あげちうのブロマガ

趣味と好みの衝突する先

”それ”を問題と言うか否か。

かなり主観と言うか、微妙な判断だが。

”自分”の「嬬魔」ツッコミ役それとして有るのが、「ぽんぷ長式大和」このキャラではある。魔王としては、”これ”を世間に要求する事には成る、こう言う感じの社会を。ちょっと何言ってるか解らない状況に対して、しかし?現場か、一部は反応する。

自分はこっちの方が良いんだけど。

最近、「つかさ式神州丸」このキャラクタが、ちょっと存在感を主張していて、理解の混沌は発生している。

解る人も解らなくなる話の先で、つまり「神州丸」は「劇場」を意味するが、「ポンプ長式大和」それは、「ゲームセンター」を意味するのだ。

どっちが良い?

自分が?「魔王」それに成った理由はある。今までのアニメなどの流れでは「王の権威」その独裁性を否定出来ない。しかし?テレビゲームそれは、ほぼ物理的な「平等」を、例え作者と言えども要求出来る一種の特徴はある。この特徴故に、本来は、平成の新しい「王の権威」として選ばれた、のだが。平成の始めでも、”これ”に異論が有った訳だ。

「劇場」或いはテレビ、それは一方向のメディアである。「魔王」まで来れば特に、自身の主観、趣味しか選抜対象に成らない。その上で、上に立つモノは、社会を善く維持する為のモノを作らねばならない”それ”がブランド、だったし、「それ」が人気と言うモノだった訳だが。同時にしかし、そこには重大な「切り捨て」それは発生する。

貴方はこの場に相応しくないから出て行ってください。

「劇場」では、”それ”が許される訳だが。

ともかく結果、「王の権威」それは、ゲームセンターの方になり、現状は現場に”それ”を要求する訳だが。現場としては、「仕事をして下さい」なら?「ぽんぷ長式大和」それを、テレビなどとしては、描かねばならなくなる。

私は「つかさ式神州丸」の方が好きなんですが。

解っては居ても、これは微妙に不安には成る。
利益を上げるのがこの種の仕事ではある、だから。

しかし。

要するに、今のテレビはポテンシャルはともかく、価値の精製、「経済への貢献」に関して、あまりあてに成らない訳だ。

インターネットに、広告の比重が移っている理由の一つ、ではある。
自分としては粛々と、こう言う事を続けるしかない訳だが。

もしかしたらその混沌の狭間で、あの、植松聖被告は居るのかもしれない。
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