特定非営利活動法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター 公式ブログ

2011年3月17日設立。孤児遺児応援活動、被災地ボランティア活動等、現在進行形で被災者応援活動を行っています。

事故渋滞~活動~雪渋滞の40回

2012年01月25日 23時20分54秒 | [東日本大震災]宮城県牡鹿半島十八成ボランティア
こんばんは

事務局長の久世です。

本日恭一さんから電話がありました。
電話の数分前に昨年11月に取材を受けた
東北放送のDVDを偶然見ており
画面を通じて恭一さんの温かさを感じていた頃でしたので
電話の恭一さんはとても近くに感じ
また温かい声をかけてくれて、感謝・感激です。
「こちらは寒いですがなんとか生活してます。」

さて40回の活動報告をします。
もう40回なんですね。
昨年の3月の段階ではこのような活動になるとは
考えていませんでした。
これも、区長さん・邦子さん・恭一さん
その他多数の十八成浜の皆様のお陰だと思っております。
ありがとうございます。

40回は33名で十八成に帰りました。
今週からスタッフは1人(1ヶ月くらい一人です)
頑張っていきます。

20日(金)
19時沢山のお見送りを受けながら元気よく東別院を出発しました。
順調に高速を走っていましたが、途中で愛知県岡崎市で事故渋滞に遭遇。
まっっっったくバスは動かず。
動かぬまま40分くらい待ちぼうけ。
渋滞の遅れを愛知バスのドライバーさんが安全運転で埋めてくれ
30分遅れの到着で済みました。ありがとうございます。

今週は
くぐなり食堂
こころ配り
よろずや~チーム恭一
の班に分かれ活動。

くぐなり食堂は
コンソメライス
鮭のクリームスープ
ポークビーンズ
ブロッコリーのナムル



こころ配り班は
毎週・毎週チラシを持って
こころ配りをし、沢山の方の経験が詰まった
くぐなりマップが完成。
このマップにボラセンはドンドン色をつけて
世界にたった一つの地図を作っています。

39回からバトンを受け40回もこころ配りをしました。
41回はまた新たな情報が増えてます。
お楽しみに

よろずや~チーム恭一
(瓦礫撤去班と今までありましたが、くぐなりにはもう瓦礫はなく
チーム名を変えようという声がありました。
案として、○よろずや ○チーム恭一などがあり
事務局長の独断で よろずや~チーム恭一としました。
これからは、瓦礫撤去班がよろずや~チーム恭一となりますので
よろしくお願いします。)

よろずや(万屋)とは、多様な商品を扱っている商店の総称。
また、頼まれれば何でもする職業。「なんでも屋」ともいうそうです。

・・・十八成の為になんでもやります。恭一さんと一緒に・・・
という意味で頑張っていきたいと思います。

金毘羅大権現の修復作業でした。
ツルハシとハンマーを持って
壊れた土台を元通りに


セメントも使いました。


そして
くぐなり食堂開始
皆さん楽しく交流


仲良くなってゆうき君の家にもお邪魔

パソコン講習
いやゆうき君の好きなゲームかな??
まぁ勉強してることにしときましょう。。。

元気よくあっという間に一日を終え
名古屋に行って来るため十八成を離れ、菅生PAに到着した瞬間

大雪・大雪・大雪

そして東北道至る所の出入り口が通行止め状態。
車が少なく
車がスピーンだらけ。
ノロノロ運転で東北道を抜けました。
名古屋到着時間が遅れると覚悟しましたが
ドライバーさんのご協力で時間通りに到着。
本当にありうがとうございました。

これからが本格的な冬。
雪での渋滞覚悟で、安全に十八成に帰りたいと思います。
少し遅くなっても待っていて下さいね。

(写真提供・・・料理長谷口さん。ありがとうございました)

そした大変お待たせしました。
こちらが集合写真です。


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22 コメント

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Unknown (阿部邦子)
2012-01-26 00:49:18
毎度お騒がせしております。コメント控えようかなと思ってるんですけど(うるさがられたくないから) つい書いてしまいます。 御礼状の手紙はなぜか なかなか書けなくて自己嫌悪 なのですけど。 事務局長 そして 切り込み隊長の 久世様。 お疲れ様でした。スタッフの皆さんがそうなのでしょうが、久世さんの働きには、頭が下がります。 何だか知らないけど いつもいつも 打ち合わせ、会議、会食、面会、そして 餅つきのときは神戸まで石臼を借りに行ってくれたり、 ブログまで。私が会社を興したら こういう社員さんがほしいなと 思います。 
そして 恭一氏のことを思ってくださって ありがとう。 彼は 奥さんのストレスを受け止めてばかりで 自分のストレスを発散できていないかも ですので そういう温かなまなざしが 今の彼を救ってくれているのだと思います。 彼の奥さんに、「もう少し 優しくしてあげて」と どなたか言ってあげてください。 (勇気がある方 立候補)
よろづや~チーム・恭一   には 微笑ませていただきました。 チーム・恭一 って言ってくださった方 結構多かったですよね。 まあ 他の土地での作業のときは使えないでしょうし ボスは 『個人名はちょっと』かもしれませんね。
でも 自分を売り込んだわけではなく ただ 『今の自分には何ができるだろう、 愛ボラに、どうすれば感謝の気持ちを表すことができるだろう』 そう思い続けてきた恭一氏を、 久世さんは最も身近に、最も長く、見てきたからこその思いが、その命名に表れていると思うと、 怖いようで実は優しい邦子さん、今ちょっと うるうる です。
これからも、たとえ作業やその他の活動が 今とは違う形になっても、 今の気持ちを決して忘れず、歩き続いていきたいと思っています。
おいでになれなくても 愛ボラを支え続けてくれているスタッフの皆さん ボランティア参加の皆さん そして ボランティアに行く と言ってくれた方を温かく送り出してくれている ご家族や職場の方や お友達の皆さん 本当にありがとうございます。 どなたか ボランティアで知り合って 十八成で結婚式を挙げるとか そういうことがあったら 全国版!!ですよね  そういう楽しい妄想さえ生まれる 愛がいっぱいで 冒険心もあって 生涯ラッキーでいてほしい 愛ボラ に 乾杯!! 
返信する
Unknown (いわさ)
2012-01-26 03:01:28
邦子さんのコメント読んで思わず 涙。
十八成と名古屋の中間に今居るんだなーとしみじみ。食堂の準備やお見送りやお迎えには当分いけないけど、何時ぐらいにこのあたりを通過ですか?どのサービスエリアで休憩ですか?と聞いてしまいそうな自分が・・。

独身男子に頑張ってもらって、十八成挙式&めぐろで披露宴!やっちゃってもらいましょう!みんなで餅つきして!ねっ。
返信する
お疲れ様でした (ホシ)
2012-01-26 06:52:07
第40回は雪の高速だったんですね。事故、怪我なく元気に活動されてきて、参加者のみなさん、久世さん、ドライバーさん、本当にお疲れ様でした。
「よろずや・チーム恭一」、久世さんの独断みたいですが、「流石、久世さん」と株が上がりました。笑。きっと今まで参加したみんなが、嬉しく思っていると思います。
雪が降り寒い東北ですが、愛知ボランティア33人が笑顔を届けて、くぐなりの皆さんに暖かく感じてもらえたのではと思いました。
しばらく都合が合いませんが、自分も早く帰りたいです。
それと、久世さん、健康第一で・・・いつもお疲れ様です。
返信する
はい、よろこんで言わせていただきます。 (ゴンザレス店長)
2012-01-26 14:31:47
>彼の奥さんに、「もう少し 優しくしてあげて」と
>どなたか言ってあげてください。

はい!2月十八成浜に戻った時に20年来の親友の奥さんに言っておきますね!

急に寒くなり、私も体調を崩しそうです。
邦子さん、恭一さんはじめ十八成浜の皆さんも
体調管理に十分注意してください。


返信する
Unknown (谷口)
2012-01-26 17:33:43
この度は、初の料理長の任命いただきありがとうございました。
くぐなり食堂は、今回18回目とのこと。切れないバトンを受け、そして渡すことが出来たのは、15名の食堂班チームワークのおかげです。
毎回、参加して感じますが、初めて金曜日の夜に会ったチームなのに、回を重ねる毎に段取りが良くなっていることです。
スタッフの皆さんのレシピ作り、備品管理を始め、愛ボラ参加メンバーに流れ続ける、‘くぐなりの皆さん’への熱い想いが、遺伝子として毎回つながっているんだなぁと、痛感しています。
その一員に加わることができたことに感謝です。

優輝くん、典子さん お宅にお招きいただきありがとうございました。名古屋に行くのが、楽しみ!と優輝くんの笑顔 最高!!です。
返信する
Unknown (第40回参加者1)
2012-01-27 16:56:05
初めての参加で得るものが多かった3日間でした!
発災から10ヶ月、新聞やニュースを見る限りでは、東北は着々と復興しているかのように思っておりました。
ところが十八成の恭一さんや邦子さんに会って話を聞くと、瓦礫がなくなっても、元の生活に戻るまでは被災地の復興はまだ完了していないんだって感じました。
これが被災地だったんだなって。
このことを家族にも話したら、「是非参加して体感したい!」全員言っておりました。
自己満足だけのボランティアではなく、現地の人と接することが本当のボランティアであり、「生きたボランティア」だってことが良く分かりました!
十八成浜が本当の意味で復興するまでは、私もまた参加して被災地の方々のお役に立ちたいと思っております!
返信する
Unknown (第40回参加者2)
2012-01-27 16:57:25
初めての被災地ボランティア。
一歩踏み出す機会を与えてくださった愛知ボラセンの皆さん、受け入れてくださった十八成浜の皆さん、一緒に参加した皆さんに心から感謝致します。
大勢の方が亡くなったこと、映像で見る瓦礫の山、大きな悲しみに圧倒され、どうしても行く勇気が持てず、ご縁あって行動に移せたのは10カ月後の今。
「こころ配り隊」として、くぐなり食堂のチラシをお配りしました。担当したのは家屋もご家族も無事だったお宅で、想像していた現地ボランティアとはちょっと違いましたが、自分が名古屋で変わらぬ生活を続けている間に、沢山の人が十八成浜に行き、活動し、信頼関係を築いたことが、今回の活動に繋がっているのだと感じました。そして、一見震災前と変わらない生活をされている方も、なかなか口にできない思いを抱えていらっしゃるのだと感じました。
愛知ボラセンだからできること。よそものだからできること。じぶんだからできること。
他人事と思わず自分事として考えたい、思いに終わらず行動にうつしたい、そんなことを感じた0泊3日でした。ありがとうございました。
返信する
Unknown (第40回参加者3)
2012-01-27 16:59:27
初めての参加で作業は瓦礫撤去となっていたので、体力的に不安があった、しかし体験したのは金比羅大権現の碑の修復だった。

 時間も短時間で終了し残り時間の殆どを被災された方のお話を聴かせて頂いた。恭一さんの話の内容は非常に重く、震災・津波を体験していない自分が本当に理解出来て居るのか、解らないが恭一さんの話に引き込まれ耳をそばだてて聴かせて頂いた。
活動を終えた後の思いは自分に出来る事を、出来る時に出来る範囲で細くとも永く継続して行く必要性を強く感じた今回の参加でした。

今迄は「災害ボランティア=瓦礫撤去」と思っていたが、愛知ボラセンの活動を見て、「この様なボランティア活動もあるのだ」と目から鱗の思い(気付き)があったのは、大きな収穫でした、今後も機会を見つけ参加させて頂こうと思っていますので、宜しくお願い致します。
返信する
Unknown (第40回参加者4)
2012-01-27 17:02:28
やっと参加でき嬉しく思います。
いってきます と出かけて半年ぶりのただいま。

バスを降りたら更地が広がっていたのを見て涙が出てきました。
「何もなくなっちゃんたんだ。。」

震災前に訪れた事のない十八成浜。
私の中では瓦礫まみれのあの景色が十八成浜でした。

瓦礫まみれが更地になっただけでこんなに悲しい。
普通の町だったのが瓦礫まみれになった時の住民の方の気持ちを考えました。

初めて現地ボランティアに参加し、帰ってきてからgoogleマップで元の町並みを見て、号泣したのを思い出しました。

元の町を知らない私達が想像するのは難しく、
この思いが伝わる手段をずっと考えていたりします。

十八成浜の皆さんの歓迎してくださる顔を見て
愛知ボラセンの皆さんが生きた応援活動をし続けてくださったのを感じました。

初めて参加の人も多かったようですが、田舎のおじいちゃんちに行ったような、そんな感覚でした。
ボランティアに行ったっていうよりも、遊びに行った感じ。。皆でご飯作って配ってありがとうって言ってもらえて。

独り暮らしの私にとって、なんじゃかんじゃ言いながら皆と活動したのは本当に楽しい時間でした。
皆よく気がついて動くから、また気持ちいいです。

いろんなグループを飛び回って撮影していたので、撮り逃した場面も沢山あった気がしますが……

今回は 楽しい、笑顔 が撮影できたと思いますが旅行に行ったみたいなビデオのような……

いいのかなあ……なんて思っています。
返信する
Unknown (阿部邦子)
2012-01-27 22:14:25
現地ボランティアに参加したからこそ見えるものは 沢山あると思います。 がれきがなくなって 普通の人なら「きれいになってよかったね」とだけ思うだろうに、いらしてくださっているからこそ「・・・なにもなくなっちゃったんだ」と涙して下さる。 そのご理解が こちらの心に添ってくださっていると感じられ、とても嬉しく思えました。
ちらちらと雪が降ると、あの日を思い出します。私たちの頭上に ちらちらと降り続けていた雪。
とても寒く、厚着をするために逃げ遅れ、せっかく安全なところに逃げながらコートを取りに戻ったために逃げ遅れ・・・。そういう人たちがどれだけいたことか。
生き残った私たちは 辛すぎることだけど、万が一またどこかに災事が起きたときに そのようなことのないように そういったことを 伝え続けなければならないんです。
その辛さを救ってくれるのは 長い年月(この一年は 私 そしてもしかして多くの被災者にとって 一年という感覚ではないんです)をかけて 信頼をはぐくみ、絆を強めあってこられた 愛知ボラセンの皆様方の 笑顔なんです。
『私たちは忘れないから』、その思いなんです。
楽しんでしまって良かったのだろうか そう思ってくださる方も多いようですが、楽しまなければ笑顔は出ません。 はしゃぐのはともかく、 思いっきり楽しんで構わないと思います。 
私、強そうに見えるようですけど、三度の癌や子宮外妊娠などで、もしかして身体はがたがた。実は寒いと、いくら部屋の中を温めても、癌手術の大きな傷跡が、締め付けられるように痛むんです。もしかしてボランティアにいらしてくださったとき、つい 顔をしかめるときがあるかもしれませんが、決して機嫌が悪いのではないんです。息が詰まるほどに傷が痛んでる。 それだけ誤解のないように お伝えしておきます。
そういったことも 恭一氏は まるごと受け止めなければならないので、心身ともに疲れるんだろうなあ。でも私だって痛いってできるだけ言わないようにとか、どんなに疲れていても彼の好物を一品は添えた夕食を とか 努力はしているので、 ゴンザレス店長、お手柔らかに お願いします。
温かくなれば そして明るい時間が長くなれば 今よりは気分 ちょっとは違ってくると思えます。
とにかく 「え?」と思うこと、感じたことがあったら 聞いてほしいです。 誤解が一番怖いです。
愛ボラをもっと知りたい。愛ボラにもっとわかってほしい。
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