あいらのひみつ箱

2006年の年明けとともにジュリーに堕ちました。日の浅いファンが 勝手な思いを書き連ねるゆるいブログです。

宝島クローズ・アップス 沢田研二 バック・トゥ・ザ・バンド①

2011-08-02 17:56:21 | 書籍・雑誌
えー、ほぼ全くと言っていいほど反応がなかったんですが、
先月地味~~に宣言致しましたとおり、
当箱は基本的に、8月を「ココロ月間」とすることに致しました!

昨日のように時事ネタがあればもちろん取り上げますが、
それ以外は、CO-COLOの頃のじゅりに
焦点を当てていく予定ですので宜しくお願いします~

昨日は東スポの記事でダメージを食らってしまい、
テンションダダ下がりだったんですが、
心を鎮めるために、写経をするかのごとく、
夜中に宝島1986年8月号の記事の書き起こし作業をしました。

ナベプロからの独立や、バンドCO-COLOについてのインタビュー記事です。
計4ページなんで、2日に分けてUPします~

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宝島クローズ・アップス 沢田研二 バック・トゥ・ザ・バンド
沢田研二、38歳、長い時を経て、彼がバンドに戻ってきた。
アルバム『夜のみだらな鳥達』をひっさげて。
ボーカリスト沢田率いるバンド、CO-COLOの旅は、今、始まったばかりだ。


■「気楽に複雑」だった独立■
3年前のことだ。JULIEがナベプロを抜け、独立したと言う話を聞いたのは。大きなプロダクションを抜けるというのは業界を敵に回すことだ、という噂も聞く。もちろんトップ・スターの道を歩んできた彼が、業界の敵になるとは到底、考えられないけど、彼の脱出の第一歩は、"大きな賭け"と私の目には映った。

「あまり"賭け"っていうつもりはないんだ。例えば、同世代で独立した人たちって、それぞれの理由で『男だから一ぺん一人でやってみよう』みたいな事を言ってたようなんだ。
でも、僕の場合はね、そういうことより、『原点に戻ろう』と思ったのね。足元を軽くしたかった。もっと、より自由にできるように。僕はもともと地道にやってきたんだけど、もっと地道にやろうと。

 やりたいことがひとつ見つかったら、それに好きなだけ時間をかけて、大事にモノが創れるようにしたいって思ったのね。それに会社のしがらみや人のしがらみをかぶらなければいけなかったりすることが、もうしんどくなった、っていうこともあるんだとも思う。賭け、っていうんじゃないよね。こうやれば、これだけの事は確実にできるな、っていうことが一番大事な事だった。

 『これだけの期間でやりなさい』『何で?』『そういう具合にやった方がいいんだ』『だけど僕らは別にレコード出したくなかったら出さなくていいんじゃないの?』『出さないでどうするんだ。お金を使う必要もないかもしらんけど、入ってくることもないぞ』『だから、もらわないからいいじゃない?』って言うと、『そうはいかん』(笑)って。そういう場合も全部自分で背負っちゃえば文句ないでしょ、っていう感じだった。そこまで真剣に考えているっていう事を、なかなか理解してもらえないとこってあったね。どうせタレントは馬鹿だからすぐ調子に乗って、おだてりゃ木にも登るし、みたいなところがあるんじゃないのかな。

 僕は別に、辞めたからって大きく変わることなんかちっとも期待していないよ。"簡単なことは、本当に簡単に出来る"っていう気持だけだった。そのために、独立したわけで。そういう僕の気分を理解してくれる人たちに集まってもらわなくてはいけなかった、それこそ賭けだよね。この人ならやってくれるんじゃないか、っていう賭け。

 要するに、面倒臭い事は少ない方がいい、っていうだけの話で独立したわけです(笑)。周りを説得して『大丈夫です。頑張りますから』って言わなきゃいけないって事の方が、何か不思議だよね。一生懸命説明するのもしんどいな、ってとこあるよね。何だか気楽に複雑ですよ(笑)」


■重厚なロック・バンドCO-COLO■
「今度のCO-COLOのメンバー、皆、頑固だよ。自分を持ってるし、何せ出てくる音が違う。納得!っていう音を出してくる。本当に凄い。それにね、決して俺たちは、お前のバックをやるんじゃない、っていう意識が凄いあると思うね。『お前は俺たちのバンドの一員だけど、まぁ、派手にやるならやればいいじゃない。そのかわり、歌、ちゃんと唱えよなぁ、大丈夫だよなぁ』(笑)みたいなノリ。

 もともと僕は、バンドから始まったし、かといってバンドの音づくりやバンドとしてどう生きていくかなんて事、考える暇もなかったし、そのうちに終わっちゃったでしょ。後はPYGをやったけど、売れるという意味では全然売れなくて、バンドの良さが出る前に空中分解しちゃったようなもんだから。でも、やっぱり沢田のバックをしに来てるんだっていう意識は、良くも悪くも皆、持ってただろうし。じゃ「一緒にやろうよ」と言ったところで、やっぱり沢田はもっときらびやかにやれよ、っていうことになる。じゃ、皆もバッと派手にいかない?って言うと、照れる人もいるし。そういうことっていつもあったよね。これはしょうがないね。

 で、CO-COLOはね、そういう事情も知ってて、いろんな事を経験してきたうえで、やっぱりバンドをやろうって集まった。『でも、沢田のバックじゃない。お前の為にあるんじゃない。俺達自身の為にやるバンドだ』っていうことを解ってやってくれてるし。だからこれまでとは全然、違うよね」

 と彼がうれしそうに語るCO-COLOは、ドラムスにロック・アレンジの第一人者チト河合(元ハプニングスフォー)。彼はプロデューサーも務めている。同じくドラムスに、PYG、ドンジュアン・バンドをやってきた原田祐臣、ギターは、フラワー・トラベリン・バンドの石間秀機、キーボードは同じフラワー、トランザムを経た篠原信彦、ベースはクリエーション出身の竹内正彦。そしてボーカル沢田研二。日本のロック史を動かしてきた、かけ値なしの最強ユニットのひとつだ。
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「僕はもともと地道にやってきたんだけど、もっと地道にやろうと。」
っていうところが、すごくじゅりらしいですよね。
そういう地道というか堅実なところは、今も昔も一緒なのね~

CO-COLOのメンバーについてはアテクシ、
「一筋縄ではいかなそうな面々」という漠然とした印象しかなくて、
これからちょっとお勉強しなきゃな感じなんですが、
この記事ではじゅりが、「自分とバンドメンバーの関係」について
どうありたいと思っているか、ってあたりがよく解りますね。


今回あらためてこの記事を読み返して、
「もともと僕は、バンドから始まったし、かといってバンドの音づくりや
バンドとしてどう生きていくかなんて事、考える暇もなかったし、
そのうちに終わっちゃったでしょ」
と、タイガース時代を振り返ってる一文に目が留まりましたわ。
考える暇さえもなく、怒涛のうちに終わってしまったあの日の続きが
今年ついに出来るのね・・・


※②に続きます。