特定非営利活動法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター 公式ブログ

2011年3月17日設立。孤児遺児応援活動、被災地ボランティア活動等、現在進行形で被災者応援活動を行っています。

阪神淡路大震災20周年追悼式&東日本大震災孤児遺児応援募金 約100人が参加!

2015年01月18日 02時12分28秒 | 募金活動

代表の久田です。



阪神淡路大震災から20年の1月17日(土)。
今年も栄に中高校生が集まり、追悼式と募金を行いました。参加者は約100人。
主催は大震災でお父さんお母さんを亡くした中学生高校生に奨学金を贈る中学生高校生の会
共催は愛知県高校生フェスティバル実行委員会
そして、被災者応援愛知ボランティアセンターが協力しました。

今年は風が強く寒い日でした。でも、キャンドルを灯しはじめると、なぜか風がおさまりました。
振り返ってみると、大雨でキャンドルが灯せないという年は、なぜか一度もありませんでした。
今年も寒い中、高校生は一所懸命に、まだ見ぬ仲間の震災孤児遺児への募金を訴えました。
そして、10万円近くの募金が寄せられました。

この活動は20年続きました。たぶん、東日本大震災の孤児遺児が高校を卒業する2030年まで
高校生の活動は続くのだろうと思っています。つまり35年も続くことになります。

高校生がこれだけの規模で、継続的に募金活動や追悼式をしているのは、おそらく愛知だけだと思います。
なぜ、愛知でこんなに続けられるのでしょう。
今日はこの点について、私の考えをご紹介します。

それは、愛知県高校生フェスティバル実行委員会があるからです。
そして、それを支える愛知私学の教職員の活動があるからです。

1975年1月末。震災孤児遺児応援活動を私は呼びかけました。
実は交通事故遺児を支えるあしなが育英会は、この時まだ震災孤児遺児応援活動を始めていませんでした。
つまり、私が日本で最初に震災孤児遺児応援活動を広く提起しました。

この時、高校生の自主活動に関するいろいろな研究会で出会った北海道、宮城、東京、千葉、神奈川、京都、大阪、兵庫の先生たちにも一緒にやろうと呼びかけました。
私は全国組織を作ろうと考えていました。ですから、団体名に愛知をいれませんでした。
しかし、残念ながらどの先生も私の呼びかけに応えられませんでした。

呼びかけに応えたのは、愛知県内の50校を超える中学・高校の200人以上の生徒たちと、先生たちでした。
なぜ、愛知は応答し、愛知以外では応答しなかったのでしょうか。 

学校を越え、多くの高校生が要求に基づいて集まって、活動していたのは愛知しかなかったからです。 
愛知県高校生フェスティバル実行委員会が発足したのは、1986年9月。
私立学校を中心に組織しています。
以来、5月に新入生歓迎フェスティバル、11月に高校生ビッグフェスティバルを毎年開催しています。
フェスティバルの参加者は1万人から1万5000人。
実行委員は多いときには500人、今は200人近くいます。
どちらも桁違いの活動です。

高校生かの活動を担ってきた私を含め愛知私学の教員は高校生は自分たちの要求で集まり、
自発的に活動するということを阪神淡路大震災までの10年間見てきました。

ですから、阪神淡路大震災でお父さんお母さんを亡くした中学生高校生に奨学金を贈る中学生高校生の会が
愛知で生まれました。

奨学金を贈る会は高校生フェス実行委員会に支えられて20年間活動を続けられました。
高校生フェスがなかったら、せいぜい5年くらいの活動で終わっていたと思います。

高校生フェスが発足した1980年代。愛知県立高校では「新設校路線」といわれる管理教育全盛時代でした。
私学では管理教育ではなく、高校生が大きな場で自由に交流できる教育をつくろうと考え、私立高校生フェスを始めました。
もともとは教員が高校生に提起し、高校生がそれに呼応してきました。

私の教員としての学びは高校生フェスや愛知私学の教育を通じてのものです。
私を教員として育ててくれた場所です。
愛知私学と愛知県高校生フェスティバル実行委員会があるからこそ、20年続けることができました。
これがある限り、35年続けられると私は確信しています。

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