あげちうのブロマガ

岡本太郎の塔を見上げる

その世界の中に居れば、話は簡単だ。


「お金が無い?働きなさい」

話はそれで終了である。そしてその世界が「PS5草案」で有る時、概念的には何かの「不可能」それは消えている。この世界なら「働けば良い」のだ、そうすれば普通に、環境は維持できる。そして。

この世界では唯一「朝鮮王朝の末裔」その思想だけが、何故か”いらない物”に成る。


結論で、目指したのが「岡本太郎」そのアートではあり、しかし。当時の状況では、そこに「これ何?」的な、素朴な一言は、書き込む事は許されなかった。それを言うのは、その辺に居るテレビゲームに怪訝な顔をする婦人ら、である。その結果、ふと、そう考えてしまう人々、それはその世界に居る事が出来ず、結果、排除?されてしまい。その時、その理想は結論で具現化しなかった。何処に原因があったかは解らない。そしてそれは今も、不意に感じはする。

お前は何を言ってるんだ。

その声は何故か、奇妙にパワフルで。その時”切り捨てられた”人々は今も、「誰が悪かったのか?」或いはそんな自問を続けつつ、夢の向こうに有る「その世界」へは行けずにいる、訳だ。そこに居る事が出来なかった。


状況は、それでも多少は、改善した?の、だろうか。


良くも悪くも、だ。誰かが、その「岡本太郎の絵」に”匹敵するモノ”を、創らねばならなかった、のだ。それでいて幾らでも書き換えが可能な状態として。必要なのは技術では無く?或いは同じような環境。それは一人の手によって、もしくは”何の対価も求めないモノ”として創られ、開示された、全てな訳だ。「同じ」と認められる時、その試験、試行は可能になる。これは良い意味か否か?は解らない。当時、その世界に入れなかった人々を、その岡本太郎の理想、そこに取り込む時、それは何を意味するのか?それは「その先」にあるとしても、今はもう、平成も終わるのだ。

大きな懸念の一つではある。ともかく「黄昏の狩人」或いはそこに有った「PWS-VA-H500」その、若い女性が使っていた仮想のノートパソコン、”それ”は或いは、平成最大のヒット商品として、現在までまだ続いている。その唯一生き残ったモノは、何を宿し、その先へ進むのか。

神の選択それは、神のみぞ知る話。

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