特定非営利活動法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター 公式ブログ

2011年3月17日設立。孤児遺児応援活動、被災地ボランティア活動等、現在進行形で被災者応援活動を行っています。

愛知ボラセンの活動予定⇩(更新日:2024.5.3)

令和6年能登地震 被災者応援ボランティアバス
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NPO法人被災者応援愛知ボランティアセンターは、観光庁からの「観観産第174号(平成29年7月28日)災害時のボランティアツアー実施に係る旅行業法上の取扱いについて(通知)」に基づき、被災地ボランティア活動を実施いたします。

災害時のボランティアツアー実施に係る通知の適用対象となる地域について

被災地レポート

2011年05月01日 10時02分24秒 | [東日本大震災]被災地ボランティア
こんにちは。愛知ボランティアセンターです。

愛知ボラセンでは、GWを利用して、1泊4日(車中2泊)の
被災地ボランティアを行いました。前回の4月22日からの
被災地ボランティアでは、大型バス3台の総勢130名の参加者で
被災地を訪れましたが、今回は、現地での宿泊を伴うため、
バス1台(46名)での実施となりました。

出発日の4月28日は、午後5時から東別院にて、
支援物資のトラックへの積み込み作業を行い、
午後7時に石巻へ向けて出発しました。
たくさんのボランティアさんが、積み込み作業に
手伝いに来て下さったほか、積み込み作業終了後も、
バスの見送りのために多くの方に残っていただきました。
いつも、仕分けボランティアに来て下さっている
「森林を守るバナナクラブ」さんからは、
毎度、たくさんのバナナの差し入れをいただいており、
今回も、バスに乗り込む参加者に、バナナが手渡されました。
みなさん、本当にありがとうございました。

バスは、東名高速道路、首都高、東北自動車道を通り、
翌29日の午前5時頃に宮城県に入りました。
各種メディアでは、GWの被災地ボランティアの殺到が
報道されておりましたが、目立った渋滞もなく、
午前6時頃には、石巻市内に入りました。(実際に、
被災地でボランティアが過剰になっている状況には、
一度も遭遇しませんでした!)

私は、今回で3回目の被災地訪問でしたが、一部地域では、
3週間前に比べ、ずいぶんと状況が変わっているという
印象を受けました。石巻河南IC付近では、ほとんどの土砂が
撤去されていましたし、私たちが活動拠点としている
湊小学校の近くも、がれきの撤去が進み、道幅が大きく
広げられていました。しかし、全半壊した家屋、
横転した車両、ひん曲がった電柱など、津波の爪痕は
未だはっきりと残っていました。

少し到着時間が早かったため、湊小学校から車で
10分ほどのところにある、日和地区を訪ねました。
日和地区は、北上川の河口付近、太平洋に面した
ところに位置し、石巻市内の中でも最も被害の
大きかった地域です。津波で、なにもかもが
流されてしまった、日和地区の惨状を目の当たりにし、
参加者の多くが絶句しました。日和地区は、
西側に日和山という丘があり、その下に門脇小学校があります。
この門脇小学校の付近では、大規模な火災が発生し、
校舎は全焼、校庭付近には、完全に燃え尽き炭化した
車両の骨組みなどが、露骨にグシャグシャッと
積み重ねられています。小学校の内部に入ると、
焼け焦げたにおいが漂っていて、はがれ落ちた天井、
骨組みだけになって整列している椅子と机、
炭化した教科書など、たいへん心が痛む光景が
広がっていました。
破壊された家、車、街を見ると、あたかも、
もともと、そこにそのような形で存在していたかのうように思え、
実感がわきません。しかし、そこに命があり、
笑顔があったことを想像すると、胸が締め付けられる
思いになります。







日和地区を視察後、一行は湊小学校へ向かいました。
ここからは、泥出しグループと、医療グループに分かれての
行動になります。





まずは、泥出しグループについてです。
校庭の一カ所に集められた土砂を土嚢に詰めるグループ、
小学校の近くのお宅にお邪魔して、泥出しを行う
グループに別れ、作業を行いました。お宅にお邪魔して
泥出しをしたグループの話を聞くと、泥との格闘が
予想以上にたいへんだったが、それ以上に、
被災された方々の日常と大切な思い出が詰まった品々を
処分していくことが、とても心苦しかったようです。
また、作業をしながらの被災者の方との会話も、
とても印象的だったようでした。作業が終わって、
「ありがとう。みんなのおかげで、明日からも、
またがんばれる気がする」という言葉をいただき、
それが本当に心に残っていると話していました。
一方で、言ってみれば「誰からも感謝されない」、
校庭の土砂の土嚢詰めに従事したグループは、
山積みにされた泥との格闘が本当にしんどかったようですが、
彼らの努力の成果で、校庭がとてもきれいになりましたし、
彼らの働きを見て、多くのグループが途中から作業に加わり、
人のつながりを実感できたと聞いています。
作業の終盤には、重機が入ってしまい
「今までの努力は何だったのだろう…」
と少し悲しみを覚えた方もいらっしゃったようですが、
みなさんが、一かきひとかき丁寧に作業したこと、
そこに込めた愛は、必ず被災地に届いていることと思います。

医療グループは、今回で3回目になる健康相談会を、
湊中学校にて行いました。現在、30名が避難生活を
送っている湊中学校では、講堂の1階に「みなと食堂」が
もうけられ、昼には、たくさんの方が、ここに集まって
お食事を取られています。その「みなと食堂」の横に、
健康相談コーナーを設置し、内科医・看護師・薬剤師が
中心となって、健康相談を行いました。高齢者や、
持病のある方を中心に、多くの方にお越しいただき、
できる範囲での健康面での支援活動を行いました。
もちろん、各医師会や赤十字社による医療活動は行われています。
しかし、様々な理由から「病院には行けない、行かない、
行きたくない」被災者の方にとって、私たちが、避難所で
行っている健康相談へのニーズはあり、愛知ボラセンでは、
今後も、こうした活動を継続的に行っていこうと思っております。
従って、現地ボランティアへの、医師・看護師・薬剤師の方の参加を
心よりお待ち申し上げております。
また、前回・前々回は実施した整体師によるマッサージ会は、
今回は、資格をお持ちの方がおらず、実施できませんでしたが、
また、参加者の中に整体師の方がいらっしゃれば、避難所で、
マッサージの実施もしたいと思っています。
震災発生から、1ヶ月がたち、ようやく自分の身体を
いたわれるようになったという被災者。
健康面における支援活動が求められています。



この日、南三陸町、気仙沼方面へ視察に出かけたスタッフからは、
完全に壊滅した南三陸町の痛ましい惨状に関する報告があり、
気仙沼ではボランティアの募集に関して「ボランティアが必要な
人を訪ねるのではなく、必要ではない人を訪ねることで、
ニーズを確認している」というほど、ボランティアが
必要とされているとの話がありました。日和地区の惨状でも
絶句した私たちでしたが、それを超える被災地があることに、
多くのメンバーが驚きを隠せない様子でした。

2日目の30日は、スタッフ3人が、湊小学校で8時から行われる
班長会議に参加することに、5時に起床し、6時に湊小学校へ
向けて、先に車を出発させました。5時半に朝食をとったのですが
、千人近くが収容できる食堂には、すでに、満席となるほどの人が
集まっていました。

湊小学校での班長会議では、各ボランティア団体からの報告や
連絡があったほか、湊小学校避難所の代表者からは、ボランティアに
依存しきっている湊小学校の現実に関して、被災者の自立という
観点から、現状の見直しが必要との提案も出されていました。

2日目も、1日目と同様に、泥出し作業を行い、湊小学校体育館で
健康相談会を実施しました。そして、私たちの活動の中心である、
応援物資の配布も、2時から行いました。「新品衣料を持ってくる
団体がある」という噂は、湊小学校避難所の被災者のみならず、
石巻の広域に広がっているようで、かなりの方が避難所に
集まってきました。配布開始を告げると、まるで戦争のような、
物資の「取り合い」が起こってしまいました。これは、
、私たちの物資の配布方法にも問題があると思っており、
たいへん反省しているわけですが、一方で、
一部店舗で営業が再開している湊地区においては、
こうした物資配布のあり方について、改めて検討する
必要があるということも感じました。







そのころ、スタッフの3人は、再び車で湊小学校を離れ、
視察のため、牡鹿半島へ向かっていました。途中、いくつかの
避難所を回り、現地の状況を確認してきました。なかでも、
もっとも印象に残った避難所は、蛤浜避難所で、20人規模の
小さな避難所です。入り江の地形のところに、26人が住む
小さな集落です。津波でほとんどの家が壊滅しましたが、
少し高台にあった集会所だけが被害を免れました。食べ物や
飲み物が全くないわけではありませんが、支援は、はっきり
いって行き届いていません。支援物資が必要とされています!
特に、春物の衣料はほとんどないといいます。

しかし、一方で非常に興味深く感じたこともありました。
流されてしまった木材から釘を抜き、がれきの中から使えそうな
板材を拾い、便器を拾い、浴槽を拾い、それを巧みに組み立てて、
お手洗いや浴室を手作りで作り、少しでも快適な生活を送ろうと、
さまざまな工夫を凝らしながら、生活をされていました。しかし、
集落にあった車が全て流されてしまったことから、山間の蛤浜から、
街へ出るための足がなく、非常に困っているとのことでした。
支援物資のニーズは、小さな、山間部の避難所にあるようです。
さて、余談となりますが、蛤浜では、牡蠣の養殖が盛んだそうで、
避難所の代表者をされている方も、牡蠣の養殖業を営まれていたそうです。
「肉が無くて困っている」と言われた矢先だったのですが、
生牡蠣を食べないかと勧めていただき、ご厚意に甘えて、
生牡蠣を食べさせていただきました。その場で、貝殻を
割っていただき、食べましたが、本当においしかったです。





そのほかにも、いくつかの避難所を回りましたが、
牡鹿半島の小規模な避難所では、やはり避難物資が
不足しているほか、常駐のボランティアもおらず、
ボランティアに依存していて、支援物資を求め多くの人が
殺到するという湊小学校の状況とは大きく異なっている
ことが分かりました。

また、牡鹿半島の沿岸部は、やはり壊滅的な被害を受けていて、
残っているのは基礎だけという光景が、いたるところに見られました。
大きな船も、多数、陸に打ち上げられています。だんだん、
そうした光景が「当たり前に見えてくる」恐ろしさも感じました。
感覚が麻痺してきているような気がしました。また、行けども行けども、
津波の爪痕ばかりで、今回の震災の被災地が、実に広域に
及んでいることを、改めて実感したところです。

4時には全ての作業を終え、名古屋在住のパキスタン人が
行っているカレーの炊き出しをいただき、名古屋へ向けて
バスを出発させました。バスの出発の際に、泥出しを行った
家の方が、最後まで見送りをして下さいました。そのお宅で
泥出しをしたボランティアにとっては、特にうれしく、
また感動的な光景だったことでしょう。



今回の訪問では、いつも通りの支援活動に加え、他地域の視察を
通じて、あらたなニーズを発掘できたほか、現状の支援のやり方への
問題点についても把握することができました。今後も、愛知ボラセンでは、
現地ボランティアを引き続き行っていく予定です。常に、現地の状況に
即して、あるいは、新たに入手した情報に基づき、支援活動の形態に
ついて検討し、よりよい支援のあり方を模索していこうと思っています。

また、愛知ボラセンのメインとなる支援は、現地に行くこと
だけではありません。名古屋の地で、丁寧に、愛を込めて仕分けを
して下さっているボランティア活動があり、そして、その上に、
被災地ボランティアが成り立っています。従って、現地に行くことだけが
、立派で、すばらしいわけでもありません。被災地を応援している
全ての人の気持ちを代表して行くのが、私たち、現地ボランティアの
使命だと思います。今後とも、皆様のご支援・ご協力をよろしく
お願いいたします。


PS
被災地レポートですが、今まで、2回にわたって、
執筆を怠ってきました。誠に申し訳ございませんでした。
今回こそは!と、バスの中でPCに向かっています。
このレポートを通じて、皆さんに、愛知ボラセンの活動について
知っていただきたいと思いますし、また、現地の状況についても、
ニュースや新聞が伝えない実情をお知らせできればと思っています。
今後とも、愛知ボラセンブログをよろしくお願いいたします。

文責:広報担当・鈴木健介
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