あげちうのブロマガ

赤を見て否定する昭和

今の壁は、「九尾の狐」だ。

女性が仏教的理解の果てに、強い独善を発生させるようになった妖怪的心理の状態。
男性なら「多数決を制する正論を導ける”知恵”を身に着けた」いわゆる”悟った”状態は、女性には単なる「我意の発露」でしか無く、なのに”その”背景に有るのは仏教なので、常人にはそれを区別も否定も出来なくなる、どっちにしろ他者には「個人的な主観」に過ぎないので。その時、女性の方が精神内部的な多数決は圧倒的な同意100%を取れる、それに、男性の”悟り”は勝てない結果、「九尾の狐」は国家さえ従えるような影響力を、示し始めてしまう。

ただ、”これ”がなんで発生したか?と言うと、世間の認識による所がどうも大きい。一夫一婦絶対論の結果、末端で切り捨てが発生、それがその九尾の狐に至る導線を創ってしまい、それにシニア層がまず逆らえなくなった、”切り捨てを容認した加害性があるから”だ。

その上で、昭和は逆に、良く統制されてしまって、悪い時代じゃ無かった。
だから、”彼ら自身だって”問題があると思っていない、しかし。

昭和の頃は昭和天皇、その強力な影響力とその抑止があったから?まだ良い。

平成以降にはそれが無い。

結果、「九尾の狐」の”本来の”衝動、「自分だけ不幸になるのは納得行かない、みんな不幸になれ」的なのが、非常に強く発露しちゃう結果、世間は荒れに荒れた訳だが。出生率の低下、文化の悪化。男女間の幸せな、的なモノにヒステリックでさえ有る拒絶が発生し、売春性もやたら強調されて、ともかくとある世代は異様な否定感に呑まれてしまった。或いは「九尾の狐」が捨てられた年齢に近いのかもしれない。自分は捨てられ今も喪失感にあがいているのに、お前らはそんな私を生贄に、幸せになろうと言うのか?

まあ、昭和を幸せに、その「九尾の狐を生贄に」過ごした世代だ、因果と言えばそう。

それを、今もってなお、抑止出来てない。


現場レベルで問題になるのは”シニア層の意固地さ”だ。或いは、無理解。
それじゃ今、問題しか起きない!事に、彼らは拘ったり続けたりしてしまう。

しかし、その想定での「元凶」問題に成ってるシニア層全ても、だ。
何か過失があったか?と言うと、九尾の狐であっても、その理解では被害者でしかない。
国家、或いはテレビの影響力?それにより昭和の栄華は齎された。それを続けてるだけ。
その時しかし、犠牲、それはごく普通に、実は存在していた。

そんな世間の一夫一婦絶対論が、「なんで私だけ?」の不幸を創っちゃっただけで。
「正義は勝つ」時、九尾の狐を”倒す”のは正義か?そこには、重い疑問がある。

世間全体は、その存在に対して重い過失があるので、何かの特別扱いは発生する。
特にマスコミは、媚び諂う位の弱み?を見せたりする。そして”ここ”に居るのが例の「朝鮮王朝の末裔」その思想であり。彼らはこの状況を利用し、自身らに有利に世間を動かそうとした。

良くも悪くも、韓国の栄華は、そんな感じに興った訳だが。

しかしその結果、世間は「みんな不幸になれ」に呑まれる結果で子供は就職先を失い、親はもう高齢で働けず、年金しか当てがないのに、介護が必要な状況に成ってると言う(-_-;)。そんな事態に。それはまあ、韓国なんか、もっとひどい状態らしいが、帰結ではあって。

しかしその、問題になった要介護者の老人が、何とも制御?出来ない。

「ストリードの連携」それの、非常に甘い期待値としては”この”状況からでも収入先を得る、可能性はある、が。
そのシニア層が、”それ”に対して強い否定感がある、それだけは嫌だ、位。

”ぞれ”がボケてるのか、何かの悪意があるのか、まだ、判断し難い。
結果、相手を単に排斥出来ない。九尾の狐も、「捨てられる」いらない、それに対して強い否定感があり、自分以外を捨てる事には抵抗が無くても、自分がそうなる事には、全く同意が、無い。

現在、「被せ」の誇張が弱体化する結果、真意が歪んで伝わる事が薄れる期待は、ある。
結果、改善案がシニア層の懸念に接触しなくなる、可能性はある。悠長だが。

ともかく平成の間中も「王の権威は敵だ!」的な何かに支配された結果で、”ここ”の発言には重い枷が乗ってる。誇張と曲解、「駄菓子屋って良いよね」定型の店、定型の商品。それを聞いてコンビニにしちゃう感覚は、ここの発言に関しても、歪んだ理解をする。

独裁は良くない。
戦争は必要だ。
戦争はテレビゲームと同じだ。
一夫多妻でも構わない。

独裁者同士の思惑の衝突が戦争の引き金に成るが、とは言え共産主義的な、唯一無二の独裁者の存在は物理的に利益性を損ねる現実がある。独裁者同士が対立している方が「独裁者が居ない」状態に近い訳だが、その為にはでも、戦争の容認が必要になる。その時、現在の技術なら、戦争を仮想現実で処理する事が可能だ。そこでやれば物理的喪失を起こさず「同じ結果」を出せる。ただその時、第三の選択、「両方」と言う道こそ最善だったりする訳だが、それはそれとして認めるべきだ。

後者の論説はまだ、前者としてしか届かない、訳だが。

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