10年前同様
久世くんからバトンを受け継ぎます、さえです。
1月17日が終わってしまいましたが。
私にとっては今日の最後。
これを書き終えて寝よう(_ _)Zzz
2012年1月17日
阪神淡路大震災から17年目。
栄の噴水前周辺では、
多くの現役の中学生・高校生たちが
寒空の下、声を枯らしてかじかんだ手で募金箱を持って街頭募金活動をやっていた。
阪神淡路大震災でお父さんお母さんを亡くした中学生高校生に奨学金を贈る中学生高校生の会(通称:贈る会)
愛知ボランティアセンターの前身ともいえる、私たちスタッフにとってはとても想いの強い活動。
10年前の今日(1月17日)。
私はこの活動に想いを込めていた1人。
阪神淡路大震災は、私が小学校3年生のときだった。
高速道路が崩壊し横倒れになっている様子、街が火の海となっていく様子、寒空の下体育館で生活している人・・
テレビに映される光景は、現実のものなのか理解できないぐらい、こどもの私にとってもショックが大きいものであった。
そしてもうひとつ。
私には忘れられないことがある。
1月16日、私のクラスに転校生が来た。
神戸市三宮の出身・・と。
はじめにニュースを目にしたときは「○○ちゃんラッキーだったんだ」と軽はずみに心の中で思っていた。
登校して思いは逆転した。
「友達と連絡がとれない・・なんで私だけここにいるの」
言葉が出てこなかった。
彼女は被災していない。でも心の傷はそれ以上だったのだと思う。
それから7年経ち、高校生になったとき。
”贈る会”の活動に出会った。
それまで、忘れていた訳ではないけれど「もう過去のこと」とどこか思っていた自分がいた。
”贈る会”を知り、○○ちゃんのことを強く思うようになったとき、
「風化」という言葉を、このとき初めて痛感したように思う。
街頭募金活動をやるなかで、足早にすぎ去っていく人の群れに虚しさを感じることもあった。
でも。
7年たったその時でも、募金をしてくださる方がいた。仲間がいた。
「応援しているわ」と、足をとめて活動の趣旨を聞いてくれた人
「高校生ががんばっている姿に勇気をもらった」と握手を求めてきた人
毎月17日にかかさずに来てくれた友だち
続けなきゃ!伝えなきゃ!!そう思った。
先輩たちから引き継ぎ、私も活動し、後輩たちに引き継いだ。
2012年の今日。
この活動を続けている中・高生がいる。
震災を知らない子たち・・それでも自分の言葉で訴えている中・高生がいる。
募金活動で泣いている子がいた。
何で泣いていたのかな?嬉しくて、悲しくて、、
きっと何かが彼女のこころを突き動かしたんだと思う。高校1年生と言っていた・・震災を知らない子。
2011年3月11日
東日本大震災
愛知ボランティアセンターが発足し、微力ながら私も力を注いでいる。
続けなきゃ!伝えなきゃ!!今改めて、そう思う。
10年前の今日。
セレモニーのなかで私は声を大にして言った。
「震災から7年経った今も同級生がいる。これから高校生になっていくこどもたちがいる。
私たちは忘れない。忘れてほしくない」
噴水前のロウソク「1.17」を見て思い出した。
そして、今日。
次の1年へ、東日本大震災への応援もあわせてまだまだ先は長く、伝え続けなきゃ!!!
引き継いで終わりではなく、仲間を増やし一緒に続けていきたいと思う。
10年後
今を振り返って、決意を新たにできるように・・☆
愛知ボランティアセンター
スタッフ いまいさえ
久世くんからバトンを受け継ぎます、さえです。
1月17日が終わってしまいましたが。
私にとっては今日の最後。
これを書き終えて寝よう(_ _)Zzz
2012年1月17日
阪神淡路大震災から17年目。
栄の噴水前周辺では、
多くの現役の中学生・高校生たちが
寒空の下、声を枯らしてかじかんだ手で募金箱を持って街頭募金活動をやっていた。
阪神淡路大震災でお父さんお母さんを亡くした中学生高校生に奨学金を贈る中学生高校生の会(通称:贈る会)
愛知ボランティアセンターの前身ともいえる、私たちスタッフにとってはとても想いの強い活動。
10年前の今日(1月17日)。
私はこの活動に想いを込めていた1人。
阪神淡路大震災は、私が小学校3年生のときだった。
高速道路が崩壊し横倒れになっている様子、街が火の海となっていく様子、寒空の下体育館で生活している人・・
テレビに映される光景は、現実のものなのか理解できないぐらい、こどもの私にとってもショックが大きいものであった。
そしてもうひとつ。
私には忘れられないことがある。
1月16日、私のクラスに転校生が来た。
神戸市三宮の出身・・と。
はじめにニュースを目にしたときは「○○ちゃんラッキーだったんだ」と軽はずみに心の中で思っていた。
登校して思いは逆転した。
「友達と連絡がとれない・・なんで私だけここにいるの」
言葉が出てこなかった。
彼女は被災していない。でも心の傷はそれ以上だったのだと思う。
それから7年経ち、高校生になったとき。
”贈る会”の活動に出会った。
それまで、忘れていた訳ではないけれど「もう過去のこと」とどこか思っていた自分がいた。
”贈る会”を知り、○○ちゃんのことを強く思うようになったとき、
「風化」という言葉を、このとき初めて痛感したように思う。
街頭募金活動をやるなかで、足早にすぎ去っていく人の群れに虚しさを感じることもあった。
でも。
7年たったその時でも、募金をしてくださる方がいた。仲間がいた。
「応援しているわ」と、足をとめて活動の趣旨を聞いてくれた人
「高校生ががんばっている姿に勇気をもらった」と握手を求めてきた人
毎月17日にかかさずに来てくれた友だち
続けなきゃ!伝えなきゃ!!そう思った。
先輩たちから引き継ぎ、私も活動し、後輩たちに引き継いだ。
2012年の今日。
この活動を続けている中・高生がいる。
震災を知らない子たち・・それでも自分の言葉で訴えている中・高生がいる。
募金活動で泣いている子がいた。
何で泣いていたのかな?嬉しくて、悲しくて、、
きっと何かが彼女のこころを突き動かしたんだと思う。高校1年生と言っていた・・震災を知らない子。
2011年3月11日
東日本大震災
愛知ボランティアセンターが発足し、微力ながら私も力を注いでいる。
続けなきゃ!伝えなきゃ!!今改めて、そう思う。
10年前の今日。
セレモニーのなかで私は声を大にして言った。
「震災から7年経った今も同級生がいる。これから高校生になっていくこどもたちがいる。
私たちは忘れない。忘れてほしくない」
噴水前のロウソク「1.17」を見て思い出した。
そして、今日。
次の1年へ、東日本大震災への応援もあわせてまだまだ先は長く、伝え続けなきゃ!!!
引き継いで終わりではなく、仲間を増やし一緒に続けていきたいと思う。
10年後
今を振り返って、決意を新たにできるように・・☆
愛知ボランティアセンター
スタッフ いまいさえ
人と人との繋がりが、また新たな繋がりを産むんですよね!
大切にしたいその気持ち、素敵だと思います。
これからも応援してますね!