あげちうのブロマガ

選ばれなければ消えていく世界の中で

意識が少し「広告代理店」その「枠」を意識すると、そこにあるストレスも大分深刻さは、ある。

”それ”が創られたモノか、或いは?ともかく意外と解らない感覚だった、というのは問題なのかも。

 

「選ばれなければ前に出れない」のだ。

もちろん、仕事もないし、報酬も得られない。

「当たり前だ」が。しかし、今までの自分の経緯その他で考えると、そう言う感覚を疑問に思うくらいに無視してた、気はする。思想の問題かもしれない、「大衆は神である」神は常に見ている。それを使うか否か?買うかどうか、それは何処に出たか出ないか、ではない、作品のクオリティによるモノだ。

「で、なんでこれは採用されないんですか?」

単に追い込まれた境遇とその中での感覚の欠落、だろうか。神のみぞ知る、その先へ進む事を、意識してか止めている、のだ。創作のネタというならまだ解らないでもない、創案当時にしろ、同人やネットワークは存在した、訳で。良いモノさえ作って居れば認められる!というそう言う熱意はその場の正論ではあったろうが今、果たしてそれはどこで何をしているモノか、まあちょっと考えはする訳だが。

ともかく俳優にしろ、前に居る監督に選んでもらわないと、参加は出来ない訳で。

”それ”が普通、という当然を意識してなかった訳じゃないが。”それ”を制御し得る、というその影響力の大きさに、少し事態の深刻さみたいなのを感じない事も、無い。漫画家にしろ、雑誌に採用されなければ作品は前に出ない、のだ。その時、そこに「逆らったら道は閉ざされる」存在が居た、という。その事案の深刻さ、ではある。

新たな採用基準、それを提案はした。

状況は前のその「監督」売れない編集長が、大チョンボをした、という把握はある。

だとしても、「放送枠」それはテレビのチャンネルの如く有限、ではある。良くも悪くも「戦争を否定した環境」ではあって、紛争解決機構での決着、それには難色は強い。最後の神判を昭和の様に「王の権威」それに委ねる、として。

どっちにしろ、スポンサーに見せたPVが可を得られなければ、その先は無いし労苦は無駄になるのだ。

その時多分、”彼ら”は自身らの技能、そう言うのに理解は無いだろう、それは思う。

視点は、「当たり前」の、店で売ってるクオリティをどう運用するか?でしかない。そのクオリティその物には要求というかは無い。単に、要求に対して応じるか、妥当か?だ。農家の内情がどうであろうが、ともかく売りに来た野菜が要求に満たないのなら買えない。志やら理想やら、に対してそこがお金を払う訳じゃない。彼らはもっと、なんというか「評価」を求めているだろう、しかし。買う側にとっては、自分が買える物しか買えない、その時多く、農家の意向は無関係だ。

現在の状況では技術者が、自身の理想や熱意を買って貰える状況ではない訳だし、それは今後も、だろう。

・・・単にこれは、今まで選ぶ側だった存在が、選ばれる側に成った、その際の深刻さ、だろうか。

だとしたら、因果応報の一つでしか無いのだけど。

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