あげちうのブロマガ

「大衆」それにとってのゴミとは何か

植松聖被告は、結論で死刑になった。

この結果、”この”思想、それは日本の刑法上は「死刑」極刑、切り捨てには成った。

いらない。

是非ではある。

「役立たずの無能なんかもうお荷物でしかないんだから、殺せば良いだろ」

”これ”は、この発言者は要するに「日本の刑法的には」死刑に成った訳だ。
それでも或いは、芸能界、テレビに出てる存在でさえ、”これ”は時に言うのであり。

…これでも、まだ感覚では反発が消えない。勿論、と言うか…「そう言う事を掲示板で語ってしまう人々」が、まあ納得しない訳で。「私は間違った事なんか言ってない!みんな思ってる事だろ?!」同意を求めるそれに対して、微妙な弱さはある。

自分が何とか五体満足である幸運を、神に感謝するに留まる訳だが。

「日本では大麻は違法です」犯罪です、これも、世界にとっては今も、意外でさえ有る潔癖、かもしれない。合法化してる所はかなりあるのだ、芸能界の薬物汚染は問題には成ってる。それでも、植松聖被告も、最後に発言を求めた”それ”は、「大麻は合法です」それだったらしい。

原因?はほぼ解っている。

ただ、それは「テレビゲームをクリアしたらお金儲かる様にならねーかな」そのレベルで、否定するのが難しい現状はある。

「馬鹿」なんだけども。

「RPGのモンスターとかなんで出現するんだろうね」神様なら消せばいいのに、”それ”に対して言葉に詰まる、そう言う絵でもある。

価値観の問題だ。

「ゴミだ」それは、一応日本としては、確定したのだけど。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「インポート」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事