真剣に考えているっていう事を、なかなか理解してもらえないとこってあったね。どうせタレントは馬鹿だからすぐ調子に乗って、おだてりゃ木にも登るし、みたいなところがあるんじゃないのかな。

 僕は別に、辞めたからって大きく変わることなんかちっとも期待していないよ。"簡単なことは、本当に簡単に出来る"っていう気持だけだった。そのために、独立したわけで。そういう僕の気分を理解してくれる人たちに集まってもらわなくてはいけなかった、それこそ賭けだよね。この人ならやってくれるんじゃないか、っていう賭け。

 要するに、面倒臭い事は少ない方がいい、っていうだけの話で独立したわけです(笑)。周りを説得して『大丈夫です。頑張りますから』って言わなきゃいけないって事の方が、何か不思議だよね。一生懸命説明するのもしんどいな、ってとこあるよね。何だか気楽に複雑ですよ(笑)」


■重厚なロック・バンドCO-COLO■
「今度のCO-COLOのメンバー、皆、頑固だよ。自分を持ってるし、何せ出てくる音が違う。納得!っていう音を出してくる。本当に凄い。それにね、決して俺たちは、お前のバックをやるんじゃない、っていう意識が凄いあると思うね。『お前は俺たちのバンドの一員だけど、まぁ、派手にやるならやればいいじゃない。そのかわり、歌、ちゃんと唱えよなぁ、大丈夫だよなぁ』(笑)みたいなノリ。

 もともと僕は、バンドから始まったし、かといってバンドの音づくりやバンドとしてどう生きていくかなんて事、考える暇もなかったし、そのうちに終わっちゃったでしょ。後はPYGをやったけど、売れるという意味では全然売れなくて、バンドの良さが出る前に空中分解しちゃったようなもんだから。でも、やっぱり沢田のバックをしに来てるんだっていう意識は、良くも悪くも皆、持ってただろうし。じゃ「一緒にやろうよ」と言ったところで、やっぱり沢田はもっときらびやかにやれよ、っていうことになる。じゃ、皆もバッと派手にいかない?って言うと、照れる人もいるし。そういうことっていつもあったよね。これはしょうがないね。

 で、CO-COLOはね、そういう事情も知ってて、いろんな事を経験してきたうえで、やっぱりバンドをやろうって集まった。『でも、沢田のバックじゃない。お前の為にあるんじゃない。俺達自身の為にやるバンドだ』っていうことを解ってやってくれてるし。だからこれまでとは全然、違うよね」

 と彼がうれしそうに語るCO-COLOは、ドラムスにロック・アレンジの第一人者チト河合(元ハプニングスフォー)。彼はプロデューサーも務めている。同じくドラムスに、PYG、ドンジュアン・バンドをやってきた原田祐臣、ギターは、フラワー・トラベリン・バンドの石間秀機、キーボードは同じフラワー、トランザムを経た篠原信彦、ベースはクリエーション出身の竹内正彦。そしてボーカル沢田研二。日本のロック史を動かしてきた、かけ値なしの最強ユニットのひとつだ。
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「僕はもともと地道にやってきたんだけど、もっと地道にやろうと。」
っていうところが、すごくじゅりらしいですよね。
そういう地道というか堅実なところは、今も昔も一緒なのね~

CO-COLOのメンバーについてはアテクシ、
「一筋縄ではいかなそうな面々」という漠然とした印象しかなくて、
これからちょっとお勉強しなきゃな感じなんですが、
この記事ではじゅりが、「自分とバンドメンバーの関係」について
どうありたいと思っているか、ってあたりがよく解りますね。


今回あらためてこの記事を読み返して、
「もともと僕は、バンドから始まったし、かといってバンドの音づくりや
バンドとしてどう生きていくかなんて事、考える暇もなかったし、
そのうちに終わっちゃったでしょ」
と、タイガース時代を振り返ってる一文に目が留まりましたわ。
考える暇さえもなく、怒涛のうちに終わってしまったあの日の続きが
今年ついに出来るのね・・・


※②に続きます。

沢田研二のひと言で???

2011-08-01 22:22:02 | その他
理由はわからないけど、今日はスポーツ紙3紙に
タイガース関連の記事が取り上げられましたね~
ワイドショー番組なんかにも取り上げられたそうで、
何人かの方がメールでお知らせ下さったので(ありがとうございます~!)
さっそく会社帰りにスポ新を買い漁り、山手線内でオヤジ読みですわ。
え、羞恥心?ナニソレ?




まずは「夕刊フジ」
「還暦すぎて本格復活!ザ・タイガースの意気軒昂」と題し
「往年のGSファンにとっては、まさに奇跡といってもいい
ザ・タイガースの復活がスゴイことになっている。」

と、今年のジュリーのライブに虎メンバーたちが
ゲスト出演することを紹介してますわ。

「全国31カ所のチケットは、あっという間に完売した」
とか、ちょっとまつがってるわよ~な記述もあるけど、
カラーで歌ってるじゅりの写真を載せてくれたから
まあ、許してあげてもよくってよ。(←何様)



さてお次は「日刊ゲンダイ」
よく見ないで買っちゃったんですけど、
こちらはじゅりじゃなくて、森本タローさんの記事でした。
なので記事内容についてはノーコメント。
(だって、タローさんのことよく知らないんだもん)
おだやかなお顔のタローさんのお写真の下に、
若虎の写真もあったので、ま、いっかってことで。(←だから何様)


そう、ここまではいいんです。
問題は・・・・「東スポ」よ!

「ザ・タイガース再結成 沢田研二のひと言で消滅」
というでっかい見出しに、
アゴモフひげ面じゅりの写真。
ちょっとー、なんでよりによってこの写真なのよ~
「夕刊フジ」のチョイスと較べても、
なんか悪意感じるわっ!!

って、写真のことはどうだってよ・・・くは無いけど、
とにかく問題なのが記事の内容。
お読みになった皆様、これ、納得できますか?



(以下本文から引用)
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音楽ライターが明かす。
「3年ほど前に、三十数年ぶりに会合を持ったメンバーは、
ドラマーの瞳みのる(64)の提唱で、再結成に向けて動き出すことになりました。
~~中略(ピーの経歴等)~~
純粋に音楽活動をもう一度したいという瞳の声に、ジュリーも首を縦に振りました。」
調整を重ねた結果、今年再結成するはずだった。
「すでにDVD、ゆくゆくはCDも出すということで話はまとまっていた。
9月からはタイガースとしてライブツアーも行う予定だったのです」
と音楽関係者。
しかし、結果は思わぬ形に。
「本当に最後の詰めの段階になって、ジュリーが突然再結成を拒否したのです。
『今さらタイガースというのはない』という理由だそうです。
すでに再結成に向けて動いていた関係者一同、あぜんとするしかなかったですよ。」
(前出の関係者)

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(引用終わり)


・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・


あぜんとしてるのは、こっちのほうなんですけど・・・
音楽ライターだか、関係者だか知りませんけど、
いったいどこからそんな話が???

これじゃあまるで、まわりの皆が一つになって頑張ってたのに、
じゅりが突然キマグレをおこして拒否ったせいですべてがパー、
みたいな話になってるんですけど。

帝国ホテルのトークショーで、数百人のファンを前に
目をうるうるさせて、「タイガースをやりたかった」と言ったじゅりですよ?

「裕也さんとやって、ワイルドワンズとやって、 次はタイガースと思ってきた。」
「還暦のもっとまえから・・・・何年前から考えていたと思います? 」
って・・・・


ああダメ。
もう、反論する気も起きない。